自分を認めるって難しい
【ラジオ体操135日目】
こんにちは。
誰かに褒められたい、認められたいという欲求が人一倍強いので、虚勢を張ってしまうことが多々あるせいで、全然すごくないのに”すごい人”みたいに思われてしまってプレッシャーを抱えているコマリストです。
今日は『承認欲求』というテーマで書いていきたいと思います。
承認欲求と聞くと、マズローの5段階欲求を思い浮かべる人も多いと思います。
誰かに認められたい。
誰かに必要とされたい。
誰かに褒められたい。
これって、欲求の大きさには個人差があるものの、すべての人に存在する欲求ですよね。
先日、鴨頭義人さんと西任暁子さんの対談を拝見して、承認欲求についての考え方と、私自身のスタイルみたいなものについて、あらためて考えさせられたので、今の私が考えるこの欲求について整理してみます。
承認欲求の入り口
さて、鴨さんと西任さんの対談の中で、私がすごく気になったキーワードがあります。
それは、承認欲求を満たすための”入口”の違いというキーワード。
自分を認めることができるようになるには、
『他者を認められるようになることから』という切り口
『自分自身を徹底的に探究して愛することから』という切り口
この二つがあって、どちらも最終的には同じところ(自分を認め、他者を認められる)にたどり着くという話でした。
そして、重要なのは、どちらかの入り口が自分には合っているはずだということです。
そんなこと、考えたこともありません。実際、皆さんはどうでしょうか?
おそらく、私は性格が悪いので、徹底的に自分を理解して愛するところを入り口とするのが良いのかなと思っていたりするんですが。。
でもね、もう少しコマリストという人間を正直に書くと、
『他人は認めたくない。けど自分は認めてほしい』
こんな感じなんです。最低すぎますね笑
入り口を間違えると、目的地までの道のりが遠くなるとのことなので、自分にとっての正しい入り口がどっちなのか、本当に悩みます。
承認されたい気持ちの強さ
今回の対談動画を視聴して、私が一番考えさせられたのは『どうして人一倍承認欲求が強いのか?』ということです。
そして、一つの結論みたいのものにたどり着いたわけです。
それは、『幼少期の両親との関わり方』。
私は両親が共働きで、二人とも帰りが遅い仕事をしていたので、記憶している限り、ほとんど自宅で一緒に過ごしたことがありません。
2つ年上の姉と4つ年上の姉がいるので、姉たちに育てられたという記憶しかないのです。
正確には、祖母がいたので”稀代のおばぁちゃんっ子”でもあるんですが、社会人になるまで、ほとんど両親からの”愛情”に関わる記憶が残ってないので、これが一番の原因なのかなと。
どれくらい両親と会わなかったかというと、中学生の頃は私自身が学校終わりに塾へ直接通い、深夜1時まで勉強して、翌朝は5時から部活か友人に勉強を教える生活だったので、共働きの両親と時間が合うはずもなく、月に1回会えば良いくらい。
もっと小さい頃も、自宅の横に”離れ”があって、両親はそこで過ごしていたので、自宅の中で顔を合わせる機会そのものが少なかったという状態。
幼少期の両親からの愛情と関係性。
これが大人になってから承認欲求の強さとして現れるというのはよく聞く話ですが、私自身が身をもって実感しています。
でもね、自分でコントロールできないことに困るというのは嫌いなので、今からでも、承認欲求との正しい向き合い方を身に着けて、自分でコントロールしてやろうと思ってます。
今日は、そんな私の気づきと決意の回となってしまいました。
せっかく読んでくれている皆さんにも学びがある内容を、届ける努力をしないとですね。
じゃ、またね!
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