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7つの習慣への愛を確かめるために。

こんにちは。読書習慣に自信があるわけではない。ないですが、拙いレビューなどを見てもらえると気持ちがスッポンポンになる。だからちょっとだけ嬉しくなりますね。


7つの習慣がウケない理由。

とにかく7つの習慣なのである。誰に何と言われようとも心のバイブルは7つの習慣なのである。先日のある講演。リーダー研修での一コマ。「7つの習慣を読んだことがある人」・・・お、おう、ひとり。豚まんのCMみたく「ない人〜」とか聞く勇気がなかった。この本は読まれていない。それが事実だ。

たしかに7つの習慣は分厚いし。欧米のマインドだし。かなりの抽象的表現でもあるし。それだけではない。7つの習慣には決定的にウケない理由が隠されている。それがコスパ、タイパ、タムパに対応していないこと。時間をかけて人格を磨くという前近代的な表現。若者に響くキーワードが少ない。

恐れと不安の度合い。

二〇代で読み始めて以来、常に自分の近くに7つの習慣があった。何かの出来事があるたびにページをめくる日々。そこにはいつも問いかけがあった。でも今の時代、相棒はスマートフォンに取って代わられ、何なら問いかけすらもAIがカタを付ける。本はどれくらいの影響力を持っているのだろう。

あの頃と今日、7つの習慣を取り巻く環境が決定的に違うのは一体何なのだろう。それは「恐れと不安の度合い」と言い切っていいかもしれないと感じる。文中における恐れと不安は以下のように記されている。文章を読めば読むほど自分の存在意義を表現しなければならない。そう強く感じてしまう。

昨今、多くの人は何がしかの恐れにとらわれている。将来を恐れ、職場での自分の弱さを恐れ、職を失い家族を養えなくなるのではないかと恐れている。このように気弱になっていると、安定した生活を望み、職場や家庭でお互いにもたれ合う共依存関係になりがちだ。もたれ合いの共依存関係から抜け出すには、各々が自立する他ない。

スティーブン・R・コヴィー「7つの習慣 人格主義の回復」
「はじめに」 恐れと不安 より引用

あの頃と今とでは。

スティーブン・R・コヴィー博士も冒頭で「私たちが抱えている問題、感じている痛みは普遍的なものであり、問題の数も、痛みの度合いも増している」と書いている。あの頃と今とでは恐れと不安はまったく違う性質を持つ。そのために現代での7つの習慣の影響度は下がっていると言わざるを得ない。

なんだかんだ言っても7つの習慣を愛する者としては、価値の向上を今一度推進していかねばならんわけでございます。あの頃よカムバック、とまではいかないとしても(昭和はともかく)平成初期の熱い時代を蘇らせるにはどうすればよいか。やはり立ち返るには「原則」に従うしか道は残っていない。

7つの習慣は「相棒」だ。

7つの習慣は人生の役に立つか立たないかの二択だけで物事を判断するとするならば、大半の人間にとって無用の長物となる可能性は大だ。劇的に人生を変える劇薬とはとてもじゃないけれど呼べない。それよりは多分、いつも隣で安心感を与えてくれる「相棒」のように付き合うのが良いのだと思う。

※どうしても見てしまう。なんでだろう。

人格の相棒としての7つの習慣、個性の相棒としてのChatGPTを代表とする生成AIが、自分自身の両脇に存在するこの環境こそ、恐怖と不安を吹き飛ばす原資なのではないかと最近は思い始めている。そのうえで人とつながるからこそ、人間の人間による人間らしさを表出することができるのだろう。

最後に。

7つの習慣を世に伝えるエバンジェリスト的な方を大勢知っている。自分自身も是非7つの習慣エヴァンジェリストになりたいと思っている。そんな役柄があるのかは知らんけど。7つの習慣との愛を取り戻せ!北斗の拳的な。微笑み忘れた顔など見たくないさ。あ、もうそろそろ読書会にも参加せな。

※7つの習慣のことで何かあれば是非声をかけてください!!

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