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No.11「ゴールはその先にある」

人は、入口をゴールにしてしまう。
ゴールは、入口の、もっとその遥か先に存在するものだ。
人はライフイベントごとに目標を立てる。そしてその都度、ゴールと入口を勘違いしている人がほとんどであり、毎回毎回同じ過ちを繰り返しているのだ。ここで一番怖いのは、過ちを繰り返していることに気づかずに人生を歩む人がほとんどであるという事実だ。その過ちを繰り返してきた代表的な1人がまさに私である。私は、振り返ると何かを成し遂げるために目標を立ててきたわけではなく、本質的には自分の保身のために目標を立ててきたように感じる。私は今、初めて、入口の先にあるゴールを目指して人生の選択をしたと感じているが故に今までの自分にそう思うのである。
今から、「ゴールはその先にある」とはどういうことなのか、一般的な話と自身の経験を計3つ踏まえて記していこうと思う。

先ずは皆さんに一番馴染みのある一般例、大学受験を例にお話ししよう。大学受験をして難関大学に入学した学生が、留年を繰り返す、大学で成績不振に陥るといった話はよくある話だ。難関大学に合格できる人間が、大学の授業内容についていけないなんてことはあり得ない。これは入学がゴールとなってしまっているため起きる現象である。つまり、入口がゴールとなってしまっている典型例である。どんな難関大学だろうと、入ることだけに意味はなく、ましてや卒業できなければ何の意味もない。難関大学に行くということは、入学後に、そこで何を学び、何を得るかが大切なのだ。本来は大学受験時の目標も「〇〇大学に合格」ではなく、最低でも 「〇〇大学で◇◇を学ぶ」、「〇〇大学で◇◇を学び、将来□□を成し遂げる」といった入学後の先を見据えた目標とするべきなのである。

次に私の大学時代の部活経験をお話ししよう。私は、弓道で「日本一」を目標に掲げ、猛練習に励み、試合にも出場し続けていた。しかしながら私はイップス(試合恐怖症)あり、試合に出るのがとてつもなく怖かった。私は当時、試合には出場し続けていたが、重要な場面になると自分を交代させたり、一番大きな体育館で行う大会ではメンバー入りはしたもののいざ自分が出場しそうになると頼むから出場したくないと失敗する恐怖から願ったりなどしてしまっていた。私は、口では「日本一」と言っていたが、今振り返れば、メンバーに選ばれること、試合に出ること、まさに入口が自身の中でゴールになってしまっていたように思う。当時は、がむしゃらには取り組んでおり、試合に関係できている自分という姿がほしくて、できないことを否定されることが怖くて、このような心の中での目標となってしまっていたのだろう。あの当時、もっと先を見据えたゴールを自分で持てていたら、自分のバフォーマンスに関してもだが、もっともっとチームに対して良い判断ができたのではないかと思う。

最後に、私の新卒就職から転職までの話をお話ししよう。私は、就職活動において街づくりがしたいという想いを胸に活動に取り組んだ。結果は、大手の鉄道会社から内定をいただけ、他者に少しは自慢できるような就職活動となった。しかし、いざ入社してみると鉄道の収入が会社取入全体の約9割を占め、街づくりは行っていなかった。他にやりたいことが現職にないか3年間必死で探したが、自分としては見つけることができなかった。そこで私は転職活動を始め、不動産に関わる仕事を行う会社から内定をいただけた。やりたいことの見つからない現職と、やりたいことに近しい転職先、どちらを選ぶかは一目瞭然かのように思える。しかし、私は現職に残留するか、転職するか非常に悩んだ。自己分析を進め、必死に悩み抜いたとき、この選択を決断するためのキーワードはまさに「ゴールはその先にある」ということだった。現職を出られない理由は何か。それは世間から羨まれるような大企業であることや、給料が安定しているといった自分の未来への期待ではなく、現状つまり入口での満足感だということに気がついた。そして転職する理由が、自分の未来への期待、つまり入口のその先にあることにも気がついた。人生を入口で終えるのか、人生をその先に進めるのか、私に迷いはなくなった。転職を決断した。今は新しい環境に飛び込めるワクワク感しかない。ここまで悩み、自分のなりたい姿、やりたいことを深く考えたからこそ、「ゴールはその先にある」にあるということに気がつくことができたのである。この経験があったからこそ、前述した大学時代の経験も入口をゴールとしてしまっていたことに、今となってようやく気がつけたのである。

いままで色々な事例を述べてきたが、「ゴールはその先にある」ことに気がつくことが非常に難しいことも現実である。大学受験の事例で言えば、大学に合格さえすれば大いに祝福され、その先を見据えた指摘をしてくる人など多くはない。会社で言えばもっと気がつくことは困難だ。安定した大企業に入社できれば、大学受験同様に祝福される。そして、入社すれば会社は内容問わず自分に仕事を与えてくる。自分のなりたい姿、やりたいことをしっかり考えなければ、場に流され、そのままの人生を続けてしまうことだろう。しかし、気がつくことが難しいからと言って、それで良いのだろうか。自分が人生の終焉を迎えたとき、場に流され、入口をゴールとし続けた人生を本当に誇ることができるのだろうか。

私自身、今後も入口をゴールとしてしまうことはあるかもしれない。しかし、この気づきを体感できたからには、「ゴールはその先にある」と自分自身に問いかけ続け、一度きりの人生をしっかりと歩んでいきたいと強く思う。

この決意を胸に、ここに筆を置くこととする。

2022年4月6日 記

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