繋ぎなおす、ご縁食堂
内山・平賀ご縁食堂。
3年前にスタートした農業複業化プロジェクトのメンバーが主催し、圃場がある内山・平賀地区の皆様に、少し僕らの活動を開いてみる試み。
8月下旬、平賀地区にあるMarucafe商店さんをお借りして初開催してみました。その日の様子と、感じたことを今回は綴ってみたいと思います。
◆農業複業化プロジェクトとは?
さてその前に、農業複業化プロジェクトとは。
2021年、世間はまだまだコロナ禍の出口が見えない中、こんな感じでスタートしました。
「お米作りを基本に『生きるチカラ』をに向き合う」をスローガンに、「体験以上プロ未満」の状態になること目指しているプロジェクトです。「複業」とプロジェクト名に入れているのは、本業と同じようなレベル感で取り組むことを念頭に置いているからで、メンバーそれぞれがそれぞれの目的や意思をもって取り組んでいます。そして、あわよくば「副収入」にもつながればよいなと当初はもくろんでいましたが、そんなに甘いものではもちろんなく。でも、3年やってみて、貨幣換算できない価値、暮らしへの安心感や基盤のようなものがすごく得られていると思います。お米や大豆などを自給できる力をつけるのはもちろんのこと、一緒にプロジェクトを盛り上げてくれている農家さんとのつながり、そして、何より、多種多様な仲間とのつながりです。
※詳しくはこちらのマガジンで綴っていますので、もしよければどうぞ。
◆ご縁食堂をやる理由
では、本題のご縁食堂。
開催に関しては、運営側(という言い方はもうそぐわないけど)が提案したわけではなく、メンバーの坂本さん(さかもっち)がやりたいと言ってくれました。そこに共感したメンバーが中心となり、コロナ禍もすっかり明けた今年の8月に開催の方向となりました。
なぜ、今回開催しようとなったのか。それは、メンバーそれぞれが想いを持っていますが、大きな方向性としては、坂本さんがこちらに書いてくれているような想いがあります。
プロ農家とまではいかずとも、体験よりはしっかりと農業の大変さも、やるべきこともわかっている複業者として何ができるのか?と考えた時、僕は地域をつなぎなおすことができるのではないかと思っています。
複業として農に触れ初めて一番に感じたことは、とれたての野菜は本当においしいということ。ひと昔前の佐久地域ならば、自分の食べ物は自分でつくる、つまり生産者と消費者は重なっていたかもしれませんが、高度経済成長を経て生活のあらゆるものを外注化することで、この重なりは切れてしまいました。食べ物は、今では買うのが当たり前です。スーパーに並ぶ野菜も県外産が多く、地元にいても地元の野菜のおいしさを味わえない、というなんとも不思議な状況に陥っています。これはとっても、残念なことです。(この物流に生活が支えられているのもまた事実で、何が何でも自給自足と思っているわけではないので、念のため書き加えておきます。両方大切。)
では、地元の農家さんが、地域に野菜を出せるかというと、これがまたなかなか難しい現実があります。生活の糧にしているわけですから、それなりの売上を確保しなければなりません。そうなれば、効率よく売れる先を優先するのは当然です。省き野菜などを地元に出せばいいじゃないかと思う人も多くいると思いますが、複業者として農家さんの近くにいるとよくわかりますが、ピーク時はとんでもなく忙しくて、そんなちまちましたことやっている時間が無いというのが、正直なところだと感じています。
そこで、農業複業者が果たせる役割があると思うのです。
農や食は生きるための基本です。
その基本を少しでもいいから、自分たちの手の届く範囲へ取り戻す。さすがにみんながみんな自給自足するのは現実的では無いしやる必要もないと思うけど、地元の農家さんの生産物が地域内でめぐる状況が、農業複業者ならば、より作れるのではないかと思っています。坂本さんの言葉を借りるならば、「生産者と消費者の懸け橋になれる」です。農家さんも、信頼できる複業者ならばきっと任せられるはずだと思っています。地産地消という言葉はよく聞くけども、言われ始めてから実際にどう変わったかは正直わからないし、自分の暮らす地域の事を考えると、正直十分な感じはしていません。スローフードが始まったイタリアのブラでは、いろんな考えはあるでしょうが、一番のベースにあるのは仲間がつくっているものだから応援する意味合いで地域の食材を買っているそうです。いわゆるマーケティング的であったり、ロハス的な「顔の見える」ではなく、仲間だから応援するという、本当の意味での「顔の見える」関係性が僕はすごくいいなと感じます。で、この関係性をつなぎなおしていくには、農業複業者が適任だと思っています。(もちろん、マーケティングもすごく大切なことだし全然否定しないけども、僕の中では今回の「つなぎなおし」に関しては、切り離して考えていきたいと思っています。)
そんな思いを場にちりばめてみて、何か感じてくれる人が一人でも現れたらうれしいなと思っての、ご縁食堂の開催でした。
開催してみて、僕たちの活動が伝わったかどうかはわからないし、正直そんなにプッシュして伝えたわけでもないから全然伝わってないかもしれない。でも、メンバーと共に一つ形にしたことに価値はあるし、今後も継続していくので、すごく良いスタートが切れたと思っています。
◆「みらいのボーロ」の可能性
さて、今回会場としてお借りしたのは平賀地区にあるMarucafeさん。こちらを切り盛りする柳澤真理さんには多大なるご協力をいただきました。会場はもちろんですが、今回ご縁食堂で提供した「みらいのボーロ」について少し触れておきたいと思います。
このボーロは、真理さんがレシピを考案したもので、約9割はマルカフェさんから半径12キロ以内でつくられている身近な素材で作られたお菓子です。ひと昔前なら当たり前だったことかもしれませんが、今ではなかなか出会えないお菓子でもあると思います。
また、みらいのボーロには特別な想いが込められていて、そのひとつは、地域の素晴らしい景観を100年先にも繋ぐこと。「農家は景観をつくる仕事」と農に少し深く入り込んで体感した僕らにとっても、この想いはとても共感するところです。
そして、その景観を作っている農作物をボーロの素材にしているから、作りながら食べながら、自然と話題に素材の事や地域の事が上がります。この一見何てことのない、押しつけではない素のままで過ごす時間が、とても大切だと感じます。
このボーロを、せっかくの縁なので、ご縁食堂で提供するべく、メンバーの有志でマルカフェさんに教えてもらいながらつくりました。しかも、今回は農業複業化プロジェクトで作っている米・大豆に加え、味付けをメンバーが育てている野菜を使用したので、素材の9割は半径6キロ圏内。超ローカルなお菓子になりました。メンバーのお子さんも一緒に参加してくれて、大人も子供も一緒になってボーロを作ります。丸く形成する作業がちょっと難しいのですが、子供の方が上手で、すっかりリーダーでした。そして、焼き上がりをみんなでいただきます。ジャガイモは味が出ないんじゃないかと思っていましたが、意外や意外すごくジャガイモでおいしい。トマトもドライにしたせいかとっても濃厚。そして僕個人押しのパクチーはお酒のつまみにもなるボーロになりました。この仕上がりは、やはり、地元の採れたてのものを使っているからに他ならないと思います。
子供たちにとっては、これが当たり前だからまだ何も感じないと思うけど、こうやってお菓子を作った体験は、原体験として刻まれるだろし、この原体験がきっと大人になった時、豊かに生きるための大きな糧になるはずだと思っています。
僕らのような高度成長時代が終わったころ、生活に関することがほぼ外注化された世の中に生まれた大人世代は、このボーロづくりで改めて当たり前にある地元の素材のおいしさに感激するし、感謝の念が生まれてきます。そして、「わ、おいしいね!」と共につくった仲間と一緒に食べられる時間がいかに幸せな時間なのかを体感します。
そして、この地域をつないできてくれた皆さんとも一緒にこのボーロも作ってみたいと思っていて、作業しながら、いろんなお話を伺ってみたいと感じています。(作業しながらの方が、結構深い話できたりするんですよね。作業のおかげで照れくささとかがなくなるんでしょうね)
こうやって一緒につくる体験をより多くの人がすることで、地域の良いところが100年先にもきっと繋がっていく、その懸け橋になるお菓子がみらいのボーロ。これからのご縁食堂でもぜひ一緒につくる時間を設けていきたいと思っています。
◆結局何が正しいのか?
ここまで、外注化を悪いことのように書いているように思われるかもしれませんが、そんなことは思っていません。外注化したことで、世の中これだけ豊かになったと思っているからです。
でも、今回綴ってきたような、地域の景観や地域の農作物などの「当たり前」に存在しているものは、当たり前に誰かがつくってくれているわけで。「高齢化」「担い手不足」と多くの人が情報や文字としては認識していると思うけど、これは早めにリアルに体感しなければならない問題だとも感じています。そうしないと、気づいたときには、「当たり前」に存在していたものがなくなる可能性があるからです。
おそらく効率性を追求できる畑や田んぼはこれからも残っていくと思います。でも、町中にあるちょっとした、おじいさんおばあさんがやっているような畑や、僕らがお借りしているような里山にあるいびつな畑や田んぼはきっと荒廃していってしまうと思います。こればかりは、効率性では維持できない。
そこに何の価値があるの?と言われれば、一言ではなかなかかけないのですが、一つ書くならば、ここには日本人の原風景があると思っていて、この存在の効果を何かの指標として計ることは難しいとは思うけど、きっと大切なものだと思っています。今の若い人はどうかわからないけど、動揺の「故郷」を聞くと、懐かしいなと感じるのは、やはり、里山の景色が原風景なんだと思います。そして、その原風景の中には、暮らしに直結する人の営みがあり、そしてご縁食堂やみらいのボーロづくりのような人と人のつながりがあり、だからこその安心感の中で、肩の力を抜いて生きていく事ができる側面もきっとあるはずです。
経済合理性中心の効率を重んじる流れは言わずもがなですが、世の中、自分の見みたい世界だけが正しく見える方向に向かっていっていると感じるし、だからこそより息苦しい世の中になっていっているとも感じるし(気にせず、私は私あなたはあなたで放っておけばいいんだけど)。デジタルネイチャーじゃないけど、自然っていったい何?という問いが湧いて出てくるような世界に急激に変化している訳でもあり、いったい何が正しいの?と聞かれれば正直わからない。価値観も変化していくし、どんどん多様化しているから、自分の価値観を未来に押し付けたいとは全然思っていないけど、この景観や農環境は、未来でもきっとあったほうが良いと思えるから、できたらつないでいきたい。
そして、そのつないでいくきっかけに、ご縁食堂がなればいいと思うし、少なくとも、今一緒に農に触れている仲間はそう思ってくれていると思っていてくれているはず。つい先日、3年目の米作りも無事稲刈りを終えたことだし、またご縁食堂を開いてみたいと思います。本当に小さな小さな活動だけど、これからもこんなことを思いながら、活動を続けていきたいと思います。