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【言志四録1】省察し、己の本心に従って志を立て進め(言志録①)
前回、言志四録について書いていこうと言ってからしばらくたった。
今回からいよいスタートしたい。
まずは、「言志録」からである。
自分の中で特に気になった項目について毎回、3~5個づつくらい書いていこうと思っている。その上で、その中で印象に残ったことを踏まえて、タイトルをつけていく。
なお、引用は特段注記がない限り、川上正光訳注「言志四録(一)~(四)」講談社学術文庫からのものである。
3 天に事うる心
凡そ事を作すには、須らく天に事うるの心有るを要すべし。人に示すの念有るを要せず。
すべて事業をするには、天(神または仏)に仕える心をもつことが必要である人に示す気持ちがあってはいけない。
西郷南洲の遺訓のなかに、「人を相手にせず、天を相手にせよ。」というのがあり、こちらの方を先に知ったが、言志録の影響だろうか。そもそも「お天道様が見ておられる」というのは昔から言われる言葉であり、われわれ日本人の心には響くものである。
また「仏心は自分の中にある」という仏教の教えからすると、自分の心に聞いて恥ずかしくないことをするということなのではないだろうか?
人にどう思われるかではなく、自分自身の心に聞いてみる。大事にしたい。常日頃、素の自分に立ち戻る時間を短時間でもいいので持ち続けたいものである。
6 学は立志より要なるはなし
学は立志より要なるは莫し。而して立志も亦之を強うるに非らず。只だ本心の好む所に従うのみ。
学問をするには、目標を立てて、心を振い立てることより肝要なことはない。しかし、心を振い立たせることも外から強制すべきものではない。ただ、己の本心の好みに従うばかりである。
修士課程に通い始めて半年近くになる。学びたいことを学んでいるので、まったく苦ではないが、時間が足りず、課題に追われて自分がいる。
そんな私に「只だ本心の好む所に従うのみ」という言葉は突き刺さった。 もっと、自分を解き放って、自分がやりたいことを突き詰めてやっていきたい。
この項は、川上正光氏による付記も良い。
物事を成就するには、立志だけでは駄目である。まずは志を立てる。これは発心である。次は実行に踏み出す。これは決心である。これだけではまだ駄目で、これを成功するまで継続しなければいけない。これを持続心という。
発心 x 決心 x 持続心 = 物事の成就。
立志を行動につなげ、持続させる。とても重要だ。でのまずもって、その立志のベースには、己の本心がないといけない。自分を振り返り、本心からの立志を打ち立てていく必要がある。
9 徳と位
君子とは有徳の称なり。其の徳有れば、則ち其の位有り。徳の高下を視て、位の崇卑を為す。叔世に及んで其の徳無くして、其の位い居る者有れば、則ち亦遂に専ら在位に就いて之を称する者有り。今の君子、なんぞ虚名を冒すの恥たるを知らざる。
君子というのは徳のある人をいうのである。(昔は)徳のある人は、それに相応した立派な地位があった。すなわち、徳の高い低いによって、位も尊い卑しいがあった。ところが後世になって、徳がなくて結構よい位にある人が出て来たので、君子という言葉も遂に高い地位にいるという理由だけで、そう称する者があるようになった。今日の君子諸君よ、(それだけの実を具えていないのに)君子をという虚名をおかして、どうして恥と思わないのか。
痛烈な言葉である。
地位に頼らず、自分を磨いていきたいものである。
地位を得ると周りからの直言、フィードバックが得られなくなり、自分を修正していくことが難しくなる。いかにこれに自覚的になるか。
私自身も危うい。常に冷静に自分を保ちたいものである。
また付記では、バーナード=ショウの言葉を紹介する。
「中才は肩書によって現れ、
大才は肩書を邪魔にし、
小才は肩書を汚す」
肩書に頼らない生き方。そうなりたいものである。
10 自ら省察すべし
人は須らく自ら省察すべし。「天何の故にか我が身を生出し、我れをして果して何の用にか供せしむ。我れ既に天の物なれば、必ず天の役あり。天の役共せずんば、天の咎必ず至らむ。」省察して此に到れば則ち我が身の苟くも生く可からざるを知らむ。
人間はだれでも、次の事を反省し考察してみる必要がある。
「天はなぜ自分をこの世に生み出し、何の用をさせようとするのか。自分は天(神)の物であるから、必ず天職がある。この天職を果たさなければ、天罰を必ずうける」と。
ここまで反省、考察してくると、自分はただうかうかとこの世に生きているだけではすまされないことがわかる。
吉田松陰は、「一日世に在れば、一日為すあり」と言ったという。
私にとっての天職とは何だろうか?まだめぐり合っていないような気もする。
しかし一日一日、世のため、人のためという気持ちは持っていたい。
13 読書は手段
学を為す。故に書を読む。
我々は学問をして、実生活や精神の修養に役立てようとするものである。書を読むのは、あくまで参考にするものである。
前にも書いたが、私が佐藤一斎や言志四録に興味を持つようになった月刊 致知の特集タイトルである。
本を読むことを目的にしてしまう自分がいる。それをどう役に立てるかである。逆引きで調べたいことがあって、本や論文に当たっていく学び方も身につけていきたい。