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【読書録65】日本を代表する経営学者の『知的コンバット』の変遷~野中郁次郎「『失敗の本質』を語る」を読んで

 「失敗の本質」やSECI理論で有名な日本を代表する経営学者の野中郁次郎氏。

「失敗の本質」は、折に触れて何度か読んできたが、大東亜戦争時の日本軍の構造的欠陥は、現在日本の組織や社会にいまだに巣くい続けており、今だからこそ同書から吸収することは多いと思う。

 タイトルからして、野中氏が、「失敗の本質」について語っている本かと思いきや、氏の研究者としてのバックボーンや、研究者としての軌跡、自身の理論をどのようにブラッシュアップしてきたかについて語っており、思っていた以上に取り上げている分野は、深く、幅広い。

 読了後には、野中氏の著書をもっと読みたいと思わせる、野中ワールドのガイダンス的な位置づけにもなっている。

 そのように感じさせるのも、聞き手である元・日本経済新聞記者である前田裕之氏の力量であろう。


いつか必ずアメリカを倒す

 
 本書を読んで結構強烈だったのが、野中氏の人生の根底に、戦争時の体験があるということである。
 疎開地の静岡で、帰宅途中に、低空飛行の戦闘機の機銃掃射から何とか逃げたが、そのパイロットの笑っているような表情をみて、「いつか必ずアメリカを倒す」という米国へのリベンジの強い怨念が生まれたという。
 
 もちろん、この体験だけで日本軍を研究の題材に下というわけではなかろうが、戦後日本の発展には、野中氏ばかりでなく、そのような戦争体験を経た日本人の想いの強さがあったのではないかと考えさせられた。
 研究者のような職に就く方でもそのような想いをお持ちだったのだなあと純粋に考えさせられた。

米国での研究活動


 そんな野中氏が、米国に留学し、会社員から研究者になっていくプロセスは、青春グラフィティのようで引き込まれる。

 サイモンやバーナードの理論などのアメリカの経営学の隆盛の概略から、社会学の方法論から理論を作っていく「実践的推論」という手法の紹介まで、経営学好きな私としては、惹き込まれるとともに、野中氏が独走的な研究を行うことができた知的バックボーンにあるものを垣間見ることができた。

失敗を題材に

 
 野中氏は、日本に帰国後、企業の事例研究をする中で、企業の栄枯盛衰は、一種の物語で裏と表の関係にあり、成功の物語のみでは見えないことを見て理論構築をしたいという知的な好奇心を持つ。
 一方で、企業は、失敗事例を表に出したがらないものであり、なかなか上手くいかない中、人との出会いで戦史研究に行き着くのは、面白い。

栄枯盛衰が激しく、結論が出るまでに時間がかかる企業研究に比べると、戦争研究は勝敗がはっきりしています。第2次大戦で日本が負けたのは動かしがたい事実であるし、戦争は総じて短期間で終わるので、成功と失敗の本質を明らかにしやすいのでは、と考えたのです。

P.26

 こんな経緯を経て名著が誕生する。名著誕生までの多様なバックグランドを持つ研究者間での葛藤や「知的コンバット」も裏話として興味深い。

共同研究による理論のブラッシュアップ


 失敗の本質も共同研究の成果であるが、野中氏は、自身の研究生活を振り返り、共著・共同研究の多さを上げている。
 竹内弘高との共著「知識創造企業」や現象学の山口一郎との「直感の経営」、政治学者・北岡伸一との「知徳国家のリーダーシップ」など。

野中氏は、共同研究について、こう語る。

とにかくメンバーがよく会い、一緒にいる時間を増やして議論を尽くします。「知的コンバット」を重ねるうちに頭と体の共同体が完成します。全身全霊で相手と向き合い、完全に相手の視点に立ちます。そうした努力の末に成果が生まれるのです。

P.87

 研究者との「知的コンバット」により、失敗の本質やその後の理論のブラッシュアップによる著作の数々が生まれたのである。

SECIモデルを唱える野中氏ならではである。またオンラインでは、対面での2人称で共感しあう関係性を代替するのは難しいという考えも印象的である。

失敗の本質の要諦

 
 少し失敗の本質のコンテンツにも触れていきたい。「失敗の本質」からの学びは多い。
 戦略目的があいまい。短期志向。「空気」の支配。官僚性のなかに情緒性を混在させ、インフォーマルな人的ネットワークに依拠する「幕僚統帥的な動き」。結果ではなく、やる気などの精神性を重視する人材の評価など。

 戦争後、社会に戻った人々が、組織を築くに当たり、日本軍が持っていた組織的なDNAを日本の組織全般に引き継いだと指摘するが、戦後70年経っても、まだまだそのような組織の性質はぬぐえないでいると思う。
 失敗の本質を読み、自分の会社を振り返ると、「わかる、わかる」と言いたくなる場面が多く出てくる。 
 失敗の本質が今でも読まれ続ける所以であろう。

 そのような日本軍の特質を生んだのが、「環境への過剰適応」だったという指摘は何度読んでもなるほどと思わされる。

日本軍は逆説的ですが、きわめて安定した組織だったのではないでしょうか。日露戦争での日本海海戦の「大勝利」から時間が経つにつれて組織が硬直化し、ハングリー精神がうすれた海軍と、日中戦争の個別戦闘での勝利を反覆し、組織内に驕りが満ちていた陸軍。日本軍は完全な均衡条件の下で、「環境に適応しすぎて失敗した」という命題を導き出しました。日本軍は、平時から戦時に瞬時に転換するシステムを備えていなかったのです。

P.116

環境の変化に適応する「自己革新組織」の重要性を説き、次回以降の著作にもつながる米国海兵隊をその例として取り上げる。

フロネシス型のリーダー

 
 では、どのように自己革新組織を築いていけばよいのか?
野中氏の理論は、失敗の本質以降の共同研究や企業研究を通じて導き出されたSECI理論等を通じて研ぎ澄まされていく。

 行き着いたのが、「フロネシス」「実践知」という概念である。
フロネシスは、アリストテレスを起源とするが、その概念について、野中氏はこう言っている。

フロネシスは実践と知性を総合するバランス感覚を兼ね備えた賢人の知恵です。

P.200

フロネシスとは、社会における「善いこと(共通善)」の実現に向かって、現実の複雑な関係や文脈を鑑みながら適時かつ適切な判断と行動を取れる能力を指します。

P.255


 野中氏は、フロネシス型のリーダーとして、チャーチルやアイゼンハワーを挙げる。
チャーチル好きな私としては、うれしい限りである。 
 実践知リーダーに必要な6つの能力は、押さえておきたい。

 ➀善い目的をつくる能力
 ➁ありのままの現実を直観する能力
 ③場をタイムリーにつくる能力
 ➃直観の本質を物語る能力
 ⑤物語りを実現する能力(政治力)
 ⑥実践知を組織する能力

P.201

 志を持って、地に足をつけて行動するリーダーというイメージであろうか。

最後に

 
 野中氏の「失敗の本質」以後の、戦史関連の著を手に取っていなかったが、本書を通じて、多くの本を読みたくなった。
 個別の戦闘について考察した「失敗の本質」から、国家の運営レベルまで視座を高めて考察を進化させていった野中氏の理論の変遷を追いたくなった。
 米国で取得した研究手法に、「人間の息遣い」が聞こえないと苦悩した野中氏。戦史研究や企業研究を通じて描いた理論には、人間がその関係性の中で、どのように知識を知恵に変えていくか、実践知を身に着けていくかという「人間の息遣い」がはっきりと聞こえるのではないだろうか。



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