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【人材開発研究大全⑧】第27章 教師の専門性発達 山辺恵理子

 本章では、教師の「学習者」としての成長について、主にリフレクションの観点から論じている。教師の仕事にとって確かにリフレクションで大事だなあと思う。企画とかホワイトカラー系の仕事全般にも言えるかなとも思う。


教師にとってのリフレクションの意義


その意義について著者は以下の通り述べる。

教育活動が複雑性を有し、個別具体への柔軟な対応を要するため、大学で学習するような教育に関する普遍的な理論は実践の前で意味を薄めてしまうことも少なくない。そのため教師は日々自身の実践を通して、経験値を蓄えていく。「あのときの対応は正しかったのだろうか。」、「あのときに相手が見せた反応は、どういう意味だったのだろうか」などといった問いかけを行うリフレクションこそが、教師の成長においてきわめて重要な役割を果たすのである。

リフレクションに関する3人の先達たち

 本章では、コルトハーヘンのリフレクション理論を中心に教師のリフレクションについて触れていくが、その基となった3人の先達を紹介する。すなわち、ジョン・デューイ、ドナルド・ショーン、マックス・ヴァン=マーネンである。

ジョン・デューイ

デューイは、「思考の方法」の中で、思考を4つの種類に分類して、説明した。

①「頭をよぎることすべて」
②「直接見たり、聞いたり、嗅いだり、味わうことができないものについて想像すること」
③と④「何らかの証拠や証言に立脚するものを真じること」

③は、その信念が立脚している土台をさほど問わない思考、④は、最も厳密で狭い意味での思考の様式で、その土台が丹念に吟味されている。
③と④の思考の違いをつくるものがリフレクションであり、デューイは「省察的思考」と呼んだ。

デューイは、リフレクションは、論理的な思考能力によって営まれる行為、すなわち、論理的な「帰結」が存在しないといけなく、論理の明かな飛躍が生じている場合、リフレクションではないとした。

 一方、教育においては、論理的な帰結が存在しない事柄を思考し、経験値を蓄積・修正していくことが重要であるとして、デューイの定義を拡大して解釈していくとしている。

ドナルド・ショーン

 ショーンは、知識を有している者が有していない者にそれを伝達するという形で学ばせようとする方法を「技術的合理性」と呼び、それには限界があるとして、専門家一般の行動から、リフレクションを整理する。

 一つは、過去の出来事をふり返って、新たな知識を組み立てる(組み立て直す)「行為についてのリフレクション(Refcection-on-action)」である。
もう一つは、何かを行為しているまさにその瞬間に、ほぼ無意識に、とっさに思考し、判断し、次の行為をする「行為の中のリフレクション(Reffection-in-action)」である。

マックス・ヴァン=マーネン

 ショーンが、専門家一般の行動からリフレクションの種類や特徴を整理したのに対して、ヴァン=マーネンは、教師という職業の独自性に着目して、教師のリフレクションを3種類に分類する。

①「予期のリフレクション」
 起こりうる可能性について熟考し、どのような一連の行為をとるかを決め、どのようなことをしなければならないかについて計画を立てる。そうすることで、そうして予想した出来事や計画した行為の結果として、どのような経験が起きるであろうかを先読みすることが可能になる
②能動的あるいは双方向のリフレクション
 行為の中のリフレクションとも言い換えられる。
 教師は、その場で起きている子どもたちの様々な行動から、できる限りの情報を読み取って、瞬間的に対応しようと試みる。その瞬間、教師は、論理的・合理的に判断しているというよりは、これまでの経験知などをもとに形成した教育観や直感的な判断力を生かして、自分がとる行為を決定しているのである。こうした瞬時のリフレクションによって、教育活動の多くの部分は成り立っている。
③追憶のリフレクション
行為についてのリフレクションとも言い換えられる。
子どもたちとの過去の経験をふり返ることで、新たな気づきや知見を得て、専門家として教師は成長すると考えられている。

3人の論者を取り上げただけでも、教師のリフレクションについて、様々な様態の区別があるとして締めくくっている。

リフレクションの手法

 3人の先達たちの論考により、リフレクションのスキルが大切なのはわかるが、一方で、そのリフレクションのスキルをどこでどのように習得するのか?
 教師教育のプログラムにリフレクション研究の知見を導入した、コルトハーヘンの研究を取り上げている。

1980年代に、ユレトヒト大学で教師教育者として働き始めたコルトハーヘンは、現場と大学を往還する約11週間の長い期間の経験学習型のプログラムを導入した。それは、経験の前後でリフレクションし、理論に立ち戻るという期間を設けるなどの特徴があった。

コルトハーヘンは、理想的なリフレクションのプロセスをALACTモデルとして表現し、その中で、第3局の「本質的な諸相への気づき」があまりに頻繁に飛ばされていることを指摘した。

人材開発研究大全 第27章 図1

ある経験に引っ掛かりを感じ、その原因を考察するためにその場面をふり返ったとしても、本質的な要因への気づきがないまま、原因を曖昧に推測しただけで、当初の問いへの答えとして腑に落ちていないにもかかわらず、改善策として具体的な行動が何も示されない結論で満足し、思考を終えてしまう人が多い

例として挙げられているものが、すごくわかりやすく、よくありがちだなと思う。

「あの生徒との相性がよくない」「今日は調子が悪かった」「自分の力不足だ」といった結論で満足し、「次はがんばります」というような漠然とした改善策しか提示されないふり返り

コルトハーヘンはこのような状況を鑑みて、第3局面に当たる「本質的な諸相への気づき」をより確実に達成するための仕掛けとして、第2局面「ふり返り」の段階で用いる具体化を促す「8つの問い」を開発した。

人材開発研究大全 第27章 表2

これをやってみると思考の癖がわかる。自分の場合、相手の事をよく見ていないこと。自分のことも実はよくわかっていないことに気づかされた。

 さらにコルトハーヘンは、2005年に論文「リフレクションの諸段階:専門性開発のためのコア・リフレクション」を発表する。
 リフレクションする内容を7層に分類し、外部の環境から、自分の内面にあるコアの強みまで、深く内省するためのツールである。

人の「アイデンティティ」や「使命」観は、得てして外側から内側に向かって影響を受け、外的な影響によって形作られてしまっていることが多い。だからこそ、あえて玉ねぎモデルの内から外に向かってリフレクションする機会をつくることで、それぞれの教師が自分の理想に向かって成長していくための指針を再発見することを支援する。

たしかに自分の置かれた環境に基づいて自分を形成しているという側面はあるように感じる。この外から内まで一貫して見つめることでどこで分断されているかなどに意識的に慣れるように感じる。

リフレクションを促す専門家としての教師教育者の可能性

教師という複雑性に満ちた活動を行う教師は、常に新しい場面に身を置きながら子どもに接しているため、マニュアル化することができない無数のとっさの判断を1つひとつの授業で行っている。だからこそ、リフレクションを通して、自分なりの経験知を蓄積していくこと、およびその経験知の正当性や効果を随時点検していくことが、教師の成長にとっては極めて重要となる

もし教師全体の質の向上を真に目指すのであれば、1人ひとりの教師が理想的なリフレクションのサイクルを回せるように支援する人材と仕組みが必要である。そしてそいの人材に、教師の養成や研修を担う「教師教育者(Teacher educators)」が含まれることは必然

感想

 大人の成長にとっては、知識を身に着けるというよりも経験からリフレクションすることが不可欠であり、今まで見てきたような教師の仕事の特徴踏まえると、教師にとってのリフレクションの重要性はかなり高く、リフレクションを教える、教師教育者の役割は大きそうである。

 また本章読んでいて、私自身にとってもリフレクションはとても大切だなあと思わされる部分は多々あった。教師以外の一般のビジネスパーソンにとっても必須のスキルのように感じる。


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