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文章を創る中毒?

もう中毒かもしれない。暇があれば、スキが付いた自分の記事を読み返す。自分で言うのもなんだが、質が上がったなあと感じるし、笑みが出る^^

比較は他人とするのではなく、昔の自分としろと、心理学者のアドラーは言っている。

現在、他人と比較する癖と向き合っている。無意識に他人と比較している。おもしろくないし、自分を悪く見る。

noteを始めたころ、スキはつかなかった。遅れて、スマフォ版のnoteを適当に書いているが、手抜きでもあり、なかなかつかない。

多くの人はスマフォなんだろうなあと感じる。確かにパソコンはメンドクサイ。多くに人は、ブラインドタッチができないだろう。これは無料のタイピングソフトがあるのだ^^

ぼくは40年の経験を持っている。ゲームを創って販売した過去があり、今はまたやろうとして、noteを書きながら、ヒントを探している^^

世間は便利を提供する。スマフォが出る前は、多くの人が一本指打法^^で、キーボードで打っていたはずだ。それでいいのだが・・・

スマフォがパソコンでできることは何でも出来るとあるが、スマフォだと疲れる。何でも出来るってのは宣伝文句であり、長年のパソコンユーザーは、
「変なこと言ってんな」と思ったはずだ。

ゲームを創って売るにしても、スマフォ市場は大きい。パソコンに対応してきたぼくは、改めて、Unityと向き合い、挫折を感じている。

時間がかかるなあと言うのが感想で、便利そうだが、チュートリアルも、最新版では無いし、なんか違うなあと感じます。

ぼくはパソコン中毒だ。確かに、パソコンのゲームを創ってきたから、長時間する。体のことを考えて、疲れたら散歩に出る。

コンビニで飴を買った。対応した店員さんが丁寧で、嬉しかった。頑張ると良いことある^^

ある作家さんも、物書き中毒と自分を表現した。

うーん、中毒を治さないでいい。これは医師のやり方をどこでか聞いた。

治療しない治療と言う方法があるらしい。

依存症に関し、話を聴くが、治すことにはノータッチ。自分の依存症と向き合い、自分の努力で受け入れていく。なんかが変わる。病気は病気のままでいい。

作業所の皆を見ると、ひとりひとり癖の様な依存をしてくる。極端な人もいる。だが、多くの人との交流で、少しずつ、治っていく。

治ると言う感覚自体、いらない。対人関係で、多くの問題が処理できていく。

障がい者と言う立場が邪魔で、普段は健常者と言う生き方で過ごす。近所で買い物して店員さんと仲良くなるが、

なぜか、ひとりに、障がいを持っていたと言ってしまい、過去にと言った。自己宣言は強力であり、聞いた方は、びっくりしたが、

よく聞いてくれて、障がい者を辞め、ゲームクリエイターとして生きている。何とかなっている。(現実は生活保護)

半分は嘘だが、自分を受け入れ、スキなことを書くことで、回復が進んでいく。

ほとんどはインスピレーションであり、気づきがそう発言させた。近所の床屋さんに言わせると、

もう治っているんじゃないの。元気じゃん

そう言われた。当たっている。だが、障がい者は、いろんな支援ネットワークに依存しており、全部関係を切ると、

友達がいなくなる

これは痛い。彼女にも何か言われそう。

物書き依存をこう使う

依存をしっかりし、書くことの友と見なす。依存が仕事をする上で役立っていることを自覚する。

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