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【人材開発研究大全⑨】第32章 役員秘書の経験学習 伊勢坊綾

 今回は、役員秘書の経験学習についての論考である。
以前取り上げた教師やその他いくつかの職種の経験学習については、先行研究があるが、「役員秘書」については、なかなか他にないという。
 業務上、役員秘書の方々にすごくお世話になっていた時期もあって、読んでみて、非常に興味深かった。

  秘書業務を「性質上、周囲にわからないような業務である役員秘書は、なかなか自分の成長実感やスキル獲得実感を得ることが難しい」とするが、役員という圧倒的な存在であるクライアントに合わせていくことが重要な業務となっていて、なかなか成長実感を得にくいというのはたしかにその通りだなと思う。


役員秘書の経験学習を取り上げる意義

 著者は、本研究の本質的な問いとして以下を挙げる。 

成長実感や、スキル獲得実感を得ることが難しい職種において、実務経験の中で、どのようなスキル、能力、知識を身につけて成長しているのか?

 具体的には、役員秘書の経験学習プロセスについての実証的研究について論じる。

 役員秘書を取り上げる意義としては以下の2点としている。研究目的の大義が明確であるというのは、良い研究の大前提なのかなと思います。

・役員秘書は役員の管理行動やリーダーシップを支えている存在であり、企業業績に間接的ではあるが少なからず影響を与える可能性がある。
・一方で、経験学習のプロセスに関する先行研究は、それぞれの職種に特有の学習内容や段階・プロセスを明らかにしているが、役員秘書を取り扱った研究はない。

その上で、リサーチクエスチョンをこう設定する。

役員秘書は業務経験からどのような知識やスキルを獲得し、それはどのようなプロセスか?

調査方法

修正版グラウンデット・セオリー・アプローチを参考に役員秘書の経験学習についての概念生成を時系列にし、経験学習に関するモデルを提示。

13名を対象にした半構造化インタビュー。
(13名にしたのは、事前に設定したわけではなく、新たな概念が生成されなくなった状態に至ったとの判断に基づき確定)

調査結果

 業務経験から獲得した知識・スキルについて、5カテゴリー14概念にまとめる。
このカテゴリー分けが非常に興味深いものであった。

カテゴリー1:基本的知識

担当役員のタイプや役職にかかわらず共通し、秘書と働くうえで基本となる概念群
具体的概念:「社内における秘書の基本的立ち位置」「基本業務」「業務範囲」

カテゴリー2:担当役員個人に関する知識

担当する役員についての情報や知識を獲得する概念群
具体的概念:「担当役員の特性」「担当役員の社外の人間関係に関する知識」「担当役員の社内の人間関係に関する知識」

カテゴリー3:担当役員の社内ポジションに関する知識

担当役員をめぐる状況を理解する概念群
具体的:「担当役員のミッション」「担当役員の掌握部署と他部署との関係」

秘書の多くは担当役員の情報をあらかじめ知らされることはなく、担当役員とやりとりのある部署や人物との打合せ等の情報から、そのミッションや立ち位置を掴もうとする。それによって秘書の仕事のやり方は変わってくることを示す概念群である

たしかに、役員の掌握している部署やその人によって、力関係なども変わってきてなかなか理解するのに難しいところである。

カテゴリー4:会社全体に関する知識

担当役員が何を見ているかといった担当役員の視点を獲得するという学習の概念群
具体的概念:「経営や組織に関する知識」「担当卓院の視点からみた会社の方向性」「担当役員の視点からみた、担当役員の掌握部署の方向性」

インタビューの中の以下の発言が印象的である。

「ボスが大事だと思っていることって何?ってきかれたら10なら10わかっていないとダメ。会社の目指す方向がある」

「役員のために」から「役員とともに」仕事を行っていくための学習と論じているが、たしかに秘書のこういうあり方はとても重要だなと思う。

カテゴリー5:棄却と再構築のスキル

 担当役員の交代、担当役員をめぐる組織的環境の大きな変化が起こっても、経験からこれまで学習してきたことを棄てることや、新しくつくりなおすことの重要性を示した概念群
具体的概念:「経営や組織に関する知識」「担当役員の視点からみた、会社の方向性」「担当役員の視点からみた、担当役員の掌握部署の方向性」

 棄却と再構築のスキルというのは、高次元の学習である。秘書にとっては、役員の交代は、棄却しなければならない範囲は通常の上司部下の範疇にないくらい広範であり、棄却・再構築には結構時間かかるのだろうなということは想像に難くない。

秘書の経験学習の特徴

 これらのカテゴリー間の関係を示しながら、最終的に構造化した図にまとめたのが以下の図である。

人材開発研究大全 第32章 図2

秘書の経験学習の特徴としては、以下の2つを挙げる。

①役員秘書が業務経験から学習する知識の多くは担当役員に関する知識であったということ

担当役員を理解し、関係を構築管理していくことが秘書の仕事の大部分を占めている。通常の上司部下関係以上に濃い関係にあり、つねにともにいるということが学習内容の大きな特徴である。

②獲得した知識やスキルの「棄却」が重要な意味を持つ

図のフェーズ2にある、「担当役員個人の知識」「担当役員の社内ポジションの知識」「会社全体の知識」を担当役員をめぐる状況の変化に応じて、「棄却」と「再構築」を往還するということが秘書の経験学習の仕組みになっている。

本研究が提案する知見

<独自性>
役員秘書の実践における「学習」に着目し、現場の秘書の学習プロセスを明らかにしたこと

<学術的意義>
特定の職種の経験学習プロセスについての先行研究(松尾2006、笠井2007a、2007b、齋藤010)が触れていなかった「棄却」という学習概念を役員秘書の経験学習プロセスの分析が明らかにしたこと

「棄却」という高度な学習を要するというのは、役員秘書の独自性である。

クライアントである担当役員と1対1で比較的長く接し、担当役員のことを把握する必要があるため、相互行為による理解の深化が重要になる。

確かに以下の表で先行研究の対象と担当クライアントの人数やクライアントの担当期間をみるとその違いがよくわかる。

人材開発研究大全 第32章 表3

環境の変化に柔軟であること、過去に獲得した知識やスキルに固辞しないことが自身の成長に寄与することを自覚すること

今後の研究課題

 著者は、今後の研究の課題として以下の2点を挙げる。

①役員秘書は、役員や役員の置かれた状況に影響を受ける。状況が変化する中で育成のために必要な経験を随時付与するのが難しいため、学習を方向づける信念といった個人的要因も研究の射程に入れる必要がある。

②本研究は、役員秘書個人の学習の契機や学習内容を対象としており、学習の環境要因については取り上げていない。しかし秘書の学習は、個人要因だけでなく、より広範囲の事象からも影響を受けていると思われるため、最も影響を与える存在である担当役員を取り巻くより広範な環境についての研究が必要である。

今回の研究をただ興味深く読んだ身としては、このように今後の研究課題として、さらに何が必要な必要かというところまでに視野が行くというのには研究者の凄みを感じるところだ。

感想

 役員秘書の経験学習プロセスで「棄却」に焦点をあてたのは、目の付けどころがすごいなと素直に驚く。ほぼマンツーマンの関係で、その役員に交代や担務交代があるときには影響が大きく今までの経験が通用しないというのはその通りであろう。
 考えてみたら、異動の度に学習の棄却と再構築を繰り返してきた。それが自分の成長につながってきたと思う。秘書の皆さんにとっては、担当役員が変わるというのは、異動することと同じような意味であり、昨日までと同じ環境で働いていながら、棄却と再構築を行うってのは結構、心が追いついていくのが大変だろうなと思った。



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