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【備忘録】息子の不登校~④不登校中の生活と放課後登校~

自分の備忘録として、息子の不登校を振り返ってまとめています。
今回は現時点までの記録 不登校生活の始まり、不登校中の生活、放課後登校について書きたいと思います。

◆不登校生活の始まり

入学当初からの登校渋りに始まり、約2か月の終日付き添い登校から、ほんの1か月間だけ息子は1人で授業を受ける生活をしました。友達もできて、一見すると楽しい学校生活を送れるようになったように感じられましたが、そんな状態はほんの一瞬。すぐに登校渋りは再燃し、とうとう2020年12月初旬、息子は学校に行けなくなりました。

夏休みが10日間程しかなく、2学期はとても長く、本来であれば日数的にはもう冬休みに入っている時期。疲れも出たんだと思うし、よく頑張ったと思うと担任は本人・私を労ってくださいました。
勉強も2学期の復習に入っていて、既に理解できていることを毎日繰り返し学習することにも、息子は苦痛を感じているようにも見えました。

登校渋りが徐々にひどくなり、朝教室まで付き添わないといけない状態に戻っていき、私自身もう少し心に余裕をもって対応してやれば良かったと後悔していますが、その時はそんな余裕は持てず、不安で仕方がないところに、スクールサポーターからの「お母さんがいると、かえって集中できないから帰ってください。」の言葉に、怒り・悔しさ・悲しみ・不安・・・よくわからない感情があふれ出し、今振り返ると、息子と同じように私も学校に足が向かなくなっていました。

こうして不登校生活が始まりました。

◆不登校中の生活・放課後登校について

放課後

不登校になってから、まず朝起こすのはやめました。
息子は、寝つきは悪くなかったですが、睡眠の質が悪くなっていて、怖い夢を見ては夜中に目を覚ます、夢を覚えているので眠りも浅かったように思います。朝食はほとんど食べれずの状態でしたから、まずは安心して、よく眠ってよく食べるという健康的な生活を取り戻すことを優先しました。
勉強も本人がやる・やりたいと言うまでは一切声をかけるのをやめようと心に誓いましたが、内心は不安でいっぱいで、子どもを見張っている状態だったかもしれません。
息子は徐々に元気を取り戻し、ゲームやYoutube三昧の生活になっていきました。

私は毎朝学校に欠席連絡をするのが苦痛だったので、担任にそれを伝えて、電話連絡はしなくてもよいことにしていただきました。

ちょうど学期末にさしかかる時期だったので、個別懇談会には出向きましたが、終業式の日にあゆみ(通知表)を取りに行くまでは学校に行くことは全くなく、週に1~2回担任から電話が入るといった生活になりました。

年が明け、新学期が始まって1週間くらいした頃、担任とも相談し、週1回程度の放課後登校をしてもよいか?と学校側の都合を聞いてみました。学校側のOKのお返事をいただいてから、息子に声をかけてみました。
朝から登校することは難しいと言ったので、週1回程度、放課後に学校に行ってみないか?と提案しました。
その頃の息子が内心どんなふうに思っていたのかわかりませんが、私の声かけに対し、拒否することはなく、「じゃあ行くよ」といった返答でした。

放課後登校すると、教室には担任と初任者指導の先生がいらっしゃいました。学校側の配慮だったんでしょうが、担任は私の話を聞く、初任者指導が息子の思いも確認せず、一方的にプリント等の勉強をやらせるといった対応でした。
息子の思いは聞いてもらえないのかな?と感じ、担任に伝えましたが、担任も初任者指導の先生に何も言えないのか、対応は変わりませんでした。私に対しても、勉強の遅れを諭され、学校に来れなくても、自宅でお母さんが教えてあげないと高学年になった時に本人が可哀想な思いをすると言われました。「はぁ・・・」と適当に相槌を打ち、自宅に帰ってから、息子に「学校行っても楽しくないよね?」と聞いてしまいました。
息子は私の言葉に『行きたくない。』と言ってくれました。

息子が行きたくないと言っていることをお伝えし、放課後登校をお休みしたところ、ようやく担任も初任者指導の先生と話ができたのか、電話で息子の思いを確認し、図工や生活科のオモチャづくり等からやってみないか?と声をかけてくださるようになりました。
息子もそれはやってみたいと言い、週1回の放課後登校を継続し始めました。4月になり、2年生に進級。担任も持ち上がりで変わらなかったため、相談させていただき、放課後登校を週2回に増やしてみました。
週1日は勉強、週1日はパソコンや図工など、30分程度ですが、曜日と時間を決めて継続することができています。

忙しい中、担任の先生には協力していただいて、本当に感謝しています。

◆今感じていること

色とりどりボタン

放課後登校を始める際も私からの提案であり、息子は本当は行きたくなかったのかもしれない。学校に行きたくないと思っている息子を結局無理に学校に行かせようとしているのかもしれない。私にはずっと罪悪感がありました。

7月に入ったのを機に、「放課後登校、1人で行ってみたら?学校までは送ってあげるから、学校の中には1人で入っていって、〇〇先生とお勉強しておいで!もうきっとできるよ!」と息子に伝えました。
そろそろ息子の背中を押してみたいと思ったし、本当に気持ちを確認したいとも思ったんです。たとえそれで放課後登校ができなくなったとしても、言いたいことが言い合える親子関係でありたかったんです。

私の言葉に息子は「えー!!無理!」と返答。
私は『じゃあ、学校行くのやめる?』→息子「じゃあ、やめるわ!」完。

息子のあまりに迷いのない即答に、やっぱり行きたくなかったんだよねと納得してしまった私。
担任やお世話になっていた教育相談の担当者に、経緯と私の思いを伝えても理解されるはずもなく・・・苦笑。
息子はその場その場で、お世話になっている担任や教育相談担当者に配慮してか、「お母さんがついていってくれたら、僕は放課後学校に行きたいんだけど・・・」と言うも、私が帰宅してから確認すると、「いや、行かない。」と言うので、私は様子をみていました。

担任や教育相談担当者とのそんなやりとりから数日経ったある日、寝る前にふと息子がひとこと。
「僕はお母さんがついてきてくれたら、学校に行きたいんだよね。」と。
私は思わず、『お母さんは学校の中に行きたくないんだよね・・・』と。
息子は「そんなこと言われたら、また落ち込む!!一緒に来てよ~」と。
やっと言いたいことが言い合える親子になれたかなと嬉しくなりました。
以前の私だったら、息子が学校に行きたいという気持ちがあるところに嬉しさを感じていただろうけど、今はそんなことはどうでもよくて、息子が私に本当の気持ちを言ってくれたことが嬉しかったです。
この半年間、本当に苦しかったけど、大事なことに気づかせてくれたのも息子の不登校でした。

小学校低学年の不登校は、本人の発達の凹凸や発達障害、環境変化に対して母子分離不安が強くなる等が原因と言われることが多いようです。
うちの息子の場合も、発達の凹凸・HSC・ASDがあるのかもしれませんし、
母子分離不安は確かに強いです。
教育相談では受診も勧められており、発達相談外来を予約したところ、初診予約は半年先になると言われ、9月末に受診する予定です。
受診して診断がついたところで、息子の不登校は解決しないと思いますが、対応を検討することはできるのかもしれません。

もっと余裕をもって対応してあげれば良かったのに、あなたのことが心配で仕方がなくて、あんな対応になっちゃった。ごめんね。
こんなお母さんでごめんね。こんなふうにしか生きられない母ちゃんでごめんね。
でも、お母さんのところに生まれてきてくれてありがとう!
あなたのおかげで、大事なことに気づけたよ!
それまでの価値観・考え方・生き方がひっくり返るような体験で、私と息子、私と夫、私と両親、親子関係や夫婦関係を見直す良い機会になったと今は言えます。

他の子と同じように学校に行けない息子、HSCであれば5人に1人の息子。
それなら、私も5人に1人の親になればいい。
他のお母さんと同じ親でなくていい。
世間から何を言われようと、どう思われようと、息子との親子関係を大事にしていきたいと思う今日この頃です。

まとまりのない文章を最後までお読みいただき、ありがとうございました。


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