両親から受け継いだもの
こんにちは
akaです。
私の両親の印象は今もずっと変わっていないです。
二人ともに
・勤労
な人でした。
父は私が生まれて少しして位に独立して自営で不動産業を営んでおりました。
1人で不動産業を営むと言うのは、社会人になった自分が思うに本当に大変だったろうなと思います。
絶対に私には出来ないです。
晩年には産業廃棄物処理施設の設置のお仕事も営んでいました。
父はいつも穏やかな雰囲気で優しい人でしたが、非常にパワー・バイタリテイが有ったと思います。
そして何より根性の塊のような人でした。
晩年、糖尿病や肝がん糖を患い治療をしながら自分の仕事をやり遂げるべく、私たちの為に頑張ってくれていました。
父は病に伏して闘病しながらも携帯で色んな人とお話をして仕事を進めていました。
私は家族んためにずっと頑張ってくれた父を尊敬しています。
頑張り続ける父の姿を小さい頃から見続けて来ました。
私は父を越えられません。
間違いないです。
1人でお仕事を頑張って家族を支え、息子二人を社会に出す。
私には出来ないです。
私と弟が小さい時には家族皆、愛犬ボビーも一緒に車で色んなところへ連れて行ってくれました。
本当に楽しかったです。
思い出を作ってあげようとたくさん連れて行ってくれたのだと思います。
本当に有難いことです。
今年の父の命日の前から父からメッセージが送られてきた感覚が強いです。
「自分を活かした仕事をしなさい」
お墓参りや父の命日のお勤めをしているときに、そう言われ続けているような気がしてならなかったのです。
父の言葉でずっと覚えているものが在ります。
・人に使われて終わるな
・おまえは英語を伸ばしなさい
という言葉です。
サラリーマンを早期退職して自営の仕事をしているので人に使われるなという教えは守れています。
これからも守り続けられるよう精進します
英語についての教えは何かといいますと、中学・高校と英語の成績だけは良かったからです。
他の教科はダメでしたが、何故か英語だけは真面目に勉強していました。
(成績のバランスが悪すぎて結局大学受験には失敗して浪人してしまいますが)
私は小さい頃からスパイダーマンなどのマーベルコミックの翻訳版を読むような子でした。
ずっと映画はハリウッドのものが好きです。メデイアはアメリカかぶれだと思います。
これが影響して英語の成績が良かったのかもしれないです。
ただ今もSNSで海外の人の記事を頻繁に見る機会があり、これを翻訳せずに読めたらなあという思いも有ります。
ハリウッド映画にしても字幕・吹き替え無しで見られたらという思いもあり、今は無理ですが将来的に英会話を学ぶこともあるかもしれません。
お墓参りに行って父の言葉が聞こえる時もたまにあります。
有難かったのが
「おめえは自分に出来ることをやり続ければええんじゃ」
という父の言葉です。
仕事の方向性が見えず悩んでいた時にこの言葉が聞こえました。
自営で生きていく私の生命線だと思っています。
父に本当に感謝しています。
母の印象についてですが、私は小さい時母がとても怖かったという記憶が有ります。
小さいころわがままを言ってたくさん怒られたのだろうなと思います。
母は本当に真面目で勤労な人でした。
私が社会に出て一人暮らしを数年した後に、神戸で一緒に母と愛犬マックとともに再び暮らし始めました。
その時も、朝7時前には朝食作り、簡単なそうじ、洗濯を終えてから
毎朝私を起こしてくれていました。
気にしていなかっただけで、私が幼少のころからずっとそのような生活習慣であったのだろうと思います。
体を壊して召されるまでずっとそのような生活習慣でした。
肝がんになった状態でもなお、私の為に料理の準備をしてくれようとした時が有ります。
母には本当に感謝しています。
母が生きているときに作ってくれた料理が「銀河系で一番美味しい」と言葉で伝えてあげたら、と今でもいつも後悔します。
母が召される前に椅子に座りながら、私が一番好きだった牛肉と白菜を醤油で焚いた料理を作ってくれました。
この料理の味は私は一生覚えていると思います。
本当に美味しかったです。
母は本当に料理が上手かったんです。
今でも色んな定食屋のメニューや宅配弁当、スーパーで売っている総菜を毎日食べますが、やはり母の作ってくれた料理が一番だといつも感じます。
両親の思い出をこのように綴っている今でも思います。
自分一人で大きくなったように勘違いしてまともな会話もしてあげず、親孝行もしなかった自分はクソ野郎だなと。
・家族を大切にしなかった自分は幸せになる資格はない
・そんな人間は誰にも愛されるわけがない
この10年以上このように思い続けて、自分を犯罪者のように思い、自分を責め続けて生きて来ました。
今は少しづつ和らいできています。
「そのように下を向き続けることを天国の家族が望んでいるのか」
色々な方にこのように言われてきましたが、自分を許せない気持ちの方がずっと勝っていました。
でもある時に、許すことは出来なくても「この許す・許さないと言う気持ちは手放して」学び続けて今までの自分と同じように
・家族を亡くしてずっと苦しんでいる
・自分を責めることを止められない
事に悩んでいるお方に貢献することで「私のネガテイブな気持ち・思い込みを昇華できるかもしれない」と思った時が有りました。昨年の夏の今頃です。
この思いがずっと頭に有りましたが、具体的な行動には移せていなかったです。
先日機会が有り、NLPの先生に「今までの自分と同じような苦しみを抱えておられるお方に貢献することで、私のネガテイブな思い込みは昇華出来ますか?」とお聞きしました。
「昇華できます」等お返事をいただきました。
他にもいろいろな質問をさせていただき、私の言葉を用いてしっかりお答えくださる先生でした。
他のある稼ぐ系のコミュニテイでは、質問に対して講師が質問者の言葉ではなく、自分の言葉を使って端的に言いたい事だけ言っているような所も在ります。
過去にそういう講師とやり取りをする機会が有りましたが、信用も出来ないですし、リアルで会うことは無いと思います。
でもこのNLPの先生は違いました。逃げずにちゃんと私の言葉を用いてしっかり最後まで全ての質問にお答えくださいました。
だから信頼出来るなと感じて、その時にこの先生に付いてNLPを学ぶと決めました。
親孝行できなかったクソ野郎で終わる事は、さらなる親不孝です。
「俺はクソ野郎だからこそ、クソ野郎で終わってはならない」と言う言葉が、いつの頃からか私の頭の中で回っています。
母は「人間死ぬまで勉強じゃ」とよく言っていました。
「ケセラセラ」という言葉もたまに使っていた記憶が有ります。
「ケセラセラ」とは「やるだけやったら、あとは気にしない」の意味だと捉えています。
私の人生はまさに母の言葉通りになって居ます。
ずっと学び続ける人生を送って行くのだと思います。
そして「やるだけやる」という信条で生きていくのでしょう。
・父の教え「出来ることを積み重ねる」
・父の根性
・母の教え「死ぬまで勉強」「ケセラセラ」
・父母の勤労さ
これらをしっかり実践・真似をして行きます。
そしてNLPなど、これからも引き続き学び続けて、しっかり人様に貢献していきます。