「意識」が「脳」を作る。
こんにちは、サイキック整体竹内です。
いつもご覧いただきありがとうございます。
今回は趣味全開、竹内晶貴という人間が持つ純度120%のお話。
なかなか本気を出して好きなことを書くということをやってないわけですが、どうしてもまとめたいことがあったので心の赴くままに書き連ねたいと思います。
僕は自分の文章が好きだし、日々のXの発信も好きです。
でもそれが受け入れられるかどうかは別だと思ってます。
その中で自分以外の人からこうして多くの反応をいただけるのは嬉しいです。
今後ともよろしくお願いします。
タイトルにもあるとおり
あるXの発信で「脳が意識を作るのではなく、意識が脳を作っている」というものを見て久しぶりに「うげぇ最高だ〜」ってなりました。
もうこういうの大好き。鼻血出る。
そうだよなぁ〜・・そうなんだよなってマジで思いました。
ならば日々の自分が大事にしているイメージの話とか、施術における感覚というのをもっと信じてというか確信を持って事にあたるために、経験したり勉強したりすればいいんだと思いました。
科学的な根拠とか、歴史とか、そういう「精神的な後ろ盾」みたいなものがない、あるんだけどわかりにくいことを僕はやってると思ってて、今までにあまり見ないタイプの施術をしているため、人に頼るとかアドバイスを求めるみたいなことが難しかったりします。
自分の人生なので須くオリジナルになるのはそうなのですが、僕の場合はその色がちょっと濃いんだろうなと思ってます。
だからとにかく「自分を信じる、仲良くなる」ということがとにかく必須で、それ以外重要じゃないまである。
自分の感覚をいかに無条件で腑に落ちるところまで浸透させるかのために日々の生活を通して磨いていくようなそんな感じ。
元々小心でもあるのでふとしたときに怖くなることも多いですが、それはそれで「まぁそうよなわかる」という感じで隣に座って話を聞くようにしてます。
あらゆる「視覚的な情報」が「虚実」であるということを施術を通して体験してます。
五感で触れられる情報のほとんどがフェイクで、そこから深掘りするような形で自身のインスピレーションと発想力を駆使していくことが僕にとっては大切なんだと。
目にみえると見えない領域を感覚的に知覚して、それらの境界線に立つようなイメージで相対する。
あらゆる現象がその裏にある本質の辻褄合わせのためにあるのではという暫定的な結論を胸に施術に臨んだ結果、見えないところが見えて、無限に広がるような空間を感じました。
例えば「腰痛」
(表)重い物を持った時に腰がピキッとなってから痛い。
これは理由として「辻褄が合ってる」状態。辻褄も何も、実際に重いものを持った時に起こったんだからおかしいことは何もない。
でもこれらは「真」ではない可能性が高い。
この現実世界において自身へ気づいてもらうメッセージにするには「この世界に則った形で且つ、本人が怖がったり疑うことがないようにできるだけ自然に渡す必要がある」という法則があるような気がしてます。
どういうことかというと「急に真実伝えてもそれを受け止められるかわかんないから徐々に外堀埋めてく」ってこと。
今の人は基本的に「物質的で具体的な現象」に対してのみ「信じるか信じないか」を決めます。
これが非物質的で個人の感性を用いるようなものだった場合「妄想」として処理される回路が無意識に構築されてるんです。
だから「虫の知らせ」的な風情とユーモアのある感性によって受け取れるようなメッセージを感知できない。
だから具体的な「不調」で身体にまず伝え、それを個人で分析してもらうことでその裏にある意図に気づいてもらおうとしているんじゃないかと。
で、そこの通訳というか翻訳として僕のサイキック整体があると思ってます。
ここまでまとめた上で先の「重い物を持ち上げたから痛い〜」を翻訳すると
「腰は人体の要、つまり人生の要という見方ができる。つまり今の君は人生の「要」岐路に経っている可能性があり、一度立ち止まって考えてもらうために腰痛という形で表現したのだ」と解釈できます。
いわゆる岐路といっても色々あって、転職的なものもあれば、体調管理を見直す、一度休む的な意味もある。
とにかく今までと同じだと何かしらの不都合や後悔があるかもしれないから止まってみ?というお話かもしれないということ。
これが妄想になるか、想像力になるかは本当に繊細なわけですが、僕はお客様の近況や身体の状態を「存在」というレイヤーでスキャンするように俯瞰しながらお話を聞きます。
そこから得られた感覚を言語によってお伝えするのでそんなに荒唐無稽な話ではないと思います。
それに、こういう「妄想」ととられたり「厨二病」と言われる日々だったからこそ、いっそのことこれを極めて、具現化させてしまおうという意思と、これを真面目に考えてるんだと魂で理解してもらえるように生きることを誓ってます。
そういう気持ちで生きている人間が伝える言葉だからこそ届くものもあると思ってます。
「意識が脳を作ってる」
まるでBLEACHのグレミィというキャラクターの能力のようです。
想像したことをそのまま具現化させる。
文字通り頭の中だけで相手を倒すという力。
自身の想像力をどこまで磨いて信じればここまでの確信が得られるのだろうかと本当に勉強になります。
いっそのこと能力と括ってしまえば、信じる信じないという問題は存在しなくなるので良いななんて考えたりもしてました。
なんか面白そうじゃないですか?
想像以上のことというのはまずはそれ以下のことを想像しないと超えることすらできない。
思っている以上の成果や展望、限界だと無意識に決めつけている自身の枠を壊す鍵は、何物にも囚われない無限のイマジネーションだと僕は確信しています。
気づいた瞬間に全ては決まっているし終わっているものですが、さらに向こうに突き進んでいくために僕は今日も想いを形にしていこうと思います。