お勉強なのか、学習なのか、情報整理なのか

 つまるところ、「情報整理」なんだろうなって思います。
 脳の記憶に整理するのか、どこに記録があるのかだけを脳に「リンク」として覚えさせて"どこか"を参照(リファレンス)するようにしておくのか、勉強や学習の「結果」として、必要な時に必要な知見を取り出せるのであれば、どちらも同じと言える……でしょう。さすがに学校の定期試験や入学試験でこの道理、理屈・屁理屈は通らんでしょうけど。

 人間一生修行です、とは誰の言葉だったか。

 どっちみに、人間は死ぬまで(下手したら死んだ後も)勉強とか学習とか、つまりは修行を「し続ける」という存在なのかもしれません。
 外部刺激と外部情報を取り込むことを怠れば、それはすなわち、わたしという「個体」の生存を脅かす要因となる。
 勉強・学習のひとつの側面は、人の「生き・死に」に関わっている、ということです。自分は死なないつもりで勉強する、そんなお気楽極楽「おはなばたけ」な思考の奴なんて、おらんへんやろ〜。いやー存外、いるみたいですよ?お師匠様。

 だから結局、勉強法とか言ったところで、それは「情報の整理の仕方」、「整理した情報を必要に応じて容易に取り出す仕組みの構築」ってことに至る(とわたしは思っています)。


 前フリ終わり。前座完了。

 で。どうする?

 わたしの道具は「パソコン」です。
 一切合切、パソコンの中の「テキストファイル」に写しとっています。
 全部じゃないな。キーワードとか必要と思った単語とか。
 それをベースとなる一つのテキストファイルに集約する。
 あまりに煩雑になるなら、別テキストに、ベースとしているテキストファイルには「そのファイルへのリンク」つまり「ファイル名」(ホルダー名は省略)を書いておくことで、あとあとの検索でラクできるようにしている。……ファイル検索機能は「ファイル名」が大事でしょう。
最近だとファイル内容検索も出来るようだけど、OS側の仕様依存になるし、インデックスの再構築とかパソコンに負荷かけるのも気が引ける。というか、わたしの「貧相な性能の」パソコンではインデックス再構築そのものが動作全体に障害になりかねない、と判断して「機能オフ」にしています。ココは個人の状況次第ってトコですね。

 webのURLリンクはテキストとして記録しやすい。
 なんならwebページを丸ごと、ローカルのパソコンに落として(ダウンロードして)おていもよいかもしれません。パソコン内部容量次第。

 書籍へのリンクも「ベースとなる一つのテキストファイル」に保持しておくと、必要な時に閲覧する際の「探し物」の手間が低減するかもしれません。
 そのためには本棚とか詰めてる段ボール箱とかの「整理」も大事です。棚や箱に連番振る、とか。「所在」が明確になるようにしておくと良いでしょう。これが図書館蔵書だとかなり楽です。そもそも図書館って蔵書を整理してくれてますから。うっかり除籍ってことになってない限りは継続して所持してくれている(誰かに借りられていて必要な時に閲覧出来ないことあっても、返却を待てばいい)。

 学生時代に、ノートに、手書きで、授業内容を「写経」してきたことを思えば、パソコンで、打鍵で、「写経」することなんて造作もないことです。

 ひとによっては、スマートフォンを自己の知の「ベース」にされる方もあろうかと思います。スマートフォンにおけるテキストファイルの最大バイト数(エディタの機能上限)がどれほどかわたしは存じません。
 けど、分冊すればなんとなかるんじゃないかな、とだいぶゆるーく、考えてます。

 本当はスマートフォン向けのアプリケーションを作るための下準備として、パソコン上の「情報整理」を始めたんです。
 本とか知識とかだけじゃなく、衣類とか、生活の一切合切を「整理」つけてやろう!って思ってたんです。
 けど、いまのところ、わたし自身は、この「整理」で困ってないし、服とか靴とか帽子とかと収納場所との映像のリンク整理が、なんかもう、面倒になって来ちゃって絶賛頓挫中です。……むしろ誰か作ってーって感じ(おいおい)。

 情報の「整理をつける」ことが、勉強法、学習法なのかどうか、よくわかりません。
 けど学術論文のベースは、引用文献の「整理」であることを思えば、勉強・学習と、情報の整理は無縁ではなかろうと思います。

 オチなし。おしまい。

(12024.10.28.月)

#わたしの勉強法

 記事に流用できそうもない、だらだら作文ですが……。

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