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【読書録24】終わりのない「学習」の旅へ~ピーター・M・センゲ「学習する組織」を読んで➀~

 「学習する組織」の読書会に参加している。
なかなか手ごわい本なので、本書を読んで、自分なりの印象などを都度メモとしてまとめていきたい。


今回の範囲 第Ⅰ部

 第Ⅰ部 いかに私たち自身の行動が私たちの現実を生み出すか・・・そして私たちはいかにそれを変えられるか
   第1章 「われに支点を与えよ。さらば片手で世界を動かさん」
   第2章    あなたの組織は学習障害を抱えていないか?
   第3章     システムの呪縛か、私たち自身の考え方の呪縛か?

「学習」とは?そして「学習する組織」とは?

 まず「学習」するとは?
著者は、「教室に受け身の姿勢で座り、耳を傾け、指示に従い、間違えないことで先生を喜ばせる」というような一般的に学習からイメージするものとはかけ離れたものであるという。

 真の学習とは、「人間であるとはどういうことか」という意味の核心に踏み込むものであり、学習を通じて自分自身を再形成するもの

 学習を通じて、世界の認識を新たにし、世界と自分との関係をとらえ直すというのである。

  そして「学習する組織」とは? 以下の通り定義する。

 人々が絶えず、心から望んでいる結果を意味出す能力を拡張させる組織であり、新しい発展的な思考パターンが育まれる組織、共に抱く志が解放される組織、共に学習する方法を人々が継続的に学んでいる組織

5つのディシプリン

 学習する組織に必要なのは、「独立した互いに関連の無い力で世界が創られているという思いこみを打ち砕くこと」であるという。
 これこそ、「学習する組織」の中核的な考えとなる「複雑性の理解」=「システム思考」である。

  ただ、著者は、さまざまな企業と協業する中で、「複雑性の理解」だけでは不十分であることがわかってきたという。
 それを最大限に活かすためには、新しいタイプの経営を実行する「人」が必要であることに気がつく。
 その「人」に関連するのが、「志の育成」「内省的な会話の展開」であると、私は理解した。

 それらを、体系立てて本書では、「5つのディシプリン」と呼んでいる。

 ディシプリンとは、実践するために学習し、習得しなければならない理論と手法の体系のことである。

志の育成  ➀自己マスタリー ➁共有ビジョン
内省的な会話の展開 ③メンタル・モデル ➃チーム学習
複雑性の理解 ⑤システム思考

 概要は、各々以下のような意味である。

「自己マスタリー」
  継続的に私たちの個人のビジョンを明確にし、それを深めること
「メンタル・モデル」
 私たちがどのように世界を理解し、どのように行動するかに影響を及ぼ
 す、深くしみ込んだ前提、一般概念
「共有ビジョン」
 私たちが創り出そうとする共通像を掲げる力
「チーム学習」
 チームメンバーが前提を保留して本当の意味で「共に考える」能力
「システム思考」
 パターンの全体を明らかにして、それを効果的に変える方法を見つけるた
 めの概念的枠組み

  その中でも、学習する組織の要となるのは、「システム思考」である。

  システム思考は、先に述べた全体像を明らかにするという意味に加え、これら5つのディシプリンを別々に用いるのではなく一体として使うということも意味する。
 システム思考により。各ディシプリンも強化され、全体が部分の総和にまさる状態になるとしている。

 したがって、他のディシプリンすべてを包括する意味で、システム思考を、「第5のディシプリン」と呼ぶという関係性にあるのである。

 ディシプリンを実践することは、一生生涯学習者になること。目的地に到着することはない。という。
 そのような長い長い旅にでることになる「学習をすること」は人にとって、可能なのか?

 著者は、YESという。

 学習は、私たちがもってうまれた性分であることに加え、私たちは学習することが大好きなのだ。

 7つの学習障害

  では、ほとんどの組織が学習できていないのはなぜか?それは、偶然のことではないと説く。

 組織の設計や管理の仕方や人々の仕事の定め方、そして最も重要な考え方や(組織内に限らず、もっと広い意味での)相互作用のあり様が、根本的な学習障害を生み出している。優秀で熱心な人々が最善の努力をしても、こうした障害が起こる。往々にして、問題を解決しようと懸命に努力すればするほど、結果はますます悪くなる。

  そこには、7つの学習障害があり、それを認識することが、学習障害を治癒する第1歩であるという。

  7つの学習障害とは、以下の通りであり、組織人から見るとまさに「あるある」の内容となっている。

➀私の仕事は○○だから
➁「悪いのはあちら」
③先制攻撃の幻想
➃出来事への執着
⑤ゆでガエルの寓話
⑥「経験から学ぶ」という妄想
⑦経営陣の神話

 なかでも興味深かった、2つの項目をピックアップする

 ③先制攻撃の幻想

「積極的になること」は推奨されることである。しかし著者は、たいていの場合積極的に見えても、実は受け身であるという。

 「あちらにいる敵」と戦おうとしてより攻撃的になるとき、私たちは、受け身なのである。

真の積極策は、私たち自身がどのように自身の問題を引き起こしているか理解することから生まれる。それは、私たちの感情の状態からではなく、私たちの考え方から生み出されるものなのだ。

 ⑥「経験から学ぶ」という妄想

 私たちにとって最善の学習は経験を通じた学習なのだが、多くの場合、最も重要な意思決定がもたらす結果を私たちが直接には経験できない。

私たちの一人ひとりに「学習の視野」がある。つまり私たちは、時間的にも空間的にも、ある一定の幅の視界の中で自身の有効性を評価するのだ。行動の結果が自身の学習の視野を超えたところに生じるとき、直接的な経験から学ぶことが不可能になる。

「愚者は経験に学び、賢者は歴史に学ぶ」ということであろうか?
もっと時系列の範囲を広げて俯瞰しないと「学習」にはならないということであろう。

 第Ⅰ部を読んだ時点での疑問

 そして、本書では、学習障害や学習する組織のディシプリンを体感するゲームとして「ビールゲーム」を取り上げる。

ゲームの中で、プレーヤーは小売、卸売、工場と各々の役割を果たす。

 そして、ここで自分が最適と思う意思決定を積極的に行うことによって、悲惨な結果がもたらされることを学ぶ。
 またほとんどの人が、置かれた環境(構造)によって、同じような行動を起こす。
 そこで、システム全体像を理解することの重要性や置かれた構造によって人の行動は影響を及ぼされることを学ぶ。

 2次元で自分の周囲を見える範囲で見渡して行動するのではなく、3次元で俯瞰して、全体の関係性、システムを理解することが重要であることを指摘する。

 学習する組織の核心は、認識の変容なのである。

学習する組織の核心は、認識の変容であり、自分自身が世界から切り離されているとする見方から、つながっているとする見方に変わること。そして、問題は、「外側の」誰かが引き起こすものだと考えることから、いかに私たち自身の行動が自分の直面する問題を生み出しているかに目を向けることへの変容であるとする。

  これから、システム思考やその他4つのディスプリンの内容を第Ⅱ部、第Ⅲ部で見ていくこととなる。

その前に、現時点での疑問を挙げることで終わりにしたい。

【疑問1】システム全体を俯瞰するというのは、どの範囲まで俯瞰すれば良いか?

 システム全体を理解するというが、風が吹けば桶屋が儲かる式に影響は無限大に広がっていく。なかには、「バタフライ効果」のように、はるかかなたの出来事が大きな影響を与えることもあるであろう。どこまで俯瞰して見ることが「システム全体」の理解につながるのか?そして、認知の限界のある人間にそれが可能なのか?

 【疑問2】システム内のどの程度の関係者が「学習する組織」を理解すれば効果がでるか?

 「学習する組織」を受け容れ、共有ビジョンをもち、チーム学習を行うには、現時点の認識の変容が必要だと理解した。システム内の関係者、全員の認識が変容する必要があるのか?

 【疑問3】TOC(制約理論)とシステム思考は同じか?違いがあるとすればどのようなところか?

 システム思考は、「ザ・ゴール」で有名なTOC(制約理論)と同じような考えのように見える。システムには潜在的なレバレッジがあるが、人は自分が意思決定を行う際に、そのレバレッジに気が付かないという。レバレッジとTOCにおけるボトルネックも同じように聞こえる。

これらは、同じような意味なのか?それとも違いがあるのか?

さあ、それでは第Ⅱ部のシステム思考に進みたい。

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