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【言志四録2】「忙しい」と言いつつ、本当に必要なことをやっているか?(言志録②)

 しばらく空いてしまったが、言志録の2回目である。
今回も自分の中で特に気になった項目を5つ取り上げて書いてみた。その上で、その中で印象に残ったことを踏まえて、タイトルをきめた。

 なお、引用は特段注記がない限り、川上正光訳注「言志四録(一)~(四)」講談社学術文庫からのものである。


26 慮事と処事

事を慮るは周詳ならんことを欲し、事を処するは易簡ならんことを欲す。

物事を考える場合は、周到綿密なることが必要だ。一たん考えがきまったからは、これを行うには、手軽に片づけることが必要だ。

 私にとっては、「言うが易く行うは難し」なことである。「えいや」ではじめてしまい、その後、くよくよすることが本当に多く、よくやりがちである。
 一旦、考えが決まったら、実行は、一気呵成にやり遂げる。その精神は身につけたいものである。

27 大志と遠慮

真に大志有る者は、克く小物を勤め、真に遠慮有る者は、細事を忽せにせず。

真に大志ある者は、小さな事柄をも粗末にしないで勤めはげみ、真に遠大な考えをもっている者は、些細な事をもゆるがせにしない。

 これも身につまされる警句である。
大志あるものは、謙虚である。そして少々の事に動じない。
自分はどうだろうか?
目の前のことを大切にしているだろうか?
そんなことを考えさせられる。

31 実事と閑事

今人率ね口に多忙を説く。其の為す所を視るに、実事を整頓するもの十に一二。閑事を料理するもの十に八九、又閑事を認めて以て実事と為す。宣なり其の多忙なるや。志有る者誤って此のかを踏むこと勿れ。

今時の人は、口ぐせのように忙しいという(こんなに多忙では、本も読んでいられないという)。しかし、そのしているところを見ると、実際に必要なことをしているのは十の中の一、二に過ぎず、つまらない仕事が十の中の八、九である。そして、このつまらない仕事を必要な仕事と思っているのであるから、それではいそがしいのももっともなことだ。本当に何かしようとする志のある者は、こんなあなに入り込んではいけない。

 これは、言志録の中でも、特に好きな箇所である。
よく陥りがちであり、自分への戒めになる言葉である。まだまだ意味のある実事でできることはたくさんあるのではなかろうか。そんな風に思うところである。
 以前に読んでnoteでも感想を書いた、「アイデアのつくり方」ででてくる「小事省事」(椎名悦三郎)を思い出した。

 緊急度と重要度の高低で4象限にわけるマトリックスがあるが、重要度低いけど、緊急度高い案件に時間取られる。これならまだ良いが、緊急度も重要度も高くないのにいつの間にか時間取られているってのはよくある。
 それで仕事やった感に陥るってことは本当によくある。

32 立志をとうとぶ

緊しく此の志を立てて以て之を求めば、薪を搬び水を運ぶと雖も、亦是れ学の在る所なり。況や書を読み理を窮むるをや。志の立たざれば、終日読書に従事するとも、亦唯だ是れ閑事のみ。故に学を為すは志を立つるより尚なるは莫し。

(聖賢たらんと)志を立て、これを求めれば、たとえ、薪を運び、水を運んでも、そこに学問の道はあって、真理を自得することができるものだ。まして、書物を読み、物事の道理を窮めようと専念するからには、目的を達せないはずはない。
しかし、志が立っていなければ、一日中本を読んでいても、それはむだ事に過ぎない。だから、学問をして、聖賢にならんとするには、志を立てるより大切なことはない。

 言志録を貫く視点かもしれない「立志」。前回取り上げた「学を為す。故に書を読む。」にも通ずるが、自分は何のために本を読むのか?その根本のはとっても重要だろう。自分に取っては何だろうか?人間というもののことをもっと知りたい。自分が働きかけることで、組織をより良いものにしていきたい。そんなことだろうか?常に立ち返りたい。

33 志ある者

志有るの士は利刃の如し。百邪辟易す。志無きの人は鈍刀の如し。童猛も侮翫す。

志のある人は、鋭利な刃のようなもので、いろいろの魔物がすべてしりごみして近づけない。なにもしようとする意志のない人は、なまくら刀のようなもので、子供までがばかにする。

こちらも志について。幕末の志士に大きな影響を与えた佐藤一斎であるが、その言葉は、確かに人を奮い立たせる。
今、組織開発・人材開発にすごく興味が沸いていて興味が赴くままに突き進んでいるが、私の志はなんだろうか?


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