愛すべき欠点〈81/1000〉
【ラジオ体操386日目】
『ニコチンレス生活107日目』
こんばんは。
欠点の無い人間になることを目指してきたけれど、欠点とは悪い部分ではなく、人との距離を縮める個性だということに気づいたコマリストです。
今日は『欠点という特徴』というテーマで書いていきたいと思います。
苦手を克服せよ。
短所を改善せよ。
完璧を目指せ。
私たちが小学生の頃から刷り込まれてきたメッセージです。
いつの間にか、自分自身の強みではなく弱みに目を向け、改善することに必死になってきた。
そして、これを大人になるまで追求し続けた結果、待ち受けているのは「無個性」。
幼少期から追い求めてきた完璧とは何だったのか。
今日は完璧を追い求めてきたコマリストが失ってしまった人間らしさと魅力についてのお話です。
出来ないことにばかり意識がいってしまう人のエールになったら嬉しいです。
不毛な努力
さて、完璧であることを追い求めて来た結果、コマリストがどうなったのか。
一言で言えば、
つまらない人間になった。
#友達が少ない
皆さんの友人や大切な人のことを思い出してみて下さい。
その中に『あの人、完璧!!』と思えるような人は、いるでしょうか?
恐らく、そんな人はいないのではないでしょうか。
そうです。
多くの人は誰かに惹かれたり、誰かと打ち解けたりする時、人の完璧さでは無く、人間らしさに引き寄せられます。
もちろん、欠点を気にしている人もいると思います。
なので、欠点があるのは素晴らしいことだ!なんてことを言うつもりはありません。
けれど、欠点があったほうが人間らしいと思います。
そして、人は完璧な人よりも人間らしい人に魅力を感じる。
つまり、欠点があった方が人から愛される存在になれるということ。
#極論です
そして、他人から尊敬されて、愛される存在になりたいという人は多い。
そんな人にとって、欠点を解消し、完璧を追い求めることがどれだけ不毛な努力であるかということが、よく分かりますよね。
#愛されたくない人もいるのかも
欠点を愛する
では、完璧を追い求めることは無駄なのか?
個人的には、
無駄ではないと思いたいけれど、あまり価値はないと思います。
私自身、欠点を人に見せることを嫌い、完璧であるかのように見せかける努力をしてきました。
#完璧ではない
その結果、何を得られたかと言うと、自己満足以外に何もありません。
何となく近寄りづらい。
冗談が通用しない。
ダメなところを見せられない。
何人かからこんなことを言われたこともあります。
本当の私は決して完璧ではありません。むしろ欠点とコンプレックスの塊です。
けれど、それを人に見せることは恥ずかしいことだと思い続けて大人になってしまった。
今さら、本当の自分をどうやって表現したらいいのか分かりません。
ということで、未だに「カッコつけたい」自分を捨てることができません。
#厨二なのです
こんなことを続けていたら、周りから人がいなくなることを散々経験してきたのに、付いてしまった悪癖はなかなか抜けない。
自分の長所が知りたくて、周りにどう見えているかと聞いてみることはあっても、短所や欠点については聞きたくない。
自覚している短所や欠点は見せたくないし改善したい。
こんな思考が頭から離れてくれません。
欠点を愛してみよう。
きっとその先に、大きな成長と変化が待っている。
これまでの私には考えられなかった「欠点を愛する」ということに挑戦しようと思います。
私と一緒に、欠点愛好家になってみませんか?
じゃ、またね!