【生協編】まさ君のコープ挑戦記 Vol.7~生協からの卒業と転職【前編】~
皆さんこんにちは。前回のブログで販売コンクールで1番の成績を達成した戦略について書きました。生協という組織は非常に魅力的です。理念に象徴されるアイデンティティもそうですが、春秋に開催される新規組合員さん入会キャンペーンでは、各自の目標達成に向けて厳しく管理し達成に向けてチームで動いていきます。組合員さんが減る=生協の存続ができなくなる からです。その為には既存の組合員さんに紹介してもらうは勿論、子供の遊具(三輪車や子供用自転車)などを見かけたらお宅にチラシを入れて後日サンプルを持って訪問する、或いは集合住宅などは定期的にポスティングをして後日全件ピンポンして回るなども行いました。既存の組合員さんに商品をしっかり売るだけでは不十分なんです。キャンペーン時には配達終わってから営業に出かける事もしていました。今、思い返しても厳しい仕事に白旗を上げなかった経験は人生の財産である事を実感しています。
話は戻りますが、生協で1番を取った私は旅にでました。と言うのは、生協は労働環境がよく連休を奨励されており、チームで代配(その人のコースを代わりの人が配達する)しながら休む事が可能なのです。私は九州に一人旅へ向かいました。社会人になって3年目を迎え、人生について今一度考える旅です。
九州へは愛媛県の八幡浜港から大分県の臼杵港に渡り、別府温泉~阿蘇で大自然に身を置き帰ってくるルートに決めました。
八幡浜港から出るフェリーに乗り海風の中で考えていました。最初生協とはどんな組織と知らず、スーパーマーケットの一つだと思って入社(協)試験を受けたという経緯がありました。大学の卒業論文のテーマも「スーパーマーケットのチラシ広告」についての研究でした。生協という組織は店舗事業もしていますが、主力は共同購入事業。売上規模では店舗と共同購入では5倍ちかくも違います。
今は生協では花形の共同購入事業の地区担当者をして、学びも多く実績も出し楽しく仕事をしている。しかも、このまま残って今後店舗事業を担当する事もできる可能性もある。人生の舵取りは自分一人で決めるものです。正解は無いし、失敗しても誰も責任をとってくれる訳でもないからです。この旅が終わるまでに結論を出そうと心に誓いました。
2日目、向かったのは別府温泉。湧き出る湯量日本一の「地獄めぐり」でも有名な別府温泉は、その辺のあちらこちら、路地や小川からも湯気が出ています。私は観光目的の「地獄めぐり」ではなく、目指すは旅のガイドで見つけた「泥温泉」。泥で出来た温泉なんてここに来ないと入る事はできません。到着すると近くに産出する蒸気で蒸して作る「地獄蒸しプリン」!食べるしかありません。泥温泉は秘境という感じで平日の朝だった事もあり観光客はほとんどいませんでした。そして泥温泉へ・・・。泥は比重が重い為、力を抜くと泥の中で体が浮きました。肌もすべすべになり(男なんであまり関係ありませんが)貴重な経験ができました。
次の日は阿蘇。私の大好きな土地です。ユースのご主人が教えてくれたのですが、昔阿蘇は神聖な場所で修験者しか入山を許されておらず、江戸で何か不穏な事があると知らせが来て、修験者が山に登って神に祈る場所だったそうです。大自然で草千里が広がり、高く登ると今も活きている活火山の火口。天候も良く、当日は火口まで登る事ができました。火口の中の水は溶岩や火山ガスで虹色に輝き、竜がここから昇るという伝説も含め神秘的な空気で、”神の居る場所”という響きがピッタリでした。帰りの草千里の山道を一人歩きながら、これ以上ない贅沢な環境で自問自答をする事ができました。今、自分は人生の舵をどう向けるべきなのか・・・。
そして帰りのフェリーでは自然と結論がでていました。次のステージに行こうと。これまで店舗事業とは全く違う仕事をしてきたけど、本来目指していた店舗事業へチャレンジしよう。そして間近に迫った春の人事異動で店舗へ異動がなければ転職をする事に決めました。
そして旅から帰ってすぐ春からの人事異動の発表がありました。私に通知は来ず、それは残留を意味していました。さて、それでは、まず所長に報告して、手続きして・・・あれやこれや・・・やるべき事は考えただけで沢山でてきました。そしてこんなに親切に、こんなに仲良くなった、僕を一番にしてくれた組合員さんとの別れも・・・考えただけで胸がキュンと締め付けられました。次回は組織を辞める時の話とそれから実行した転職の戦略について書きたいと思います。それでは、また。
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