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【ラジオ体操150日目】
こんにちは。
決断するということは、何かを捨てることだというのは理解しているけれど、最後の最期でいつも迷いが出てきてしまう優柔不断野郎コマリストです。
今日は『明確な基準を持つこと』とテーマに書いていきたいと思います。
皆さんは、何かの決断を下す際、明確な基準を持っているでしょうか?
明確な基準があると、迷いがなくなって、決断までのスピードが速くなるというメリットがあります。
ただし、この基準を作るのが、なかなかに骨が折れる作業で、簡単に決めることはできないと思うんです。
ということで、今のコマリストが決断の基準としているものをnoteに文字として書いておくことで、決意を新たにしたいなと考えています。
コマリストの基準
優柔不断の私が、決断までのスピードを早くするために、掲げている決断の基準があります。
それは、
”3年後の自分のためになるか”
私が好きな相撲界には素敵な言葉があります。
これは過去にnoteにも書きましたが、『3年先の稽古』というもの。
今の自分にとってどうなのか?
今自分が置かれている状況においてどうなのか?
これらが重要ではないということではありません。
未来のことよりも、「今」を大事にするという考えにも共感しています。
けどね、目先のことに注力していたら未来の自分はあまり成長することができていないと思うんです。
目先の結果にとらわれず、3年先の自分の目標に向かってどのように成長していくか、そしてそのために「今」何をすべきか。
これを自分自身の決断の基準としておくことで、「何を捨てるのか」を怖がらずに決めることができる。
誰に何と言われようが、この基準さえブレなければ、一度下した決断を悔やむことはない。
3年後に、あの日に決断したから今の姿があるんだ!と喜びたいだけです。
コマリストの基準②
基準は一つじゃないといけない!と言われてしまいそうですが、今の私にはもう一つ基準のようなものがあります。
それは、
利他の前に利己であれ!
というものです。
ものすごく嫌われそうですねw
世間では、利他の精神を持ちなさい。とよく言われています。
そして、これが良いことだということは理解してます。
でも、、、
自分自身が満たされていない状態で、他人のために動くのは「自己犠牲」でしかないと思うんです。
宗教家ではありませんが、他人に「愛」を与えられる人は、自分自身が「愛」で満たされているからだと思います。
自分に優しくできる人、自分を愛せる人こそが、他人を愛し、他人に優しくできる。
つまり、利他の心みたいなものは、利己の心が満たされてから”自然と”生まれてくるものだと思っています。
ということで、私が下した決断に対して、周りが”冷たい”とか”利他の精神で”とか言ってきたところで、そんなものは知りません。
私自身が満たされるかどうかの方が大事なんです。
めちゃめちゃ性格の悪い、ただの自己中みたいな考えですが、自己中を極めた先で、たまたま周りに幸せになってくれる人がいたとしたら、それを見た周りの人は”利他の精神がある人”っていうと思います。
純粋じゃないきれいごとなんて要りません。そんなものより、純粋な欲求を大事にしたいんです。
話がだいぶ逸れてしまった気がしますが、皆さんも自分なりの「決断の基準」を持ってみて下さい。
迷いがなくなって、行動までのスピードが速くなると思いますよ。
じゃ、またね!