好きなことは治療になる
人生がターニングポイントを迎えました^^
医療関係者に「健常者と変わらなくなりましたね^^」と言われました。
おはようございます。masaです。いつも読んでくれて感謝^^
自分なりに自己治療に励んできました。25年です。
その間に作家の本田健さんの本、
ユダヤ人大富豪の教え
と出会い、嫌なことを仕事にするなと教わって、好きなことをずっとしてきました。
それは書くこととゲーム制作です。
好きなことをする選択をすると障害も起きますが、(好きなことじゃなくて、ちゃんとした仕事を選びなさいとかの反発)
うつ状態でも書いたり、ゲームを試行錯誤して創ることは大変でしたが、満足感がありました。
ゲーム制作の教科書を見ながら、やるわけですが、一時的にうつが悪化することもありました。体が抵抗しましたし、
布団とパソコンを何度も往復する日々でした。
好きなことは体質を変えてゆく
好きなことをし続けて発見したのは、
体質が変わる
でした。
病気から健康な体質に変わっていきます。薬じゃないんだと実感しました。
通院はしていましたし、医師との関係もあったので、薬は飲んでいましたが、
どう考えても、好きなことをすることはそれ以上に効くのです。
ゲームが作れることは喜びですが、皆が喜ぶわけじゃありません。嫉妬されたりしますが、それでもいいとの割り切りがあります。
40年の継続は
ゲーム作り40年です。自分でもびっくりです。17歳の時にパソコンサークルの仲間と、
T&ESOFTに訪問したことがあります。自作のゲームもどきを持って。
結局は見てもらえませんでした。そして、この会社は無くなりました。
長い間、ゲームと関係の無い仕事をしていました。それで”仕事”を覚えました。社会人としてのノウハウです。
聞いた話ですが、プロのゲーム開発者は常識が無いそうです。ゲームは作れるのですが、対人スキルが無い。
ゲーム以外で食えない。そんな感じです。ぼくはゲーム会社がつぶれやすいのを知っています。かなりのギャンブルをやるからです。
つぶれない会社もありますが、それはその会社はゲームだけでなくスポーツクラブをやっていたり(KONAMI)、多角経営をしているからです。
40年どこにも所属しないで、趣味の一環として作ってきました。この12年、無償配布や販売も試みました。
結果、無償配布74本。有料版10本と言う結果でした。これはすごいことらしいとある人に言われ、ぼくは頑張ったんだなと思いました^^
40年、教科書とネットだけの助けでした。今はゲームクリエイターの知り合いがいます。忙しそうですが、相談にのってくれます^^
好きなことで飯を食うにはプロセスがある
まず、最初は飯が食えません。だから、援助を受ける必要があります。普通なら銀行の資金を借りるとかします。
ぼくのように生活保護を貰っているなら、それでまず、生活費を確保します。
どこかの会社に入れるなら、それはいいですね。ただ、いろいろとありそうです。
好きなことで飯を食うには、本業以外の方法で、まず、ペンネームを知られる必要があります。
masaと言う名前をブランドにしないといけません。ある人の知恵です。
自己治療の道を突き進む
本田健さんのヒントに感謝しながら、好きなことを選び続けました^^
書くことやゲームを作ることをしていると言ったら、まず、親に文句を言われました。
「病気を治しなさい」と。
親はゲームを作ることが病気だと思っていたのです。
それでも好きな選択を貫いていきました。
知人が褒めてくれました。遊びに来た友人が、ぼくのパソコンの画面のたくさんのファイルを見て、嫌な顔をしました。
今思うと、友人の理解を超えていたのですね。パソコンに関し素人です。
対人関係で、変化が起き(本田健さんのいうとおりです)、親も知人も友人も、皆それぞれ、受け入れました。
また、訪問看護と言う援助を受け、生活改善の援助をいただけました^^
食生活や、健康に関し、看護師さんから助言を貰えるようになりました。
好きなことをすると、生活面で、具体的な援助が増えて来る^^
看護師さんにnoteやゲームを見せました。褒められました^^
いろいろありましたが、貫くといい結果になるのですね^^
今、双極性障害で悩んでいる方へ
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