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私的衝動から公共性を生み出す、プロジェクト駆動の民主主義

これまで、従来の民主主義への疑問を呈し、デジタルテクノロジーを通じた政治への参画や、くじ引き民主主義などの新しい制度遊びから市民性を醸成するなどを考えてきました。

今回は同様の問題意識で、民主主義を別角度から捉え、どのように私的なプロジェクトが民主主義と関わり合っているかを論考したいと思います。いうまでもなく、民主主義自体が"未完のプロジェクト"であり、常にあり方を問い直し、可能性を模索し続けなければなりません。そうした無数の可能性のひとつを照らしていければと思います。

日本はそもそも、民主主義が戦後に降ってきたわけで、闘争により勝ち取ったわけでもありません。デューイは民主主義とは生き方なのだと説いていますが、日本において民主主義は「制度的なもの」に限定され、また生(活)との分断が起きていると感じます。生活者が自分たちの手で、手触りを感じつつ生をかたちづくっていけるの日々の営みに統合されていないのです。

「熟議への参加」から、「実行・実現への参加」を軸にしたプロジェクト駆動の民主主義へ

従来の民主主義では、代表制民主主義という形式下で人々が選挙に参加したり、または熟議民主主義とよばれる形式で多様な人々の対話から新しい選択肢の可能性を模索していく、というのが一般的でした。一方、この過程で意思決定されたトピックを実行に移す力をもつのは、政治家をはじめとする権力者です。もちろん熟議も選挙も重要です。とくに異なる他者との熟議によりお互いを認め合う感度も育まれていくことでしょうし、日本ではこれさえ中々難しく感じます。しかし、ここでの指摘は意思決定過程と実行段階は分断されている、ということです。

民主主義とは、人々が出会い、共に自分たちの生活世界をデザインする自由を与えるだけでなく、これらの会話や協働のデザインプロセスが具体的な結果をもたらす可能性を高めるための空間である
ーEzio Manzini, Regenerating Democracy

DESISというソーシャルイノベーションのためのデザイン研究グループの中核的存在かつデザイン思想家であるEzio Manziniは、"民主主義の再生"を掲げ、新しいかたちを提唱します。それが、「プロジェクト駆動の民主主義」です。DESISでは、持続可能性を掲げてデザインに取り組んできました。例えば、車での交通からシェアサイクルのネットワークの導入であったり、コミュニティ農園であったり。

この経験を通して、感じたのは新しい種類の市民的感覚だと話しています。それは、公共の関心事についての議論に参加するだけでなく、議論したことを実践し、自らの手で実現していくような市民のあり方です。そして、彼らはそれを自分自身のためでもあり、共同体やさらに大きな社会を見据えて行動している、と。

この市民感覚に基づいて提唱された「プロジェクト駆動の民主主義」は協働的な参加型民主主義のいち形式として位置付けられます。

誰もが自身のプロジェクトを立ち上げ、一方で他者のプロジェクトの可能性を妨げないように、その結果を達成しうる参加形のエコシステムだ...プロジェクト駆動の民主主義とはあらゆる人が出逢い、協働する可能性を与え、その過程で個人的にも社会的にも、公共の関心を満たせるような環境である
ーEzio Manzini, Regenerating Democracy

一人ひとりが自分の関心を持ちつつ、出逢った他者とそれを分かち合い、対話し、意思決定がなされ、協働的なプロジェクトが生まれる。そして、彼ら自身でそれを社会実装していく。そのような自らの関心・衝動と共同体への貢献が接続されたところに生まれる公共性を認め、結果としてその集団の多様な人々の善につながる、というのがこのプロジェクト駆動の民主主義です。つまり従来の参加型民主主義=「熟議への参加」であったところから、「実行・実現への参加」を説いています。

重要なのは、個々人の関心と協働性です。私的な関心から出発しなければ、自分ごととして衝動に突き動かされることはないでしょうし、協働を介さなければそれを広く実現していく力は弱まります。さらには、協働を介して社会的資本も育まれていきます。

代表性民主主義の担保となる

しかし、そのプロジェクトがどんなものであったとしても、それは問題に敏感であったアクティブな、そして参加に必要な時間とエネルギーをもつ一部の市民の行動の結果なのです。この懸念をManziniも指摘しています。

行動的な市民は、しばしば大多数の人々を代表はしていない。ソーシャルイノベーションは他者に理解されない、少数の行動的な市民により促されるのはよくあることだ。ときに、彼らの考え方は、その時のその地域で当たり前の考えと対立すらしうる。
ーEzio Manzini, Regenerating Democracy

そして、この問題点に関して都市農園を例に挙げています。それも、少数のアクティヴィストから始まったが、より多くの場所で支持を得てスケールしていきました。つまり、私的な関心を共有しあい、実際に行動したことで人々の賛同を呼び、結果として公的な関心につながっていったのです。そして場合によっては行政に認可され、規制がつくりかえられる。この意味で、プロジェクト駆動の民主主義は、非公式ではじまりつつも、代表制民主主義のように最終的には公的に承認されていく、と論じています。

「プロジェクト駆動の民主主義」をより起こりやすい状態にするためには、いくつも環境整備が必要となります。他者のプロジェクトを尊重するルールの整備、物理/仮想的な集まれる場の構築、そのためのコミュニケーションの補助線を引く、などです。そのインフラは個々人の自律性とそれぞれの関心の多様性を許し、協働を促すようなものであるべきでしょう。そうした、人々の可能性の発露〜協働〜実装が起こる環境をつくることが求められます。

ちなみに丁度先日にプロジェクト駆動の民主主義も説明しているEzio ManziniのPolitics of the Everydayを邦訳した「日々の政治」が出版されたので、こちらも要チェックです。

各々が関心のもとで小さな変化をかたちにした結果として、政治的権力を起点とせずとも公共性が生まれ、民主的な社会につながるという可能性。それを感じられる事例に少しご紹介します。

事例1|政治活動としての都市農園

都市農園やコミュニティ農園は近年、欧州を中心とした都市部での盛り上がりを見せています。持続可能性の観点から考えても、遠いどこかで生産された食物ガ食卓に届く大きなシステムから、小さな閉じたシステムに移行することはCO2排出量や梱包の削減などから見ても合理的です。また、自分たちで野菜をつくることで、生産の過程を学び、それまでの消費への批評的な想像を生み出します。ジョン・ホプキンス大学の研究では、都市農園は、食の安全や生態系、市民の健康、社会資本の強化、コミュニティの幸福度へのポジティブな相関があると研究結果がでています。

都市住民の「食」のあり方は多くの場合、市場に依存し、他の選択肢が想像しづらくなっています。その市場権力とでもいうものに対する抵抗のかたちとして、ゲリラ的な都市農園のムーブメントが見受けられます。

農薬まみれじゃないリンゴ1個を買うのに、45分も車を走らせなきゃならねえのは、もううんざりだったんだ。だから家の前に菜園を作った
ーロン・フィリー, ロサンゼルス危険地域で菜園造りゲリラ作戦

“ギャングスタ園芸家"ロン・フィンリーはロサンゼルスの黒人やラテン系移民が多い地区に住んでいましたが、その地区の肥満率は近隣の別地区の5倍ほどだったそう。その地区では、健康に良い食の選択肢が限られていたそうです。なので、勝手に土地をつかって農園をはじめちゃいます。パンクです。で、家と道路の間の細長い土地を掘って、かぼちゃやひまわりを植えたとあります。

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土地を農園にしちゃった、のビフォア/アフター

違法です。が、この土地はどうせ管理が必要なら、おれが勝手にやる!と。行政からは菜園を撤去せよと通達がきます。そこからchange.orgで900人ほどの署名を集めるなど、役人との交渉の結果として法律をねじ曲げ変えていったそうです。「自分で食べ物を育てることは、自分で紙幣をするようなものだ」そう彼は語ります。

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ロンドンでも、急速にコミュニティ農園が広まっており、現在2500以上の農園が登録されているそう。ハックニーという地区でも、農園が存在します。これは気候危機に対する政府に対策を訴えかける活動家グループExtinction Rebellionの取組です。基本活動は街路を封鎖したり、抗議活動を行うグローバルな団体ですが、ハックニーのグループは、環境活動へのアプローチを地域社会へ広げようと、農園をつくりました。

ボランティアは、廃棄された板などを使って植物の花壇を作り、道具や機材はすべてグループの仲間や友人から調達したもの。栽培された野菜は、コミュニティに無料で提供されます。農園にはピクニック用のベンチが置かれ、地元の人たちがスペースとして利用できるようになっています。

Extinvition Rebellionの抗議活動は、人によっては少し怯むようなものかもしれませんが、この庭は歓迎されていて、生活にも彩りをもたらします。
ーLondon’s green fingers

この発言から見るように、デモや過激な抗議はひとつの手段ではあるものの、一方で参加者を限定します。なにより「非日常の祭り」で終わってしまう可能性もあり、日常に接続されずらいのです。それを考えたら、コミュニティ農園という切り口は新たな抗議の活動になりうるのでしょう。

これらの事例は、政治的な活動=アクティヴィズムです。ある種の抵抗のかたちとして、訴えかけとしての活動。しかし、従来のデモに代表される活動と大きく異なるのは、実社会に介入し、何かしらの変化を生み出す部分です。行政府が対処してくれるのを待つのではなく、勝手にやっちまおうぜ、自分たちで変えちまおうぜ、と。デザインがより望ましい未来に向けて、差異をもたらす可能性をかたちにする営みであるとするならば、これらは非常に政治性の強いデザインだといえるでしょう。

事例2|Sampa Sauna: 自治運営される公共サウナ

筆者の留学していたフィンランドはいわずもがなサウナ大国です。人口550万に対し、サウナは300万戸もあります。アパートに備えつきのサウナがあり予約して使えたり、自宅にサウナがある方も多くいます。一方、公衆サウナを使う場合には意外に料金がかかります。

しかし、ヘルシンキには無料の公衆サウナがひとつだけ存在します。それが、Sampa Saunaです。このサウナは、誰しもに開かれたサウナで、利用無料だという原則のもとで24時間いつでも使えますが、すべてセルフサービスとなります。

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おじちゃんが全裸で薪を切る(筆者撮影)

Sampa Suanaは2011年に近隣のサウナ大好き市民たちが、放置されていた小屋を勝手に修繕しサウナ用のストーブを持ち込んで、公衆サウナに作り替えたところから始まります。その後、基本的にはボランティアが集い煙突をたてたり、木を切る道具を持ち寄ったりと進化していきます。

とはいえこのサウナ、完全に市の法律としては違法建築にあたります。そのため2011-2013年にかけ、何度も取り壊しにあっては、作り直し、を繰り返したそうです。2013年には、SompaSaunaの法人格をつくり、最終的には行政も認可をし、文化功労賞まで受賞して、公衆サウナ文化を広めるのに重要な役割をになっています。

ヘルシンキの都市研究者は、こうした市民発の活動をUrban Civic Activismと概念づけています。NPOなど第3セクターに当てはまらない第4セクターと位置付け、市民が自身で組織した集合的な活動であり、通常のアクティビズム(政治的な意思決定や意見に影響を与えるデモなど)とは違い、市民自ら介入的な行動を起こすような活動体だと説明されています (Mäenpää & Faehnle, 2017)。そしてこうした完全に草の根で偶発的な市民活動も都市計画・都市デザインへ活用していくべきだと、行政に必要な立ち振舞いを問いかけています。

おわりに

私的なプロジェクトからはじまり、協働を介し、支持を得て、公的な関心を満たしていく。さらに行政とのルールメイキングが行われる。このような過程を得た、人々による統治としてのプロジェクト駆動の民主主義を、アナキズムやアクティヴィズムと関連させて紹介しました。

重要なのは既存の民主主義を取って代わろうとするものではない、ということだと思います。選挙も必要だろうし、熟議も必要。いろんな参加の形式を認めた上で、プロジェクトを介した社会への関わりも、民主主義の一形式なのではないか?という可能性の提起です。このプロジェクト駆動は、非常に「強い」参加のあり方です。ここまで自分で旗をあげられないよ、という弱さも認めていくべきであり、ゆえにあらゆる民主主義のかたちのひとつにすぎないのだ、ということを念頭におくのも重要です。

本マガジンでは今後もこのような、民主主義とデザインに関する記事を更新していきます。よろしければマガジンのフォローをお願いします。また、その他なにかご一緒に模索していきたい行政・自治体関係者の方がいらっしゃいましたら、お気軽にTwitterのDMまたは📩アドレスpublicanddesign.pad@gmail.com宛にご連絡ください。

Reference

Civic Activism as Resources for The Metropolis
https://www.metropolis.dk/civic-activism/

London’s green fingers: How Extinction Rebellion is turning protest into guerilla gardening
https://www.oneearth.org/londons-green-fingers-how-extinction-rebellion-is-turning-protest-into-guerilla-gardening/

Regenerating democracy. The scenario of a project-centred democracy. 
https://current.ecuad.ca/regenerating-democracy-the-scenario-of-a-project-centred-democracy

ロサンゼルス危険地域で菜園造りゲリラ作戦
https://www.ted.com/talks/ron_finley_a_guerrilla_gardener_in_south_central_la/transcript?language=ja

はじめてのhttps://www.mishimaga.com/books/monthly-chabudai/002004.html

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Masafumi Kawachi
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