実と虚の境界線で。
こんにちは。
こっちを更新するのは結構久しぶりですね。
最近はX も「長文可」のプランにしてより伝えたいことを伝えられるようになって嬉しいとか、YouTube初めてここでまとめてることを言葉で表現するとかやり始めたことでnoteの出番が少なくなってました。
ですが今回はこっちでまとめ〜・・・・え?なんですか?
あ、YouTube気になりますか?
すいませんなんか宣伝みたいになって。
えーこちらでは!
Xやnoteでまとめてるような話をラジオ形式でお伝えしてます。
大体10分くらいの内容となっております。
サイキック整体の世界観や僕なりのこの世界に対する視点など、ちょっと変わったお話をしてます。
文章だととっつきにくいなって感じる人には特におすすめですのでぜひご覧ください🙇♂️
さて本題。
今回は施術についてのお話なのですが、ちょっとオカルトチックというか自分でも不思議だなと思うお話です。
あまりXで出すのもなって思ったのでこっちでまとめていこうと思います。
ちょっとした読み物だと思って気楽に読んでくれると嬉しいです。
施術時に行うヒアリングや、触れた箇所から感じるもの。
お客さまから受ける印象や実際のエピソード。
これらを統合し、具体と感覚を天秤にかけて伝えていくわけですが、その「方向性」が今までと異なってきたんですよね。
いわゆる「亡くなった人の想い」みたいなものを僕なりに解釈して症状と絡めて伝えるみたいな話。
僕は別に霊感とかそういう「霊と話す」みたいな能力はないと思ってます。
ただ、症状を軸にお話を伺うとどうしても「亡くなった人」との繋がりが出てくる瞬間があって、そうなったらもうそこに意識向けるしかないわけです。
なぜその症状を抱えることになったのかを探るコツは「先入観を持つのが人間であり俺」という意識を常に持つことです。
「持たない」ではなく「気づいたら持ってる」からそこに気づくたびに脇に置いて考え直すということをずっと繰り返します。
自身の傷を隠すのではなく、傷つきやすい自分を受け入れて、その上で前に進んでいくイメージ。どんなに痛みを伴おうとも、それでもお前は進み続けるのか?という問いに常に「YES」を出し続ける日々を送る感じです。
立て続けに亡くなった方へ想いを向ける施術になっていて、なんなんだろうなぁって思ってます。
抱えている症状から近況を聞いた時になぜか、すでに亡くなられたお客様の親族のイメージというかキーワードが出てきました。
(脳内)
「まじ?これ聞くの?え〜〜〜〜ヤベェ奴って思われるのやだなぁ〜〜〜」
「でもアンテナビンビンなんだよなぁぁぁぁぁ〜〜」
「すいません、この痛みと亡くなった○○さんが関係あるかもしれなくて、ちょっと詳しく聞いてもいいですか?」
「多分寝たきりになってしまっても△△さん(お客様)が毎日お見舞いにきてくれたことが本当に嬉しかったんだと思うんですよ。だから今の自分ができることは何かって思った時に□□を残そうと思ったかもしれません。」
「でも色々あってそれができないってなったことに後悔というか申し訳ないって気持ちがあるっぽくて、それが△△さんが感じてる痛みとして表現されてるかもしれないです。」
「自分とは関係ない人の痛みを症状として感じる理由は、とにかく自分に気づいて欲しかったからかなと思ってて、一言謝りたいとか、そういう気持ちがあるのかなって思いました。」
「これが本当かどうかはわからないです。だって謝りたいからと言って自分の身体に痛みを感じさせてまで気づいてもらおうとするって普通に考えたら勝手じゃないですか」
「でも、そういう繋がりというか可能性を感じざる得なくて、どうしても伝えたくなったのでお伝えしました。」
ってな具合でその部位に触れつつ、一度動かしてもらうと痛みが軽減というかほぼ消えてるみたいな感じになったんですよね。
随分不思議というか常識離れした話ですが僕の中では筋の通った理屈というか話なんです。ほとんど感覚的な確信だけど。
痛みというのは身体からの表現であるなら、そこにつながる理由やきっかけが見つかればもうその痛みの「役割」は終わるわけです。
だから仕事を終えたかのようにスッと「消えていく」
まるで最初からなかったかのようにスッといなくなる。
ここは個人差があるのでなんともですが、そういう場面をたくさん見てきました。
内面的な気づきや納得によって存在の奥深いところで「抜けた」感覚があると深いスッキリ感が生まれます。
内側の変化スピードとは目を見張るものがありますが、それが身体まで及ぶにはラグがあります。
施術そのものの体感は施術後〜翌日昼くらいまでかけてじんわり浸透する感じなので寝ている間に変化が起きたところを点検する部隊がいるんじゃないかなと勝手に思ってます。
そんな感じで今までとは異なる角度からのインスピレーションが来ていて、実際に施術に活用しながらお客様に合わせて進めていくことをやってます。
これらの話に科学的な根拠はないです。
完全なる主観。自分を信じ抜くためにのみ感性を磨いてる人間の圧倒的な自己信頼によるイメージの話です。
僕は厨二病とも言われるしポエマーとも言われます。
でもこれらは僕にとって「今日は2024年の8/26(月)」と言ってるのとなんら変わりがないんです。
僕にとって普通であるという感覚が社会にとってはそうではないということをようやく学びました。
実際にここを擦り合わせて施術という形に落とし込むためにどうしたらいいのかを日々試行錯誤しています。
自身の感性を磨きつつ、地に足のついた施術を行うために感性と具体を天秤にかけ、お客様との距離感を測りつつ、その時点における最も自然な状態を創っていく。
そんなことを意識して今日まで来ました。
自分が感じたものが受け入れられにくいものならまずは自分自身が一番の理解者になることが大切だと思います。
孤高な話ではありますが、だからこそ寄り添えることも多いし大きい。
今回お伝えさせていただいたおかげでより幅が広く深くなったような気がします。
本当のことかどうかわからないから不安になりますが、何を持ってして本当かも僕にはわからないことが多いです。
自分の気持ちが強く動くなら、勇気を出して先陣を切って「まずは俺が俺を信じる」と声を上げられるように日々積み重ねていこうと思います。