ブレヒト『アンティゴネ』の翻訳ノート⑶ 第二エペイソディオン~第三スタシモン

 

第二エペイソディオン(B311- 572)


コロスは見張りにアンティゴネが連れられてくるのを見て驚く。

B311-314 
wie Götterversuchung aber stehet es vor mir
Daß ich sie weiß und sagen doch soll
Das Kind sei's nicht, Antigone.
T「だがこれは、神の試練ではなかろうか、/あの娘と知りながら、そうではないと言えという。/
アンティゴネ、」
I「だがいまわれらは神々の試練に遭っているのか/犯人はわかっているのに/言えない、アンティーゴネ、/あの娘だと」
K:「なんという神の誘惑が我が目の前にあることか、見知っている、それでもこれがあの娘、アン ティゴネでないと言うべきなのか。」

B311-313

見張りはアンティゴネを今度は現行犯で捕え、連れてくる。それを見てコロスは、「アンティゴネ」ではないと言いたい気持ちに駆られる。それが「神のVersuchung」なので「試練」ではなく「誘惑」。「キリスト最後の誘惑(Versuchung)」で悪魔はキリストに試練を課したわけではない。

B322a-322b
KREON: Wer ist die, daß du ihr Gesicht verdeckst?
WÄCHTER: Der Schande halber; denn die ist die Tätrin
T, Iともに省略
K:見張り: 恥のためです。この娘が下手人ですから。/クレオン: 言っていることは分かる。だがお前は自分で見たのか?」

B322a-322b

これも選択ないし解釈の問題。
この箇所は「著作集」11巻にはある。初演時の演出用台本にはあったがModellbuchでは削除されていたもの。私が定本にしたHecht編のSuhkampf Taschenbuch 版(1988)では復活。既訳では意図的に、こうした箇所のいくつかを復活しいくつかを削除のままにしている。両訳ともたとえば450a、467aは訳している。全部復活した上で注記するのが親切だとは思うけれど。


見張りはアンティゴネによる二度目の埋葬の場面を次のように語る。

B344-347
So jammert sie, da sie den Toten bloß sieht
Und sammelt wieder Staub auf ihn, vom Eisenkrug
Den Toten dreimal mit Ergießungen Verschüttend.
T :「死体がむきだしにされているのを見て、/…/
激しく泣きはじめるんであります。/それから又、砂を集めて、鉄の壺から三度、死体にふりかける。」
I :「死体が野ざらしなのを哀しんだのです。/そしてまた鉄の甕に/砂を集めて死体にざーっと三杯も/振りかけました。」
K:「そんな風に娘は嘆くのです。そして、死体が剥き出しなのを見てもう一度砂を集めて上に被 せ、鉄の壺から三度に分けて供養の水を注ぎます。」

B344-347

自分がかけた砂が取り払われ、剥き出しの遺体を見て「ひなが消えて巣がからなのを見た母鳥が悲しんでいる、そうなふうに嘆」いていたアンティゴネは、もう一度砂を集めて遺体を覆い、鉄の甕から三度Ergießungenで死体をverschüttenした。ここはソフォクレスではἔκ τ' εὐκροτήτου χαλκέας ἄρδην πρόχου/ χοαῖσι τρισπόνδοισι τὸν νέκυν στέφει. (S430-31)「立派な造りの青銅の水差しを高く掲げ、死体の周りに供養の飲み物(コエー)を三度注ぎかけたのです。」で、ヘルダーリンは "Und aus dem wohlgeschlagnen Eisenkruge kränzt / Sie dreimal mit Ergießungen den Toten."と訳しており、Ergießungenはコエーの訳語なので液体。彼女の行為(στέφει, kränzt)は「花冠で飾る」を意味するが、死体の周りに水を注ぎかける比喩になっている。ブレヒトはヘルダーリンの訳文の語順を変え、「再び死体に砂を集めると」を補い、kränztからverschüttendに動詞を変更している。
私は、死体のverscüttenに用いられているErgießungenはやはり液体で、一度目の埋葬で砂を振りかけ、二度目の埋葬では本来はコエーを注ぎかけに来たのだが、死体が剥き出しにされているのを見て、塵を集め被せたのちコエーを注いだと解した。この解釈はアンティゴネのテクストの「合理化」にもなっている。ブレヒトは本編冒頭でのイスメネとの対話中にアンティゴネに甕に砂を入れさせているが、その砂は最初の埋葬に使われている。両訳ともErgießungenを訳文に入れていないので「砂」と捉えているのだと思う。C "And gathered dust on him again from the iron jug/ Three times with waterings so burying over The dead man." はwateringの訳語を当て、M "Three times she sprinkled dust on the dead man"は「砂」。

見張りに捕えられたアンティゴネが「自分が埋葬した」と述べる場面で

B365-368 
Ferner, wenn ich meiner Mutter
Totes Andres hätt grablos liegen lassen
Das würde mich betrüben.Aber das
Betrübt mich gar nicht.
T 「同じ母から生まれた兄弟の亡骸が、/墓もなく、野ざらしにされていたら、私にはとても耐えられない。/でも、もう私には、何の憂いもないのです。」
I 「また私と母を同じくする別の兄の屍体が/墓もなく野ざらしにされていては/私の哀しみが尽きませんから。でももう/悲しくはありません。」
K: 「自分の母親が産んだ子が死んで、片方だけ野晒しなのに何もしなかったら、それは悲しむ羽目になったでしょう。でも、こんなことは悲しく もなんともない。」

B365-368

ポリュネイケスの死体はいままさに野晒しにされているので、ich… hätt grablos liegen lassenは「野晒しにされているのを私がそのまま放置していたとしたら」。
「こんなこと(das)」とは、死ぬこと=捕えられてクレオンの手で処刑されること。

その後、テクストはヘルダーリンから離れ、ブレヒト独自のものになる。アンティゴネはクレオンが行っているのが侵略戦争であると訴え、コロスも同じように「震えている」(B399)として、コロスにも声をあげるよう求めるが、コロスは黙認する。コロスの沈黙に対するアンティゴネの言葉。

B428-430 
A ”Ihr also duldet's. Und haltet das Maul ihm.
Und sei's nicht vergessen !"
K "Sie bringt es zu Buche.”
T 「ア:自分をおさえて、/牡蠣みたいに黙りこんでいるのね。それが報われればいいけれど/ク:とうとう本音を吐きおった。」
ア:みんな我慢して、王に口をつぐんでいるのね。/いつか思い知るでしょう!/ク:本音を吐きおったぞ。」
K:ア:ならあなたたちは黙認するんだ。この男のために口を閉じてるんだ。忘れてもらえると思わないことね。ク:こいつは帳簿をつけておるぞ。」

B428-429

両訳ともにコロスに好意的だけれど、ここは「認める」「黙認する」。アンティゴネは声をあげることを、クレオンは沈黙を求めていたのであり、沈黙は我慢ではなくクレオンへの協力、承認。「この男のために口を閉じてる。」邦訳のコロスへの甘さは『アンティゴネ』の一番最後でグロテスクになるが、とても日本的な民衆無罪論だと思う。
アンティゴネはコロスへの期待が裏切られたと捉えている。B429も沈黙が「報われる」かどうか、「いつか思い知る」かどうかという予測ではなく、侵略への協力が決定的であって「忘れさられることはないだろう」という判断を示す。なのでクレオンの応答が「こいつは帳簿をつけておるぞ。」になる。アンティゴネは、誰が侵略の仲間で、だれが仲間でないのかを確認した。C:  "A: So then you let it be and keep your mouths shut for him. / Let that not ·be forgotten./ C: She notes it against you."
M: "A: And you take it and let him shut you up. / It will be remembered./ C: She's keeping accounts!"

アルゴス侵略を正当化するクレオンに「あなたと一緒に敵の家に住むよりは、祖国の瓦礫に腰掛ける方が良いし、安全。」(B473-475)と答えるアンティゴネに対するクレオンの罵倒。

B477-479
Jedwede Satzung bricht sie, die Maßlose, wie der Gast, der
Nicht mehr verbleibend lang, noch jemals zurückgewünscht
Frech, sein Bündel machend, die Lagergurte durchschneidet.
T:「この無法者は、どんな掟でも破るのだ。/二度と帰ってくるなと言われて、これ以上長居は無用と、/厚かましくも使ったベッドを壊し、/その革紐で荷物をまとめる、そんな居候のようなやつだ。」
I:「いっさいの掟を破ったぞ、この放埒な女は。ニ度と来るなと/望まれた客が、帰りがけの駄賃に/寝床を壊してその革紐で荷物を括っていくような手合いだ。」
K:「この極悪人はあらゆる定めを破る。もう居座れなくなり、二度と戻るなと言われているのに、荷物を纏めるのに愚図愚図とやたら時間をかける厚かましい客 のようなやつだ。」

B477-479

「もう居座れなくなり、 二度と戻るなと言われているのに、荷物を纏めるのに、Lagergurte を切断する客」と言われているが、Lagergurt(ベッドの革紐?)がちょっと辞書にない単語で、両訳とも、「寝床を壊してその革紐で荷物をまとめる」という意味に理解しているが、ドイツのベッドには革紐が標準装備で、ベッドをまず壊してそこに付属していた革紐を取り出して、それで荷物を纏めるの?
die Lagergurte durchschneidetをこのように解釈するのは普通ではないので、この二つの訳が依存的である実例だと思う。どちらがどちらに依存しているのかはわからないけれど。
ググってみると、移動用に毛布や寝袋などの荷物を巻いて纏めるための革紐のことをLagergurtと言うらしいので、荷物をまとめるのに、纏めるための紐を切断してしまう→やたら愚図愚図するということなのだろうと理解した。Cは"Who packing his bags in his insolence cuts through the guy-ropes" で直訳的、Mは"who insolently tampers with his luggage”で荷物を弄んで支度を長引かせるという意訳。

B484あたりから、再びソフォクレス(ヘルダーリン)のテクストに戻ってゆく。ただし、省略や変更の度合いは大きい。アンティゴネとクレオンの対立が頂点に達したところでイスメネが登場。彼女は、クレオンに埋葬に関わっているのかと問われる

B502-505
IS: Ich bin die Täterin, stimmt mir die Schwester zu.
Ich nahm auch teil und nehm die Schuld auf mich.
AN: Das wird die Schwester aber nicht erlauben.
Sie wollte nicht. Ich nahm sie nicht dazu mit.
T 「:私も手を下しました、お姉さまも認めてくれるはず。/ 私も共犯者です、共に罪を背負います/:妹よ、そんなことは許しません。/彼女はことを望まず、私もその手は借りなかった。」
イ: 私も共犯です。姉さんも認めてくれます。
/私も手伝ったので罪を負います。ア: 妹よ、
そんな偽証をしてはいけないわ。/妹はやろうとしなかった。私も手伝うことはさせなかったわ。」
K:イ:私も手を下しました。姉がそう認めてくだされば。/私も関わりましたし、罪を引き受けます。 ア:だが姉はそれを許しはしない。あれは望まなかった。 私もあれを連れて行かなかった。」

B502-505

イスメネの最初の言葉はヘルダーリンでは"Getan das Werk hab ich, wenn die mit einstimmt, / Und nehme teil. Die Schuld nehm ich auf mich."と、「彼女が認めてくれるのなら」の条件がwennではっきりしているが、ブレヒトのように倒置しても条件であることは変わらない。ブレヒトは、「認める」の主語をdie Schwesterと明示している。アンティゴネの応答は"Das wird das Recht ja aber nicht erlauben./ Du wolltest nicht. Ich nahm dich nicht dazu  mit." 「正義はそれを許さないだろう。お前は望まなかったし、私はお前を関わらせなかった」だが、ブレヒトでは、前行のdie Schwesterを反復して、「姉が認めてくれるのなら」「だが姉は許さない」と対応させている。そもそも、イスメネが「罪」という言葉持ち出している点で、アンティゴネとの隔たりは大きい。

B528-529
Is:  
Ich kann nicht leben ohne diese.
Kr: Die Red ist nicht von dieser. Die ist nimmer.
Tイ:私は、この人なしでは生きていけないのです。/ ク:こいつのことは、もう終わったのだ。死んだも同然だ。」
イ:私は姉なしでは生きられません。/ク:
この女の話はもうしない。死んだと見なしているから」
K: イ:この人なしで生きることはできません。/ク:「この人」など話にならん。そんなものはもうおらぬ。」

B528-529

ソフォクレスの”{ΙΣ.} Τί γὰρ μόνῃ μοι τῆσδ' ἄτερ βιώσιμον; / {ΚΡ.} Ἀλλ' «ἥδε» μέντοι μὴ λέγ'· οὐ γὰρ ἔστ' ἔτι." 「イ:この人なしで、私一人でどうやって生きていけば良いのでしょう。ク:「この人」などと言うのは止めることだ。もうおらぬ者なのだからな。」をヘルダーリンは、" I: Mir lebt nichts, wo allein ich bin, nicht die auch. / K: Die Red ist nicht von dieser. Die ist nimmer."と訳し、ブレヒトはイスメネの台詞を簡略化し、クレオンの台詞はそのままにした。お前が「この人«ἥδε», diese」などと呼ぶ対象は(死刑にするので)もういない者なのだ、という酷薄な言い方。

兵士が姉妹を連れて退場すると、クレオンは、勝利の印に剣を神殿に収めるため、コロスにそれを渡し、代わりにバッコスの笏丈を受け取る。勝利の後の粛清があまりにも過酷にならないようにとの嘆願を行う長老の言葉。

B536-539
Der du zum Siegesreigen dich einmummst, stampfe du
Nicht zu hart den Boden und nicht, wo er grünet.
Welcher aber dich ärgerte, Mächtiger
Laß ihn dich loben.
「勝利の舞いに加わられても/やたらと緑の大地は蹴飛ばしなさるな、/だが、あなたを怒らせた奴らには、/あなたの力を見せつけてやりましょう。」
「勝利の輪舞の装束をなさっても/大地の緑のあるところはあまり踏み固めないでください。でも権力者である王様を怒らせる者をも/心服させておやりください。」
K:「大地をあまり強く踏みつけても、緑が芽を出している場所を 踏んでもなりません。強大な力をお持ちですから、あなたの怒りを買った者からも称賛を浴びるよ うになさってください。

B536-539

前半部分は、あまり過酷な粛清を行っても、また、利益を齎しそうな者を滅ぼしてもならないとの含意で、後半部分は国内の不満分子への対応のアドヴァイスだろう。

第二スタシモン (B547-B577)

ソフォクレスのスタシモンはラブダコスの一族の禍いを歌うが、それに対応するブレヒトのテクストは、ソフォクレスにもギリシア神話にも見当たらないオリジナルの、「ラクミュスの兄弟たち」の物語で始まり、小さなきっかけで「積み重ねられた悲惨」が爆発すると述べる。スタシモンのヘルダーリン訳、ピンダロスのヘルダーリン訳が部分的に用いられている。

ブレヒト独自のラクミュスの物語のテクストでは、敵に虐待され、妻たちは夜の相手をさせられた日々を耐え続けたラクミュスの兄弟たちをある日ペレアスが杖打とうとする。

B553-558
Doch nicht bevor Peleas
Zwischentrat, mit dem Stab sie teilend, wiewohl nur
Leicht sie berührend, standen sie auf und
Erschlugen der Peiniger alle.
Dies war diesen das ärgste, doch oft wird des Elends Summe durchs Kleinste gerundet
T 「だが、ペレアスがやってきて、杖で彼らを払った時、/ほんの軽くさわっただけなのに、/二人は立ち上がつて/敵をすべてたたきのめしてしまったのだ。/二人には苦しめられたことが一番許せないことだったからだ。/不幸のしめくくりは、しばしば、/ごくささいなことでけりがついてしまう。」
「だがペレアスが杖で/ 兄弟を分けようと割って入り/ほんの軽く触れただけで、もう二人は立ち上がり/自分を苦しめた者すべてを打ち殺した。/苦しめられたことが二人には最も腹の立つことだった。しかし悲惨の連鎖というものは/ 些細なことで完結する。」
K「だがそれはペレアスが割り込み、/二人を杖打って分けるまでのこと。 /軽く触れただけだが、二人は立ち上がり、/虐待者ども皆を打ち殺した。/それが二人には最悪のことだったのだ。/しばしば、積み重ねられた悲惨は、/ほんの小さな事柄で熟して終わる。」

B553-55

Lachmyschen Brüderは谷川訳では「ラケミスの兄弟」岩淵訳では「ラクミスの兄弟」。だがペレアスが二人を軽く杖で打つと、二人は立ち上がって敵を全て打ち殺してしまう。"Dies war diesen das ärgste"だったのである。このDies を両者とも「苦しめられたこと」と訳すが、文脈から明らかに「ペレアスが杖で打ったこと」である。この物語は「積み重ねられた悲惨が、ほんの小さな事柄で熟して終わる。」ことの実例になっている。
また両者とも「ペレアス」に注をつけて「ペレアスまたはペリアスは」イオルコス王だと述べる。ドイツ語全集版の注釈に基づいているのだけれど、TLGでΠελεαで検索しても結果がないし、Neue-Paulyの事典もPeliasの異綴としてPeleasに言及していないので、根拠がないようにみえる。メデイアに唆された娘たちが、父を若返らせる魔術だと信じてペリアスを八つ裂きにして大釜で煮たというのは、イオルコス王ペリアスの神話の中心部分の一つなので、これはブレヒトがどこかでイオルコス王のことだと書いていない限り全集版の注釈の間違いだと思う。そもそもブレヒトオリジナルの物語だし。
ラクミュスの兄弟たちの妻たちが、「密かに緋の衣に包まり」(B551)座していたという言葉は、イアソンの両親がペリアスを恐れて生まれたばかりの息子を「密かに緋の衣に包んで」ケイロンに託したというピンダロスの『ピュティア祝勝歌」第四歌のヘルダーリン訳の借用だが、ペレアス=ペリアスの根拠にはならないだろう。



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