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【読書録109】「森信三 運命をひらく365の金言」11月編

昨年末より「森信三 運命をひらく365の金言」(致知出版社)を毎朝読むことを日課にしている。今回は、11月の中で特に自分のなかで気に入ったものについて取り上げる。



11月6日 人生は大マラソン


人生は唯一回の大マラソンである。
途中でくたばっては駄目。
そして「死」が決勝点だから、
「死」が見えだしたらひた走りに突っ走らねばならぬ。
それゆえ偉人は四十頃からぼつぼつスピードをかけ出すが、
凡人は四十頃から早くも力を抜き出す

この日の全文である。
先日、ある方が、「若いときには、今だからできることをやっていたが、歳を取ったら、死ぬまでにやっておきたいことをやるようになった。」と言っていた。

突っ走るとは、やりたいことをやることなのかもしれない。
あと一年強で五十歳であるが、まだまだ力を抜き出すという気持ちにはなれない。
スピードをかけ出して、やりたいことにチャレンジしていきたい。

11月7日 脚下の実践


人はそれぞれの年代に応じて真剣な生き方をして参りますと、七十歳代、八十歳代は、まことに自由闊達な境遇に恵まれて、真の生き甲斐ある人生が送れるのではないかと思われます。

人生の見通しを立てるとともに、いま一つ、日々の脚下の実践に全力を傾けることが大事でありまして、しかもそうした脚下の実践にどれほど真剣に取り組めるかどうかということこそ、その人の人生に対する徹見透察の如何によるといってよいかと思われます。

 今やるべき事、為すべきことをしっかりと全力でやるというのが、真の生き甲斐ある人生につながる。何事も積み重ね。
 積み重ねが、自分を遠くに連れてってくれる。実践する中でしか見えないことがあり、そこでやりたいことが変わってくる。先を見通しても、先の事なんて自分が何を意識するか、何を重視するかで大きく変わってくる。

11月12日 人生と読書


真摯にこの人生を生きようとする以上、われわれはどうしても書物を読まねばならぬが、しかも真の読書をするには、どうしたらこの二度とない人生を真剣に生きられるかという人生観的な希求が、つねにその根本に働いていなければならぬからです。

論語の「学びて思はざれば則ち罔(くら)し。思ひて学ばざれば則ち殆(あやう)し」を思い出す。
 いかに読書をして、内省するか、そして、その内省した内容を人生に活かしていくか。そんな風に考えた。

11月13日 実行の心掛け

 
 前日からの続きのような、読書と実行について考えさせられる一文。

どんなに本を読んでも、実行の心がけのないような人間は、恐れるに足りないのです。

自分の天地を開くには、真剣に読書をして、人生を考える。そして考えたことを実行する。
実行しながら、振り返る。そして振り返りの材料としては、読書は必須である。人格形成のための読書であり、実行。森先生の思想に貫く考え方だと思う。

11月14日 実践家と読書家


 この日も、読書と実践の話が続く。

「偉大な実践家は、大なる読書家である」

実践家の読書は、大観の見識を養うための活読、心読であって、その点、実践家の読書の方が自在だとも言えましょう。

この年齢になって、真剣に物事に取り組んでいると、心に響いてくる言葉がある。
実践を経てこそ響く言葉があるのである。

11月19日 自分の道を開くもの


真に自分の道を開くものは、自己自身でなくてはならぬということを、今日から深く覚悟しなくてはならぬと思うのです。道を歩むにはどこまでもわが足をもって自から歩むの外ないように、いやしくも人間たる以上、自分の道は常に自己一人の力によって開かねばならぬのです。

自燈明だ。自らの道は自らで切り開く。その心意気はとても大事である。

11月20日   忘恩の徒


およそ人間というものは、できるかできないかは生涯をかけてやってみなければ分かるものではないのです。ですから、できるかできないかは、一生の最後に至って初めて分かるわけです。しかるにどうです。未だ一歩も踏み出さないうちから、「自分にはとても駄目だ」などと言って投げ出すに至っては、実に意気地のない限りではありませんか。否、このような態度は、自己に与えられたこの生命の尊さに気づかない者の言葉であり、それはある意味からは、忘恩の徒とさえ言えるでしょう。

強烈な一喝である。
自分の可能性を信じる。ひと言で言えばそういうことであろうが、森先生の言葉は、生きていて、これを言われて、奮起しない人間は、いないであろう。

踏み出そう。自分の可能性を信じて。

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