masachan0730

masachan0730

最近の記事

  • 固定された記事

最近の自分

    • ロックと私

      私が最初にロックという音楽に出会ったのは、確か小学校5.6年の時に兄が東京の叔父さんからもらったジャーニーとかTOTOなんかのカセットテープを聴いたのが初めてだったと思う。 それまでわたしが聴く音楽といえば、近所の電気屋さんで買ったゴジラのレコードやテレビで流れていた松田聖子とかたのきんトリオなんかのアイドルの歌くらいだった。 初めて聴くロックはハードなギターと力強いドラムとやたらとお腹に響くベースの音が印象的で、その上にカッコいいボーカルが乗っている凄く何か訴えかけるも

      • 介護と私

        私は今介護士をしている。 もう介護業界に入って12年位になる。 私は大学を工学部機械工学科で卒業し製造業に就職したが、別の作品で触れた通り紆余曲折あって40歳から介護を始めた。 介護を始めた理由は、当時私は製造業にうんざりしており自分が続けられそうでなおかつ家から通える範囲内にたくさんの事業所があり、年齢を重ねても再就職しやすそうな仕事という極めて現実的なものであった。 介護を始めるに当たって、私は工場の仕事をしながら、週末に介護の学校に通い当時まだ存在したヘルパー二級と

        • 工場と私

          私は大学で、機械工学を学び、最初に入った会社は工作機械メーカーだった。 大学で教授に「ここ、どう?」みたいな感じで勧められて、大した興味も無かったが、他に行くところも無かったので入社を決めたのだ。 その会社は、マシニングセンターやら、レーザー加工機というのを作っていて、最初は設計として、研修していたのだが、どういう訳か、使いもんにならんと判断されたのか、途中で営業技術という部署に配属になり、レーザー加工機のテストカットや、顧客への操作指導などを担当するようになった。 レーザ

        • 固定された記事

        最近の自分

          新年

          2023年が明けた。 今日はもう1月8日だ。 私の父が亡くなってからもう1年と4ヶ月が過ぎようとしている。 今でも時々、本当は父はまだ生きていて実家で「おーう、まさゆきか」 と出迎えてくれるのではないかと思う事がある。 実際は、実家はもう無人であり、兄がまだ壊したくないという理由で、父が最後に生きていた時そのままの姿で残っている。 私の母は、私が高校に入って間も無く、まだ私が15歳の時になくなった。 母は亡くなる1年くらい前から体調が悪くなり、何度か近所の病院に診ても

          福井

          私の出身は福井県だ。 北陸の1番南に位置する、象の頭のような形をした県である。 その福井県の中でも、北の方にある三国町という町が私の生まれた所だ。 保育所から中学校までは三国町で育った。高校は福井市にあったので、電車で通ったがずっと実家暮らしだった。 大学も福井市にあったから、車で通ったが実家暮らしであった。 つまり私は生まれてから23年間実家で過ごしたのだ。 大学は1年留年したから5年間通った。 福井県という所は、京都や滋賀県に隣接していて、北陸の中でもかなり関西の

          何の為に

          新潟に住み始めてもう何年になるだろう。 私が地元の福井を離れ、新潟で暮らし始めて、途中3年程地元に戻ったが、トータルすると27年くらいは経つだろうか? その間私は何度も職を変え、妻に苦労をかけ続けてきた。 そのせいで、妻には愛想をつかされ、今では全く相手にされていない。 子供達は2人とも大学生となり、それぞれ、東京と新潟で頑張っている。 概ね幸せだと言っても良いのだが、やはり私のズボラな性格と好き勝手やってしまう性分で、妻から嫌われてしまっているのが辛いのだ。 何とか

          少しずつ

          現在、2022年の8月31日では、私の生活はやや残念である。 というのも、10日くらい前に、職場でコロナのクラスターが発生して、私のいるフロアの90%の利用者がコロナにかかり、フロアの職員の50%がコロナ感染で自宅待機となる、という非常事態の中にあるからである。 きっかけは職員のコロナ感染発覚だったが、その後1名の利用者からコロナ陽性がわかり、その3日後には30人以上が感染した。 4日後には40人以上が感染して、入院者も2名になった。 その非常事態の中、職員の感染も次

          矛盾と人々

          人は矛盾の中で生きている。 矛盾とは、同じ人が言う言葉に、食い違い、辻褄が合わない事だろう。 私は、日常の中でこの矛盾を感じてモヤモヤすることがよくある。 例えば、コロナによって日常生活が制限されている状況で開催されるイベントなど、「来場をおまちしています。」と宣伝しているものの、行くと、物々しい雰囲気で検温、発熱の有無、健康状態のチェック、携帯にアプリの登録の要求などなど、まるで、こんな時によく来たね!ほんとに大丈夫?と無言の圧力の様なものを感じさせられたり、それはまだ

          矛盾と人々

          エネルギー 情熱

          父が亡くなってから10ヶ月、私は日々自問自答しながら生きている。 自分が死ぬ瞬間に、悔いのない人生だったと思えるかな? これから先、自分の思った様な人生を生きることができるだろうか? 元々私は、子供の頃から、自分に自信がなく、どうせ自分なんて、という感覚で生きてきたように思う。 幼い頃は虫が好きで、一日中地面の蟻やダンゴムシを見て過ごしているような子供だった。 小学生の頃は、同じく虫好きな友達と、お互いどんな虫を獲ったかを見せ合って喜んでいる様な毎日だった。 中学、高

          エネルギー 情熱

          音楽と金

          私がスマホでTwitterを始めてもう8年位になるだろうか? 私の趣味は音楽なので、タイムラインに流れてくるツイートは、アーティストのライブのお知らせや、新曲の発表と予約、出演するラジオやTVの告知…などでほとんど占められている現状だ。 そういった告知を眺めていて、ふと私は大きな違和感を持った。 ほとんどのツイートがアーティストのメンバー個人個人と所属する事務所?のツイートなのだが、ほぼ同じ内容を何個も見てしまうのだ。 所属事務所がライブや新曲の告知を熱心にするのはあたり

          ベースと太陽

          最近、カセットmtrでの作曲にはまっていると別の機会に書いたが、その熱はまだ覚めてはいないのだが、現在は新しいものに夢中になっている。 ベースである。 エレクトリックベースと言えばもっと詳しいだろうか。 どうしてベースに夢中なのかというと、そもそもカセットmtrで曲を作る中で、アコギと歌は録ったのだが、それに合わせてドラム(リズムボックス)とベースを入れたかったのだ。 ドラムはギターのエフェクターに入っていたリズムボックスで適当に入れることができたが、ベースは持ち合わせ

          ベースと太陽

          生きる

          今年になってもう早くも半分になろうとしている。 相変わらずコロナは収束しないし、県外に行くのも憚られる雰囲気が続いている。 自分はというと、息子が大学に入学し、なんだかんだバタバタしているうちに今日まで来たような感覚だ。 頑張って地元の国立大学に入ってくれた息子には本当に感謝しているし、誇らしい気持ちでいっぱいだ。 まだ大学はリモート講義が多くて、実際大学に行く日は数えるほどしかないのだが、息子なりに一生懸命対応しようとしているのを見ると、自分が全力で支えなければと思う。

          クリームパン

          私は福井県で生まれ育った。 私の生まれた町は海沿いの有名な観光地がある田舎町だった。 わたしの幼少期は、常に母親にべったりでいつも駅前のスーパーについて行っては欲しいお菓子を買ってもらえず床の上でゴロゴロするような、常に飢えた野良犬のような子供だった。 小遣いをもらっていた記憶もなく、実際は貰っていたかもしれないが、いつも甘いものをあたまの中で妄想しながら日々過ごしていた。 そんなある日、多分小学校2年か3年くらいだったと思うが、駅前のスーパーに一人で行った私は、スーパ

          クリームパン

          Life is go on

          最近はますますコロナ感染者が増え、田舎町でも数百人の感染者が発生する様になってしまった。 毎日のようにニュースでコロナ感染者数が今日は何人になった。前日よりこれだけ増えた。との話を目にする。 私もつい昨日3回目のワクチンを打ち、今は、軽い頭痛と微熱と左腕の痛みに耐えている。 つくづく思うのは、「なんでこんな事になっちゃったんだ?」というやり場のない鬱屈した感情だ。 おそらく世の中の大半の人(コロナ禍後に生まれた赤ちゃんは除く)は同じ思いを持っていると思う。 誰も恨む事

          ギター10

          新潟に戻ってから、さまざまな会社を転々とした。 その度に自己嫌悪とひどい鬱のような状態になったが、私は基本的に楽天的な人間であり、なんとかなるさ、というアホな考えなしである。 何個目かの会社で働いていた時、一緒に働いていた先輩で、ブルースについてものすごく詳しい人がいた。 私はブルースについては、あまり知識がなく、黒人が作った音楽のジャンルの一つでジミ・ヘンドリックスも影響を受けている。くらいしか知らなかった。 しかし、その先輩をキッカケに私はどんどんブルースに惹かれてい