THE・Visionary 「夢想家」
先日、埼玉は川口にあるK‘s kitchen様にてよもぎ蒸しleaf はる さんとコラボ施術イベントを開催しました。
こちらは月に一度の開催となっていて、次回は8月(詳細はXにて)行います。
毎月開催のイベントというのは初めてです。
今年からイベントに参加したり企画するようになってます。楽しい。
今回は、イベントの感想もそうなのですが、ちょっとおもろい仮説というか個人的にかなり核心であり確信に近い仮説の話をさせてください。
いわゆる自身のイメージや意図、そこへの情熱や確信によって身体の形を変えていくという話です。シェイプシフトみたいな話。
今回のイベントの施術の時に、その方の持つ男性性と女性性のバランスが、人生の岐路に立つという現実により、それが反転しつつあるのではという状況に遭遇しました。
元々男性性というものを行動や選択など「人生の軸」に据えて生きていた場合、身体も当然そこに沿うように形作られていきます。
「意思決定」という内側が、実際に「行動」することとなる身体に反映されます。
普段どんなことを考えているのかが、そのまま身体に表現されるというイメージです。
サッカー選手とかサッカー部の人を見ると「なんかサッカーやってそうだな」って感じるように、人は普段意識していることとか行っていることなどの「日常」となっているものを表すかのような身体になっていきます。
神経質そうな人はそういう顔つきや身体つきにというのもよくある話ですね。
この解釈や感覚をサイキック整体的に解釈すると、
自分の中にある「男性性」と「女性性」が、それぞれ「肉体的」に作用しているのか「精神的」に作用しているのかがわかると、自己矛盾みたいなもののヒントになるのではないかと言うことです。
人生の大半を男性性という「前進する」「目標を達成する」というような、男らしい力強いエネルギーで生きてると、自然と肉体(器)もそうなるわけです。
でも目標を達成する上で「女性性」という「優しさ」や「協力して調和する」ような円形のエネルギーも必要になります。
今までは前進してきたのに、突然その勢いがなくなったかのように足が止まるといったことはないでしょうか?
その原因として自身の中にある男女のバランスに変化が生まれていて、そのギャップが足を止めている原因になっている可能性があります。
男性性という習慣がある場合は芽が出るように生まれた女性性のエネルギーは馴染みがないので「ズレ」として認識されます。
これが「違和感」となって「今までの自分だったらこんなことなかったのに」と不安になったり無気力になったりします。
でも実は岐路を迎えているからこそ「変化の兆し」が体感として出ているかもしれなくて、今まで頑張って進んできた成果が出ているだけかもしれません。
一度冷静になって自分の気持ちを見つめ直すとか、本当にこれがやりたいことなのかという問いかけをするなど、一回止まってみるといいかもしれません。
自分の中にある男性性や女性性、その他「内なる自分」というもの。
NARUTO初期の春野サクラの設定に「内なるサクラ」というのがあります。
最初は本音と建前という意味合いで、裏表の激しいキャラなのかなって思ってました。
ですが実際は「精神が2つある」ということで対戦相手の「精神に干渉する術」をもう1つある精神「内なるサクラ」が追い出してしまったんです。
これはとても面白いと思っていて、おそらく自分にはそういう特性があるんじゃないかと子供ながらに考えてました。
それで今までの自分は「内なる晶貴くん」を封印して過ごしていたわけで、これがなんでそうなったのか未だによくわかっていません。
時たま顔を出しては自分を守ってくれてたみたいで、そこについてようやく向き合うことが出来つつあります。
ここら辺のイメージに漫画が大変役に立ってまして「トリコ」の主人公「トリコ」の中には3体の「鬼」がいます。
ベースとなる赤鬼
ピンチの時に数分だけ稼動できる青鬼
一瞬でも出ると器となる本体がもたないと言われるなんか最強な白鬼
なるほどなぁなんて思いつつ、今の俺はどういう状態なのかと日々試行錯誤する毎日です。
今まで封印していた自分を人生というゲームを進めることで必要になってきた。
これはコントロールすることができないからやむをえず封印していたがここから先の戦いでは通用しないから使いこなすために頑張らないといけない。
「封印して押さえ込む」という意思ののった肉体を構築していた今までにおいて、「統合して循環させる」というのは矛盾するわけです。
だから考えました。
「あれ?細胞ごと意思の力で変化させることできないんかな」って。
1つ1つの細胞、自身の持つDNAの情報にそういうの載ってそうだから、意識を向けてどうにかならんかなって本気でやってみてます。
僕のヒーローアカデミアの緑谷出久も、過去の継承者から色々アドバイスもらってんだから、俺も過去の俺から助言もらうことできるやろって。
イメージと確信と熱量とワクワクと、そこを信ずるだけの自分なりのエビデンス。
これを揃えることができたら「アルティメットルーティン」が如く、イメージしただけで胃に穴が開くように、即座に身体を操作できるのではないかと思いました。
このイマジネーションでクリエイティブするの究極が「BLEACH」のグレミィだと思います。
「THE・Visionary 夢想家」という能力がある彼は「指一本だって使わない、頭の中だけで君を倒して見せよう」と言います。
自身が想像するものを即座に創造することができる能力で、いわゆるチートみたいなもんです。
まぁ意識を逸らせば生み出したものは消えるし、相手を直接再起不能に追い込めないという制約があるのでそんな完璧なものではないのですが。
僕が震わされたのは、
「自身の想像力によって強敵の強さを完璧に再現したのに、自身の肉体の耐久値を想定しておらず、自爆して負けてしまうというもの。」
彼は作中で「僕は君の力の全てを正しく想像できていた、ただ1つ想像できなかったのは君の力に耐えられるのは君の体だけだったってこと」と言ってます。
設定集を見たわけじゃないので不正確な部分もあると思いますが、「想像力」というのはここまでやれるものなのかと当時の僕は興奮しました。
自身の特性を俯瞰し、そこを理解して使っていくためにどんなイメージが必要なのか。そこから得られる仮説とそれに対する確信度はどうか。
いかに自身のこの感覚を現実に落とし込むのか。
究極の思い込みゲームという側面もあるこの世界において一体どこまでやれるのか。
施術という場で実際に仮説を検証し、それがお客様の身体感覚として出る体験を繰り返している僕は、この「想像力」を使うことができてるのかもしれません。
「内的変化」による「器」の変化のラグを「イメージ」によって擦り合わせるということ。
魂を軸として現在の肉体の状態を見た時に、どこでどういう矛盾が起きているのかを検索する。
脳内CPUから弾き出された答えに、自身の想いを当てこんで熱量に変換する。
それの繰り返しが確信に繋がり、現実となる。
想像力の限界を想像することがない限り、もしかしたら無限に伸び続けることができるのかもしれない。
もしかしたらその時は「僕は指一本だって使わない、頭の中だけであなたの人生をサポートしよう」なんていう日が来るかもしれないですね笑