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幕末戊辰の出来事を勝手に7つの習慣やレゴ®シリアスプレイ®と結びつけて強引に書いていく<4>

こんにちは。幕末の歴史と向き合っているとどうしても陰謀論的解釈が多く入ってきます。この手の話は良くも悪くも心を揺さぶるので、どこまで自分を信じられるかにかかってきますね。

前作はこちら。


歴史の醍醐味。

東京に来て17年。墨田区本所に12年そして中野に移ってはや5年が経った。両区ともに幕末・戊辰の史跡としてはかなり多いほうです。もちろん本所は偉人を生んだ街でもあるので言うまでもありません。しかしながら、中野区でも鳥羽・伏見の戦い以降、旧幕臣にとって多くの出来事があったのです。

例えば中野区のホームページに記載されている成願寺。こういう内容もなかなか区民にも伝わってこないのが実情。そういう埋もれた歴史や出来事を調査しながらGoogleマップにプロットしていく日々なわけだ。そのうえで実際に見に行く。当時を思い浮かべながら歩く。それが歴史の醍醐味そのもの。

中野区・宝仙寺も仁義隊が宿泊した場所(2022年撮影)

過去は消せない。ならば。

幕末はあまりにも謎が多すぎて困りますよね。まあ日本古代史から続く歴史そのものも謎なのだから当たり前と言えば当たり前か(そういう点では世界古代史も同じ)。過去を変えるのは容易ではない。つまり逆を言えば、過去は学びとしては最高の教科書であり最高の先生と呼べるのかなと思います。

過去は消せない。その過去を心に抱えて前に進む必要がある。そのことを理解し御一新に対峙していく旧幕臣と、あくまでも幕府再興を目論み武力で対抗する旧幕臣のどちらが正しいかと言われれば、判断ができない自分もここにいる。だから鳥羽・伏見の戦い以降の戦争に思いを馳せてしまいますね。

選択や決断の曖昧さが勝敗を決する。

以前このような記事を書きました。

まあ幕末を視点の違いだけで片付けてよいかどうかは異論も出ると思いますが、言いたいのは「行き着く先を見据えていた幕臣もいるにはいた」というただ一点です。何がもっとも大事なことなのか。最優先事項をどう優先していくのか。それらを見極められる視点を持つことこそが重要なのでしょう。

薩長史観オンリーではない身として贔屓目に見ても旧幕府軍の行動には難解な部分があります。歴史にIFは無いのでしょうが、あの場面でこう動いていれば一体どうなっていたのだろうか、とつい思ってしまうのも人間。いつの時代もトップの選択や決断の曖昧さが勝敗を局面を左右してしまうのです。

「戦争の勝敗は将軍の天幕の中で決まる」と言われる。

スティーブン・R・コヴィー「7つの習慣 人格主義の回復」
「第7の習慣:刃を研ぐ」知的側面 より引用

今も何かをもらっている。

特定の局地戦でいくつか勝ちはしましたが、結局のところ旧幕府軍は各地で勝利することもなく最後は箱館で幕を閉じるわけです。そういう勝者によって排除されてしまった歴史もを見つけ出していくのが実に面白いと感じています。このnoteだって言ってみればそんな思いを記している感もあります。

敗戦から何を学ぶのか。太古以来日本人として何度となく繰り返してきているこのテーマ。幕末、そして戊辰戦争から多くを知ることができます。こと中野区で言えば前述の仁義隊に加えて、新選組や彰義隊のゆかりの地も多くあります。160年経った今でもその場所から何かをもらっているのですね。

最後に。

人によって解釈が変わるのも「第3の習慣:最優先事項を優先する」。タスクの分類もそうなのですが、もっとも重要なのは「なぜやるか?」と思った事柄が最優先事項なのかどうかを見極めること。徳川慶喜は最優先事項を「勤王」を選択した。それが幕臣と合い通じるものではなかったのでしょう。

※ちなみに文中の写真のワンコは我が娘です(笑)

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