発達障害の長男のかんしゃくがひど過ぎて、児相に一時保護してもらった話

年末、海老名で母親が小中学生3人の子どもに手をかけるという、痛ましい事件がありました。
母親は児童相談所に「長男の不登校とかんしゃく」について、計12回相談をしていたが、悲劇は防げなかったようです。

海老名の事件に関して、XやYahoo!ニュースコメント欄でさまざま意見を目にしました。その中には児相に対するものも多くあり、かんしゃく持ちの子どもを育てる当事者(親)のコメントには、児相に相談しても具体的な解決に繋がらない等の意見も見られました。本件において、児相がどのような対応をしていたかは分かりませんが。

私の長男(中学1年生)はASDの診断を受けており、私たち家族も不登校とかんしゃくのことで、児相に相談を繰り返してきました。
かんしゃくがひどく、家族だけで対応することに限界が来たため、長男を児相の一時保護所に2回入所させています。入所に至るまでには親として多くの葛藤がありましたが、実際入所させたいと決断しても、簡単には児相が入所を受け入れてくれない現実もあります。
ここでは、長男がどういう過程を経て一時保護所に入所したのかについて書きたいと思います。

件の事件について、子どもに手をかけることは、もちろん肯定はできませんが、相当に追い詰められていたであろう、母親の気持ちを想像すると胸が痛みます。
私たち家族も、もし長男が児相の保護所に入れず、長男と一時的に離れることができていなかったら、と考えずにはいられませんでした。
私も長男が交通事故にあっていなくなってくれれば、どんなに楽だろうと考えてしまったこともあるからです。

本文章は私の経験を共有することで、もしかしたら同じ悩みを持つ家族の方にとって少しでも参考になり、児相を含めた適切な行政の支援に繋がり、その家族の状況が改善することを願って書いています。

■不登校とASD診断/~12歳
長男は私と妻が結婚した2年後に生まれました。今思えば、長男は小さい頃から、かんしゃくがひどかったのですが、知的な遅れがなかったこと、第一子であり比較対象の兄弟がいなかったこともあり、発達障害であるとは思っていませんでした。
一度、幼児期のかんしゃくにしても普通の子とは違うのではと違和感を持ち、児童精神科の受診を検討したこともあったのですが、予約が半年先で諦めました。この時受診していれば、また違った未来があったのかもしれないと今となれば思います。

私の仕事の転勤に伴い、長男は小学校を2回転校しています。
長男は小学校中学年から学校に遅刻することが増え、5年生に進級するタイミングの転校をきっかけに、不登校になりました。転校当初こそ、五月雨登校でしたが、GW明けからほとんど登校できなくなりました。
この時期から、家のテレビの液晶を傷つける、冷蔵庫の中の調味料を部屋中にまき散らし台所をめちゃくちゃにする、部屋の壁を殴り穴を空ける等、かんしゃくが激しくなり、児童精神科を受診させました。この時は受診するまで半年待ちました。
受診の結果ASD(自閉スペクトラム症)と診断されました。診断されたとき、激しいかんしゃくの原因はASDも一因なんだと分かり、正直ほっとしました。長男の下に次男もいるですが、同じように育てているはずの次男はかんしゃくはなく元気に登校していたことも、病気の診断で納得がいきました。一方、全てが病気のせいで、育て方に問題がなかったかどうかは今も分かりませんし、今現在も必死に子育てしてます。

薬(デエビゴ)も処方され、親としては飲ませることに躊躇したのですが、本人が飲みたいと言ったので飲ませました。
精神科を受診することについてもそうですが、本人が拒否することはなく、むしろ「自分の怒りやすい性格が治るなら病院にいきたい」と言ったことが、今でも印象に残っています。
そう考えると、小さい頃から、自身の感情をうまく制御できず困っていたであろうことに、早く気づいてあげれずに申し訳なく感じました。

こうして、児童精神科への定期的な通院を開始。小学校5年生は、月に何日かは登校していましたが、6年生の一年間は一度も登校できませんでした。6年生の間も、ときおり激しいかんしゃくを起こし、その度に家族が疲弊していました。児相に電話で相談しましたが、児童精神科の受診を勧められるだけでした。
6年生の3学期を迎えるに際し、中学校からは頑張って登校したいという長男の希望により、遅れている勉強を挽回するため塾に通いはじめました。
(本旨とずれるため詳細はここでは割愛しますが、不登校対応については、小学校のオンライン授業や家庭教師、放課後等デイサービス利用等、試行錯誤の連続でした)

■中学入学、児相保護/13歳
6年生の3学期は学校へは依然登校できませんでしたが、塾には真面目に通い、中学校の入学式にも参加できました。当初は遅刻もありながら、登校していたのですが、4月下旬から再度不登校になりました。
4月下旬のある日、長男が激しいかんしゃくを起こし、窓ガスを割りました。このままでは、次男の身に危害が加わるかもしれないと思い、警察に110番しました。
110番については急に思いついて行った訳ではありません。それまでに、何度も児相と面談し、一時的に預かってもらえないか等の相談を重ねていましたが、色々な事情ですぐには難しいようでした。児相からは、かんしゃくで手がつけられない場合は警察に連絡してくださいと言われていました。警察に連絡することで、その事実が児相にも記録され、緊急度の高い事案として取り扱われるという説明を受けていました(そうなれば一時保護の検討がしやすくなる。また警察がその場で緊急性が高いと判断し子どもを保護すれば、強制的に一時保護所に入所となる)。
実は、この110番の前にも、長男がかんしゃくを起こした時に、警察へ電話し自宅に来てもらったことがありました。この時は110番ではなく、生活相談の番号に電話しました(子どものかんしゃくで110番しても良いのか、気が引けたから)。

警察へは、児相から子どものかんしゃくで手がつけられない時は110番するように言われていることを伝えました。私としては、こんなことで110当番していいのか躊躇する気持ちが強かったのですが、それほど珍しいことではないのでしょうか、警察の方は特に驚きもしていませんでした。
警察官からは、子どものめんどうが見れないのであれば、この場で一時保護することは可能と言われました。ただし、本当に一時保護していいのか何度も確認がありました。一度保護すると、保護した後に子どもを自宅に戻して欲しいと言っても簡単には戻すことはできない(児童相談所の決定が必要)という説明がありました。
たじろぎましたが、2年間やれるだけのことはやったこと、家族が限界だったこと、保護所に行くことで長男がもしかしたら良い方向に変わるかもしれないという気持ちもあり、保護してもらいました。
長男はパトカーに乗せられて、警察署に連れていかれました。その後、私と妻は警察署に行き手続きをしました。長男とはそこから一時保護所から帰ってくるまでの間、直接話すことはできませんでした。それが決まりのようです。

約一カ月で保護所から長男は帰ってきました。
長くなるので詳細は省きますが、長男はその後再度一時保護所に行き、里親制度により里親さんの家から中学校にしばらく通い、今は私たちの自宅に帰ってきています。
中学校へも、通学しています。

■まとめ
結果的に、一時保護所に入ったことがきっかけとなり、中学校へも通学し、かんしゃくも今のところ治まっています(但し、いつ前のような状態に戻るかは分かりませんが)。
警察を呼び、半ば強制的に一時保護してもらう方法が、正解だったかどうかは正直分かりません。
2回目に保護してもらった時、長男が「保護所に行きたくない」と大泣きし私に訴えていたのが、今でも忘れらません。長男の心に親から見捨てられたと傷が残ってしまったかもしれません。
それでも私たち家族にとっては、あの時長男を保護してもらわなかったら、もっと悲惨なことになっていたかもしれないのです。

長男のことで、妻も精神的に参っており、冒頭の海老名の事件は他人ごとには思えませんでした。

この先、どうすれば良いか答えは分かりません。
当事者しか分からないことがあります。生きていて、逃げずに向き合ったと自分自身が思えるなら、それで十分だと思います。

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