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【備忘録】息子の不登校~③付き添い登校をやめるまでにやったこと~

自分の備忘録として、息子の不登校を振り返ってまとめています。
今回はPART 3 終日付き添い登校をやめるまでにやったこと、やめてからの息子の様子について書きたいと思います。

PART1・2をまだお読みでない方はこちらをどうぞ!

◆終日付き添い登校をやめるまでにやったこと

最初は私と息子の間で、「給食まではいるけど、5限目が始まったら帰るよ」といった感じで、目標兼約束を決めて、少しずつ私が学校にいる時間を短くしていきました。
そのうち1限目が始まると同時に帰宅できる日も出てきたのですが、やはり朝教室になかなか入れない日もあり、学校側の協力は必要でした。

面談の際、朝教室まで送っているが、いずれは玄関までにしていきたいと私の思いを伝えました。

担任は、「本人の意向を大事にしたい。」
学年主任・スクールサポーターは、「距離を取った方がよい。学校まで連れてきてもらったら、あとは学校に任せてもらってよい。」
特別支援コーディネーターは、「お母さんに会いたくなる気持ちは自然なことで、ダメなことではない。それを学校の中の誰かと共有できるとよいと思う。その役割は担任が担うべき。廊下は目の届くところ。お母さんからのバトンを担任が受け取れるように出迎える。お母さんは少しずつ距離を取っていかれるでよいと思う。」

こうして、担任の協力が得られることになりました。
私は教室近くの別室から先には行かないことにし、必要であれば担任がそこまで来てくれました。息子と徐々に距離を取っていき、朝別れる場所も教室から少しずつ玄関に近づけていく形で、慎重に慎重に進めました。
もしうまくいかなくても、一度決めたことは息子に伝えて、逆戻りはせず、できたところまでを維持する形で徐々に距離を取っていきました。
玄関で別れることができそうなところまで来た時には、仲良くなったお友達の登校時間に合わせて、登校することにしました。お友達の存在は大きく、調子が良ければ、お友達と仲良く会話しながら、私の姿を振り返ることもなく、校内に入っていけるようになりました。

こうして、約2か月ぶりに、玄関までの送迎のみで帰宅できる日が来ました。その時の達成感と充実感。束の間でしたが、その時は嬉しかったです。
でも、そんな日は決して長くは続かなかったのです。

◆登校渋り・不登校を克服したのは誰?

集団登校はできないけれど、行き帰りの送迎は必要だけど、でも学校に他の子と同じように通えるようになった!
勉強の遅れも出ていない、通えるようになれば、これで大丈夫!
私は丸々2か月付き添い登校して、息子を学校に通わせることができた!
苦労した甲斐、我慢した甲斐、頑張った甲斐があった!
よく頑張ったよ、私!

後になって振り返って気づいたことは、私は息子のためではなく、自分のために息子に付き添っていたということです。
息子の気持ちを確認しているつもりでいたけど、学校に行かないという選択肢は最初からなかったんです。通うことが前提。そのためにどうするかを聞いていただけ。それも心の中では、絶対に通わないとダメ!という思いを持って息子と話をしていたのです。

実家の母や夫と「良かったね!」と言い合い、息子が学校に行けるようになったのは全て私の手柄のようにふるまっていました。
今思い出しても恥ずかしくて、顔から火が出そうです。
そんな時、息子は「僕も頑張ったよね?!」とポツリと言いました。
もちろん、そうだよ!と言いつつも、私は息子の本当の姿を見ようともしていなかったし、本当の気持ちを知ろうともしていませんでした。

◆今振り返って思うこと

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終日付き添う必要がなくなったとはいっても、客観的に振り返ると、息子の状態は登校渋りに戻っている状態でした。
私は丸々2か月、暑い廊下で付き添いして、完全に感覚が麻痺していました。朝の行き渋りはずっとあったし、付き添いをやめたことで、学校での様子は私の目に入らなくなっただけのことでした。
息子は教室に入っても、不安でなかなか席につけず、担任の横にいたり、スクールサポーターに付いてもらったり、ひどい時は家に帰ろうとして玄関に走っていったりしたこともあったようです。
担任に言わずに、教室を走って飛び出してしまう行動は、学校では問題行動になります。スクールサポーターに呼び戻され、泣きじゃくっていると、授業の妨げになるので、廊下に座席ごと出され、そこで1人で泣いていた日もあったのです。
廊下に出される行為は計3回起きました。私は初めて廊下に出されたことを息子から聞いた時に、心が張り裂けそうになりました。
息子は「僕、悪いことしてるんだよね?」と言いました。
ただでさえ不安に感じている子どもを余計に不安にさせるような行為だと思いましたが、迷惑をかけていることは事実。学校はこれ以上の対応は難しいのだと思い、そこまでの状態になるのであれば連れて帰るので連絡してほしいこと、二度と廊下に出すことはやめてほしいとスクールサポーターに伝えてほしいと担任に伝えました。でも2回目、3回目が起きました。

こうして振り返ると、不登校になっても当然。
息子のエネルギーはどんどん消耗し、枯渇していったのでした。
玄関から校内に入っていけなくなり、教室まで付き添わざるを得ない状態に戻っていきました。
それまでの学校の対応で、情報共有がうまくなされていないのであろうとは思っていましたが、私と息子の様子を見たスクールサポーターから、「お母さんがいると、かえって集中できないので帰ってください!」と言われ、私は息子と一緒に帰りました。
翌朝から、息子は「学校に行きたくない。休みたい。」と言うようになり、ひどいと泣いて起きてくるようになりました。熟睡もできないのか、よく怖い夢を見たと言っていました。
まずは息子の命・健康の方が大切。どうしてこんなに当たり前なことに気づかずにいたのかとまたまた自分を責めました。でもようやくもう学校に行かなくてもいい、行きたいと思えるまで行かなくてもいい。心の中は不安でいっぱいでしたが、そう言ってやることができ、息子の不登校生活が始まりました。

次回は、不登校中の生活と放課後登校について書きたいと思います。
最後までお読みいただき、ありがとうございました。

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