のび太という生き方
「のび太くんを選んだきみの判断は正しかったと思うよ。あの青年は人のしあわせを願い、人の不幸を悲しむことができる人だ。それがいちばん人間にとってだいじなことなんだからね。」
しずかちゃんのパパの名言である。
「相手の立場になって考える」ということをここ1年ぐらい前から意識するようになった。
その理由はとりあえず置いておくとして、
そういう気持ちを大事にしようと思っている今の僕でさえ、のび太君にはかなわないなと感じる。
この世の中で、「人のしあわせを願い、人の不幸を悲しむことができる人」はどれぐらいいるんだろうと考える。
きれいごとを抜きにすれば、はっきり言って人間なんてみんな自己満のために考えるし行動する。
学校現場ではよくボランティア活動の強制で賛否が分かれる。
何もしないのか、偽善であったとしても参加するのか。
こういう場合の僕の考えは、「偽善であっても行動すべし」である。
結局その行動によって少しでも誰かが助かるのであれば、それは意味ある行動だと思う。
でもボランティア活動本来の意味を考えた時、もしかしたら何もしないという考えであれば、それはそれで問題ないのかもしれない。
そもそも圧力の中でいやいや行うのであれば、それはボランティア活動とは言えない。ただの強制労働である。
つまりどこに重きを置くかで評価なんてものは変わってしまう。
人の内面も同じだ。たとえ自己満であっても、他人に迷惑が掛からないのであれば問題はない。
しかし、僕は「人のしあわせを願い、人の不幸を悲しむことができる人」に関してはそうも言ってられない気がする。
「それがいちばん人間にとってだいじなことなんだからね。」
そう思う。
この気持ちを持てるかどうか。
「相手の立場になって考える」
このことのむずかしさを常々感じている。