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自分の人生を生きたい<84/1000>
【ラジオ体操389日目】
『ニコチンレス生活110日目』
こんにちは。
昨年の終わりにアドラー心理学と出会い、衝撃を受けてから約半年。せっかく身に付けた知識や気づきをきれいさっぱり忘れてしまっていたことに気づいたコマリストです。
今日は『誰の目も気にしない』というテーマで書いていきたいと思います。
2021年10月某日。
オーディブルという新しい読書を習慣化した私は、これまでの人生を変えてしまうような本と出会いました。
それは「嫌われる勇気」。
ベストセラーになったので、読んだことがあるという人も多いと思います。
過去など存在しない。
褒めることは間違い。
嫌われる勇気を持つ。
10年以上前にフロイトから派生する心理学を学び、人間の心理とはこういうものだと信じていた私の知識は、真正面から壊されました。
やっと、自分の人生を生きていけるかもしれない。
それほどまでの衝撃を私に与えてくれたこの本からの学びは、間違いなく2021年のベストでした。
あれから約半年。
久々にアドラー心理学をベースとする別の書籍を聞いてみると・・・。
今日は、昨年最も影響を与えてくれた本からの学びを、きれいに忘れてしまっていた私が、あらためて大事なことを刻み込むためだけの回です。
前回もnoteにまとめているはずなのに忘れているので、定期的に記事にしようと思います。
忘れたくない概念
さて、約半年前にハンマーセッションと言っても過言ではないほどの衝撃をもたらしてくれた本との出会いをした私が、忘れてしまった重要な概念があります。
それは、『課題の分離』。
これは、アドラー心理学の中でもかなり重要な考え方であり、身に付けることが出来れば「自分の人生を生きられるようになる」というものです。
初めて聞いたという方のために、簡単に説明すると、自分の課題と他人の課題を切り分けて考えるというものです。
もっとわからなくなりましたよね(笑)
例えば、募金箱を見て「何に使われてるかわからんから募金しない」と周りに言っている人は、課題の分離が出来ていない人です。
というのも、この人の課題は、募金をするかしないかということであって、募金を何に使うかを考えることではないから。
募金箱にお金を入れる。
これはこの人にコントロールできることです。ですが、募金箱に入れたお金をどう使うかというのは、募金活動をしている人にしかコントロールできません。
自分にコントロールできないことに首を突っ込んで、批判してみたところで何も生まないし、誰も得しません。
ということで、募金したくないならしなければいいだけのことです。
募金箱を見て、募金しない人のことを悪く言う人なんてほとんどいないでしょうし、そもそも悪く言うか言わないかも他人の課題なんです。
周りから良く思われたいという欲求があるのであれば、勝手にやればいい。ただ、それをどう評価するかについては自分のコントロールできることではないんです。
#募金の目的としては不純
#それでも募金は良いこと
アドラーの言葉を借りれば、
「馬を水飲み場に連れていくのは貴方の課題。けれど、水を飲むかは馬の課題」ということです。
この考え方を完全に身に付けることが出来れば、他人の評価など気にするだけ不毛であることが分かるし、何か始める時に”自分一人でも”取り組むことが出来るようになります。
まさしく自分の人生を生きるための概念であり、『嫌われる勇気』というタイトルの由来でもあります。
これを半年足らずできれいに忘れてしまう私は、本当に情けないです。
他人の評価が気になる
今考えてみれば、私が課題の分離を身に付ける前に記憶から消してしまったのには明確な理由があります。
それは、私が他人の目が気になって仕方がない人間だから。
何か新しいことを始めれば、これを誰かに話したくて仕方が無いし、フィードバックをもらいたい。
いつまで経ってもカッコよくありたいし、男性からも女性からもモテる人間でありたい。
少しでも上手くいかないことがあれば、励ましてほしいし背中を押して応援してほしい。
上手くいったら、大げさに褒めて、もっともっと調子に乗らせてほしい。
はい。
書けば書くほど、私がしょーもない人間であることをさらけ出すだけなので、この辺にしておきますが、実際こんな感じなんです。
#欲しがり屋さん
#自己肯定感ゼロ
そして、私がこうなってしまった原因は中学生時代の部活にあると思っています。
ちなみに、アドラー心理学では、『過去に原因があること』を真っ向から否定して、未来の自分が過去の出来事に勝手に意味を付けているだけだと一蹴しています。
そういう意味でも、アドラー心理学を腹堕ちさせられていないんだとは思いますが、大人になった今でも定期的に夢にまで見てしまう『壮絶な部活』に原因を求めてしまうんです。
ミスすれば罵声を浴び、シューズで殴られ、試合中でもお構いなしにパイプ椅子がコートに飛んでくる。
こんな部活で常に監督の目を気にしながら必死に技術を磨いていたあの頃の自分が言うんです。
「周りの反応を気にした方が良い」
#こっちの水は甘いぞ
#悪魔のささやき
この呪縛ともいえるような過去を原因にすることで、今の自分を保っている私は、アドラー心理学を100%容認してしまうことで”今の自分”が壊れてしまうことを恐れているのかもしれません。
もちろん、頭では何も変わらないと分かっています。
けれど、ダメなんです。
ということで、たった半年で重要な概念を忘れてしまった私が、自分の思い通りの人生を生きていくためには、何度も何度も自分の言葉でアドラーの概念の落とし込みを実行する必要があると思います。
次の半年は、忘れることなく上手く活用して、好き勝手生きているコマリストとして振り返り記事を書くぞ~!!!
じゃ、またね!