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『寒い冬の夜のあの日』

 ある冬の週末の夜だった。その日は関東にも何年かぶりに雪が降り積もった。その頃はプロジェクトが難航し、毎晩帰宅が遅くなっていた。メンバーとの関係もぎくしゃくしていた。ストレスで重たい体を引きずりながらの帰り道だった。

 いつもは日吉駅から綱島街道を歩いて帰るのだが、その日は何故か裏山から下る道を選んだ。雪はすでに止んでいた。薄暗い街灯は雪を照らしていつもより明るかった。雪道に足跡が残っていた。私はその足跡をなぞるように、ゆっくりと歩いていた。

 森の中の狭い坂道を降りていく途中で、月明かりに照らされたマンション街が目に映った。高台からの雪景色が綺麗だったので、しばらく立ち止まり眺めていた。

 ふいに子供たちの寝顔が浮かんできた。その時、突如激しい腹痛に襲われ、その場で嘔吐した。足元に鮮血が飛び散り、白い雪が真っ赤に染まった。

 その光景を目の当たりにし、「俺はこのまま死ぬのかな」という想念が頭をよぎった。

しばらくそのまま近くの木に身体を寄せていた。

 私は昔から思わぬ事態に遭遇すると、不思議と冷静さを取り戻すことが多い。最悪の事態を覚悟すると、妙に心が落ち着いてくるのだ。その時も、死の縁から家族に思いを馳せた。すると「あいつらなら俺がいなくなっても何とか生きていくだろう」という確信が湧き、落ち着きを取り戻した。

 そうなったら、急に酒を飲みたい気分になったので、踵を返してそのまま駅の商店街に歩き出していた。夜も10時を回っていたので、遅くまでやっている行きつけの居酒屋に入った。

 ジャズが流れるこの店は、最初はオーナーが一人で切り盛りしていたが、やがて息子が手伝うようになった。その後は若いスタッフを雇うようになり、次第に繁盛店になっていった。

「こんばんは。」
「いらっしゃい。今日は晩いですね。お仕事ですか。」
「あー、そうなんですよ。最近残業続きでこちらの店に寄る余裕もなくて。今日は週末なので、思い切って呑んじゃおうかと。」
「そうでしたか。ゆっくりやってください。」

 マスターとそんな会話をしながら、いつものやつを注文した。

 すぐに、熱燗が運ばれてきた。それをおちょこで、グビっとやった。熱燗は冷えた体を温めた。酒診断を試みると、胃の痛みはさほど気にならない。急性胃腸炎かとも思ったがそうでもなさそうだ。鮮血ということは、腫瘍系ではなく、どこかが切れた感じだな。

念のためもう一口。グビグビっ。
「旨いなぁ。寒い日の熱燗ほど、体を温めるものはないなぁ。やはり酒は百薬の長だ」などと独り言をいいながら、つまみと熱燗を交互に進め、次第に良い気分になっていった。

 プロジェクトも後半に差し掛かった。このままいけば、成果が出ないまま終了することになるだろう。そうなったら仕方なしだな。つい先ほど死を覚悟した俺だ。プロジェクトの失敗くらい大したことではない。

 そう思うと、この数週間何に縛られ、何にストレスを感じていたのだろうか。酒の力を借りて今回の件を冷静に振り返っていたら、全ての責任を1人で背負い過ぎていたのではないかと思うに至った。

 そう、自分を苦しめていたのは他の誰でもない、自分だったのだ。

 熱燗を3本空けたところで、なんだか付き物が取れたみたいに心が軽くなった。やけ酒は翌日のストレスを増幅するが、確かな答えへと導いてくれる酒もある。その夜は死を覚悟した勢いも相まって、冷静な思考へと導かれた。その後もしばらく人生とは何なのかという哲学的な問いにぼんやりと意識を向けていた。

酔いも回り、いい気分に浸っていたら、いつもの一休さんの言葉が浮かんできた。

「案ずるな。なるようになる。」

 思い起こせば、これまでこの言葉に何度となく救われてきた。

「諦(あきら)める」とは「明らかに見ること」であると教えてくれた一休さん。尊い教えだ。

 そんな自分を取り戻すことができた40歳の冬の夜だった。

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