自分をさらけ出す!〈136/1000〉
【ラジオ体操441日目】
『ニコチンレス生活162日目』
こんばんは。
記事を読んでもらえるのはありがたいけれど、読み手を知りすぎると自由な表現が出来なくなることもあると痛感しているコマリストです。
今日は『さらけ出しすぎることへの恐れ』というテーマで書いていきたいと思います。
noteクリエイターの皆さん、日々の執筆活動お楽しみ様です。
noteを更新していると、知らない人に自分の記事が読まれて、何かしらの反応をしてもらえることなんかがあって、こそばゆい感じがすることもありますよね。
noteの良さは色々ありますが、本名を出すのも出さないのも自分自身で選択することが出来るというのは、私にとっては非常にありがたいです。
というのも、職業柄色んな方とお会いして、話をさせて頂くので、本名で活動をしていると、表現に制約がかかってしまうから。
良くも悪くも、好き放題書いているので、賛否両論の内容の時なんかは誰からも反応されないことがあります。
分かっててやってるから良いけれど、これを実名でやってて、もしもお客さんが読んだら・・・怖いなと思ってしまう。
私の目的は、思考の整理と何となく生きることからの脱却です。なので、表現することに制約を設けてしまうと思考も整理されず、効果が薄れてしまうのです。
今日は、クリエイター活動においては、知人に知られすぎるとかえってやりにくくなることがあるというお話です。
そこまで多くの方に読んでもらっているわけではないですが、やっぱり旧知の友人に読まれるとなると恥ずかしいですよね。
感謝と恥じらい
昨夜のこと。
先月頭にめちゃめちゃ久しぶりに連絡をくれた友人のO君から、こんな報告がありました。
実は1か月前に連絡をくれた際、近況についてやり取りをして、noteを書いていることを伝えたんです。
そこからまだ40日。
記事数にするとゆうに500記事は超えており、平均文字数は2,000文字という私の記事をすべて読んだというのです。
文字数にして100万文字です。
ビジネス書なら8~10冊分くらいになると思います。
そんなことを思いながら、読破の報告と合わせて感想をくれたO君と短いやり取りをしました。
O君は、私が今の職業を選択する前に、予備校費を貯めるためにしていた副業先で出会ったので、もう7年以上の付き合いになります。
とはいえ、ここ数年はあまりやり取りをしていなかったので、お互いの最近のことはあまり知らないという状態。
ですが、1年半前から書き始めたnoteの中で、私は日々感じたことや気づき、考えたことなどを包み隠さず書いてきました。
なので、noteを読むだけで、私の1年半を丸裸にできるんです。
そして、実際にそれをたった40日で成し遂げたと言うO君。
下手をすれば、私よりも私の頭の中を知っているんじゃないかと思う。
読んでくれたことへの感謝はもちろんありましたが、それよりも恥ずかしさの方が強かった。
知人が読むには、あまりにもさらけ出しすぎているなと思ったんです。
表現の制約
実際、私と同じようにリアルの友人知人には内緒で活動をしているnoteクリエイターさんもいるかもしれません。
そんな方の気持ちがすごくよく理解できるんです。
本音が書きづらい。
やはり、リアルの自分を知っている人が読んでいると思うと、選ぶ言葉や内容に制約が生まれると思う。
何も隠すことなんてないという人であっても、心を丸裸にして人前に出る行為は気が引けると思います。
自分のことを知らない人であれば、”こんな人もいるんだ〜”程度で済むから良いんです。
知ってる人からすると、”アイツはこんなこと考えてんのか”となる。
何となく、書きたいことを書きたいように書けないですよね。
Oくんの報告に、そんな感情を抱いてしまった私ですが、ここで原点に帰りました。
1年後、3年後の自分が記事を読んだ時、その日に何があって、何を考え、何を学んだのか。
そのリアルを未来の自分が理解するためにnoteを始めたはず。
#言われたからってのもあるけど
#ただの負けず嫌い
執筆を継続する過程で、noteを書くことが思考の整理に繋がることや、アンテナを高く立てて生きることに繋がると学びました。
これらは、私が何一つ隠すことなく、オブラートに包むことなく”自分”を表現してきたからこそ気づけたことです。
つまり、ありのままの自分をnoteに書き起す行為こそ、自分に気づきを与えて、意味を深めてくれる。
ということで、リアルで知り合いの皆さん。
これからも、恥ずかしげもなくコマリスト全開でさらけ出していきますが、温かい目で見守って下さい。
否定や批判は、、、
受け付けません!!笑
じゃ、またね!