潰瘍性大腸炎からの大腸全摘日記 ① 「手術前日」

 2015年発症以来、ほぼ丸8年患って来た潰瘍性大腸炎、その間、ステロイド(プレドニン)や免疫抑制剤(ロイケリン)を処方されたことはあったけど、ほぼペンタサ / リアルダだったのが、2023年9月の内視鏡検査でポリープが見付かったのを機にゼルヤンツというビックリするくらい高い薬に変わった。「ただ事ではない」と思わざるを得ないし、免疫を抑える薬で副作用も強く、高熱にうなされることもあったけど、「効く!」と信じて飲むしかなく。

 3ヶ月ほど経った12月半ば、いきなりの帯状疱疹に見舞われた。副作用として出やすいことは事前に説明受けてたし、高校の頃に一度経験してたので、対処は速攻だったはずだが、右半顔から始まり、歯も頭も激痛に襲われる始末。一番酷かった時の痛みはさすがになくなってるけど、半年以上経った今も痛み止めを減らすと痛みが酷くなってしまう。

 帯状疱疹と診断されたタイミングでゼルヤンツは終了したけど、寧ろ休薬した後の方が症状は落ち着いてるような印象ではあったので「高い薬はやっぱり凄い!」と思ってた。休薬した時点で、実費だと100万超えてたはず。賛否両論あるとは思うけど、指定難病患者への医療費助成制度は本当に有り難い。

 そんな状態で、2024年5月、約半年振りの内視鏡検査に臨んだんだけど、「今度こそ良くなってるはず!」という期待とは裏腹に、更なるポリープが。しかも「尋常じゃない大きさ」とのことで、2週間後に絶食伴う本気の内視鏡検査をすることに。見付かったポリープの生体検査の結果は癌ではなかったが「放っておくと確実に癌化する」「腸自体が弱っていることもあり、ポリープだけ取ることは難しい」という所見で、大腸全摘一択という、中々穏やかじゃない診断が下された。

 当然、消化器クリニックでは手術出来ないので、別の病院(京都・第二日赤)に紹介状書いていただいて受診したものの、「症例が少なくて、ウチでは面倒見切れない」(多少、意訳です)とのことで、再度、別の病院:兵庫医大へ。

 家から遠いし、面倒じゃないと言ったら嘘になるけど、初めて外科の先生の所見が聞けるので、ある意味、期待も抱きつつ受診したものの、大腸全摘一択は変わらず。が、具体的な説明も聞けて、この時点で自分なりに納得は出来てたと思う。

 「即決出来る人はいないので、2週間、調べたり考えたりしてね」と言われるも、調べてどうなるわけでもなく。この辺は個人の価値観の差が出ると思うけど、僕は「経験した人に聞くのが一番良いに決まってる」と常々思っているので、知り合いの知り合いにそういう人がいることを思い出して、お願いしてセッティングしていただき、電話でお話することが出来た。

 その後、講師を勤める佛教大学オープンラーニングセンターの打ち合わせに行った時に「どなたか全摘された方、いらっしゃいませんか?」とダメ元で聞いてみたら「確かあの教授が…」という展開。しかもその日、学校に来られてて、たまたま時間取っていただけるタイミングだったので、研究室にお邪魔してお話を伺うことが出来た。

 お二人に共通してるのは、ネガティブな要素が全くないこと!術後のトラブル等に関して質問してみても、当然、色々あるけど、気になってない、というか、多分、そんなことよりも、潰瘍性大腸炎の辛さから解放される方がデカい、と解釈してた。

 この時点で、僕が手術しない理由はなくなってたと思う。消化器クリニックで診ていただいてたこともあると思うけど、「切らないで治るに越したことない」どころか「切る」という選択肢が出て来たことは全くなかったのが、ポリープ切っ掛けで「切って楽になるなら…」と考えられるようになるんだから、分からないもんだと感じてた。

 勿論、僕が2人の全摘パイセンのように「手術して良かった!」と思えるかどうかはやってみないと分からないけど、手術してない今も大概しんどいわけで、元々は「放っておいたら確実に癌化する」って話から始まってるので、やるしかない。っていうか、最初から選択の余地はなかったと思うけど。

 …と、手術前日にこれを書いてる。昼頃に入院してダラダラ過ごして…くらいに思ってたら、エラい忙しい。検査やら説明やら、デカい病院なので歩き回らないといけないし、ずっとバタバタして、夕方にはすっかり疲れて起きてられない始末。
 
 が、もうやることはないかな。あとは指定された時間に薬飲んで寝るだけ。

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