産まないで欲しかった。
親はあなたのような人間を望んではいなかった。
「産んで欲しいと頼んでない」と友人に愚痴を言っていた時、この言葉を投げ返された。こんな世界に産まれた可哀想な自分ばかりを見て、産んだ側の気持ちを想像したこともなかった。
「産まないで欲しかった」子どもがそう考えるのだとしたら親は、「お前のような人間に産まれてきてくれと頼んだ覚えはない」と考えることもあるかもしれない。
「産まないで欲しかった」子どもがそう思うとすればそれは、親に対して産まないで欲しいと期待しているということになると思う。
一方で「子どもが欲しいから産まれて欲しい」というのも、まだ見ぬ子どもに対して期待していることになる。この子と親は互いに自分の期待を満たして欲しいと嘆いている。自分の主張を通そうとすれば争いが生まれ、どちらか一方が相手の主張に対応するまで終わらない。
「産まないで欲しかった」この問題は相手の期待に対応し、どちらかが相手を愛することができるかが重要になってくると思う。
愛のひとつの側面として、「責任」がある。責任とは、他者が何かを期待してきたときの、自分の対応のこと。「責任がある」ということは、他人の要求に応じられる、対応する用意がある、という意味。愛する心をもつ人は他者の求める期待に応じることができる人ということになる。
これまで、生きるために必要な食事からさまざまな私の身勝手な要求に両親は応えてくれていたと思う。たくさんの愛を受けたにも関わらず、苦しいことがあると「苦しいこと我慢して生きてたって意味ない」とか「いっそ産まないで欲しかった」と感じてしまう私自身はまだ、逃避行の真っ最中なのだと思う。
いつかは自分の人生に責任をもち、自分も他者も愛せるような人間になりたい。そして、両親に対して心から、生んでくれてありがとうと伝えられるようになりたいと思う。