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エネルギー 情熱

父が亡くなってから10ヶ月、私は日々自問自答しながら生きている。
自分が死ぬ瞬間に、悔いのない人生だったと思えるかな?
これから先、自分の思った様な人生を生きることができるだろうか?

元々私は、子供の頃から、自分に自信がなく、どうせ自分なんて、という感覚で生きてきたように思う。

幼い頃は虫が好きで、一日中地面の蟻やダンゴムシを見て過ごしているような子供だった。

小学生の頃は、同じく虫好きな友達と、お互いどんな虫を獲ったかを見せ合って喜んでいる様な毎日だった。

中学、高校と進むにつれ、興味はサッカーや車に移って行ったが、自分からこれがやりたいという強い気持ちをともなったものはほとんどなかった記憶だ。

大学に入り、なんとなく自動車を作っている会社を志望し、試験を受けたものの落ち、教授が紹介してくれた聞いた事がない地元の(地元といっても家から40キロくらいあるのだが)工作機械を作る会社に入った。

そこで新入社員として、同期の3人と一緒に楽しくやっていたのだが、一年経たずして、会社が倒産。
私は失業者になるか、その会社の親会社の新潟に転勤するかの選択を迫られ、大した考えもなく新潟行きを選んだ。

新潟に引っ越し、独身寮に入り、2年半程働いたが、その会社も右肩下りになり、次第に経営が怪しくなってきて、当時、出張続きで客先とのやりとりにうんざりしていた私は、退職し、地元に戻った。

その後は製造で再就職したものの、すぐに単調な仕事に飽きて退職。今度はホームセンターの物流倉庫で働き、結婚したばかりの妻が地元に馴染めなかった為、自分から希望を出して妻の実家がある新潟に再び戻った。

新潟でも物流センターの仕事を続けたが、あまりのハードワークに心も身体も疲れ切り退職。

やっぱり自分は製造が良いのではと考え、職業訓練校でCADの資格をとり、製造業の会社に再就職するもしばらくして品質管理の部署に転属になり、日々自分の会社や下請けから出る不良品の対応に追われ、そこで頑張れば良い物を、嫌になり退職。

よせば良いのに再び製造業に再就職し、自動車のシート部品を溶接したり、試作を作ったりする仕事をして、それなりにやりがいも感じていたが、試作の納期前の100時間を超える残業や、同僚の偏ったしごとのやり方に納得いかず、退職。

もう製造は自分には向いてないと、いまさらな自己分析をして、介護業界に入る。

ショートステイ、老健、小規模多機能、特養と様々な形態の介護施設を経験し、現在に至る。

ここまで書いて、私は何と脈略のない、行き当たりばったりの人生を送って来たのかと、恥ずかしくもなるし、後悔も多いが、自分なりに、その時々で最良と思った選択肢を選んできたつもりだ。

だが、度重なる転職や、収入減によって、妻には働いてもらわないと生活が回らないとお願いして、子供が小さいうちは家に居たいと嫌がる妻を働かせ、今では全く相手にされていない状態である。

私は何と罪深い人間なのだろうと、つくづく嫌になるが、今の私にできることは、現在の仕事や家の家事など、できる事を精一杯やることだけなので、自分なりに努力している。

思えば、あの時あーすれば良かった、こーすれば良かったという後悔ばかりではあるが、過去は変えられない。変えられるのは未来だけなので、これからの人生、あまり長くはないかもしれないが、出来るだけ後悔の少ないものにしたいのだ。
自分自身の今までの人生は波瀾万丈であったが、
2人の子供達は、素直に、素晴らしい才能を持って育ってくれたし、妻は、こんなボンクラ亭主に愛想をつかしながらも、子供達のために一生懸命仕事や家の事をしてくれている

私は恵まれているのだ。
こんな何も無い男だが、大きな怪我や病気もなく今までやってこれた。
幸せな家庭がある。
後は私が家族や周りの人を幸せにできればそれでokではないか。
これからもたくさん失敗や落胆を繰り返すのだろうが、父に教えてもらった前向きな精神で、「お前の良いようにせえや」と今度は子供達に言ってあげたい。

それが私の人生であり、生きるエネルギーなのだ。



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