「国債」のウソ

 国債は、「国庫債券」の略称だ。少なくとも券として発行し、40年債でも20年債でも2年債でも国際機関への拠出金支払いや「恩給」のような給付のためのものであっても、実体としてものとして(電子的な形態のものも、いまどきならあるのかもしれないが)、ある、国債は「国庫債券」の略称と考えて差し支えないだろう。

 一方で『財政法』に記述される国債はどうか。
 建設国債が、建設国庫債券。
 違和感を覚えないだろうか。

 財政法に描かれる「国債」は、どうやら債券ではなく債務の意味、と受け取らなければ条文記述の意味が通じない。償還と書いてあるが、債務ならば債務の解消と書くべきだ。財政法の「国債」が国家債務のうち国庫債券でまかったものを指し示す意図だとしても「建設国庫債券」なんてものを財務省は発行した実績はない。あるのは「償還年限」を約束した国庫債券のみである。

 『財政法』にはこのように不明瞭にして国民全員に対して不誠実な記述、表現がある。
 『財政法』ばかりではない。
 『日本国憲法』の記述も日本国民全員に対して、我らと我らの子孫に退いて不誠実と言わざるを得ない。中学校の3年次に前文くらいは習った、遠い記憶がある。けれど、暗記暗唱させるよりも「考えさせる」べきだ。国民の基本的人権を守るため備えるべき「軍隊」を放棄するなどもってのほかだ。北コリアに犯罪誘拐された人々すら奪還出来ない、竹島不法占拠を追い出せもしない、ましてや役人の不正、遵法違反の不受理すらも取り締まれない、そんな憲法……おっと話がそれた。軽く触れて戻るつもりだったのに(苦笑)。
 与党も、野党も、『財政法』のいう「国債」の、正しい意味を政府に問いたださねばならない。国民に不誠実であるのだとするならば、当然立法の府たる国会は問題点を認識し、不整合を是正する責務を常に負っているのだから国会議員として選出された最低限の「すべきこと」をなさっていただきたい。

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