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#19 変化を受け入れる・受け入れてもらう

ある人がこんな話をしていた。

「変化」を起こそうとした人が、きちんと評価される社会でないといけないと思う。
もし、「変化」を起こそうとした人が失敗して、それを理由に第一線から退かないといけないとするならば、社会には「何もしない人」しか残らない。
それだと、衰退していく一方だ。

僕は、働いていて「変化」という言葉を意識したことはあまりないけれど、「こうやれば上手くいくのではないか」「せっかくやるならここまでは達成したいな」など、少しでも良い仕事ができるように、自分なりに心がけてきたつもりだ。




だがある時、後輩の社員が、組織を変えようと「チャレンジ(変化)」を試みたことがあった。

具体的な内容は言えないが、昔からある慣習を変えようとしたのだ。

その変化は組織内外に影響をもたらすもので、上司たちは特に顧客への影響を懸念し、「チャレンジ」と呼べない程度の、「マイルドな改善」に変更させた。

当時、若干ではあるが、後輩のことを裏で非難する声もあった。

そして、何を隠そう、この僕も今回の「チャレンジ」に心がざわつき、「マイルドな改善」に一安心した者の一人なのであった。

その次の仕事から、彼は「チャレンジ」しなくなった。



どんな会社でも起きている「あるある」だと思う。

上司たちも、クレームや損失から組織を守るために止めたのであり、当然の行動だと思う。

でも、後輩の立場からすれば、「周りの大人たちが寄ってたかって『チャレンジ』に非難してきて潰された」と感じたかもしれない。

その後輩が「変化」を起こそうとしたことは事実であり、それ自体はもっと評価すべきであったのだと思う。




ただ、ここでもう一歩踏み込んで、「なぜそのチャレンジが評価されなかったか」ということを考えたい。

僕が思うに、彼のチャレンジは、チャレンジというにはあまりにも「思いつき感」とその後輩自身の「オナニー感」が強かった。

上司たちを納得させるには少々お粗末過ぎたのだ。

自分の一挙手一投足が、常に「他人に影響を与える」ということを理解している必要がある。

厳しいかもしれないけれど、「それってただのオナニーだよね」と思われた時点で彼の負けだったのだ。


また、彼にはチャレンジを受け入れてもらえるだけの「信頼」がなかったということだと思う。

「信頼」を獲得するためには、いきなり我を通すのではなく、まずは言われたことをキチンとこなしていかなければならない。

その時点で彼は入社して1年経つか経たないかだったので、チャレンジするには早かったのだと思う。

組織との信頼関係があってこそ、チャレンジの背中を押してもらえる。

厳しいが、それが組織で働くということだ。




「変化を受け入れる組織」であることは、今いる社員が成長するためにも、また、素晴らしい人材を採用していくためにも、絶対に必要な要素である。

同時に、社員の側は、チャレンジを受け入れてもらえるだけの「信頼」を貯めなくてはいけないのだと思う。

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