様々な学び事に最適な学習方法の選び方
語学や資格試験の学習、運動習慣や果てはダイエットまで、ちょっと努力しただけでは効果が目に見えず、継続が必須になることは日常多々あります。
私自身、試験合格などで一定レベルに達した後、どのように学習を進めれば良いのか悩むことも多いです。
過去の経験から、継続努力が必要なことのための学習方法論を書きます。
(1)1つの方法に集中し脇目も振らない、という宗教論を排除
資格試験、語学習得、スポーツ、ダイエット、その他なんにでも通じる大原則の一つ目は、
「万人に合致した方法論はないから、自ら編み出すしかない」
です。
何をやるにも初学者の頃は、何かに頼って勉強方法を学ぶしかありません。
例えば、水泳で長距離泳クロールをしたい場合。
・手足の連動のさせ方はどうすればよいのか?(ビートの打ち方、回数)
・息継ぎタイミングと方法(何回掻いたら吸うのか、左右でするのか)
・呼吸は止めるのか、吐き続けるのか(息を吐くと体が沈まないか)
など、分からないことだらけですし、考えて分かったからといって、身体がその通りに動くものでもありません。
そこで、本を読んだり、ビデオを見たり、競泳選手の泳ぎを参考にしたり、スイミングスクールに通ったりして、ひたすら練習するわけです。
この時、気を付けるべきは、
「1つの方法論を絶対と思ってそれに依存しきらない」
(1つの方法論を宗教よろしく信じ込まない)
ことです。
語学学習の先生などで、
「私の言うとおりにやってください。そうすれば必ず身に付きます」
と断言し、学習方法論を強要する人がよく居ます。
この方法で数え切れない程の生徒さんが語学を身に付けた、と言いたいわけです。
しかしこの指導方法は極めて危険なやり方で、俗にいう選択バイアスがかかっています。教えた生徒全員が語学を身に付けた訳ではなく、挫折して去っていった生徒も少なくないはずです。
そして、この「できなかった生徒」にとって、その学びの対象は(語学でも、スポーツでも、試験でも)、多くの場合は嫌いになって苦手意識が付きいてしまいます。
「学び」には人それぞれの個別の状況、事情があります。
学ぶ目的・目標、年齢、使える時間、向き不向き、体力、集中力、体格などなど。これらを度外視した「誰にでも最善手となる方法」はまずありません。
また、自分の学びの目的と目標は他の人と異なるのが普通です。
このためごく初歩の時点を除き、基礎固めに移行してくると、他者と違うやり方を編み出す必要が出てきます。
例えば。
英語を学ぶ。目的はビジネスで海外の人と丁々発止のやり取りするため。発音の基礎ができて単語・例文もある程度覚えて、外国人からはお客様扱いされなくなった。ここまでで相当の苦労があったはず。TOEICで言うと770点UP位でしょうか?しかし何時までも、
「何人家族ですか?」
「どこの出身ですか?」
「趣味は何ですか?」
といった類のパターンプラクティスを繰り返してもモチベーションは上がらないし、成長している実感がない。ビジネス英語といった題目で講義を受けたり本を読んでもなんか違う気がする…
よくあることだと思います。
よって、基礎を固める初級卒業の頃から基礎が完成する中級の入口の頃では、基本書学習や信頼のおけるお手本となる先生を選んだ学習を進めるとともに、多くの参考書、参考情報を読んで、
「自分の学びの目的、目標から見て、多くの人が良いと言っている方法
を抽出し実践する(数はそんなにない。但し探り出すのは大変)。
そこから自分に最適な学習方法論を編み出す」
ことが必要になります。
(但し、個々の学習領域(語学、スポーツ、資格試験)によって、どう進めるべきかはかなり違うので、機会があれば各々の個別論を投稿します)
要するに、こうした継続努力が必要な学習領域に、近年やたらと話題になる「コスパ」を求めるのは無理がある、ということです。
何かコスパの良い方法論があるのではないか?
気持ちは分かります。
しかし、万人にとってのそれはまず無い、と断言できます。
初心者の頃を除き、自分で悩み苦しんで編み出すしかありません。
(2)学習内容に入る前に学び対象の特徴を見極める
例えば、語学(フランス語、ロシア語、スペイン語、中国語などなど)やスポーツ(長距離泳、登山・トレッキング、長距離走・ジョギングなどなど)は、初めて取り組むときはとても難しいはずです。
なぜか?
どちらも日常生活にない要素が多いから。
例えば語学。
中国語を初めて学ぶ時、英語などと較べて文字は漢字でとっつき易そうに見えます。しかし、多くの人が言うように、中国語には声調(四声)があり、ちょっと違うと意図が通じません。
(例.熊猫(パンダ)と胸毛は発音は同じだが声調が異なる、等)
さらに、音素の数(母音・子音・特殊音)を見ても、日本語24、中国語31で日本語に無い音が多数あります(英語は44音素と音素数自体も多い)。なおかつ漢字(単語)の発音は、
・子音を複数組み合わせた声母21+母音他を複数組み合わせた韻母39
で出来ており、声調と組み合わせると日本語話者から見てほぼ無数とも思える組み合わせがあります。
(唯一の救いは1漢字=1発音なこと(例外もあるがそう多くはない))
という訳で、中国語学習の基本は発音に始まり、発音に終わる、といった感じになります。初学者の段階では、聴いたことのない音(発音)をまずは大量に徹底的に聴きまくる、その音を自分で発声できるようにする、とかのアプローチです。
と、いうようなことは初学者段階ではまず分かりません。
よって、学習を始めた最初の段階でつまずいて挫折する、ということが多いです。これを避けるには、発音を専門に教える先生に付くか、こうした学習対象の特徴点を常に意識して、いろいろなものを読んだり聞いたりして、自分の意識を「日常生活にないこと」に向けて、そこを時間をかけて強化していくしかありません。
スポーツも全く同様。
初めて長距離泳クロールをやろうとすると、最初に悩むのは、
1.手足の連動のさせ方
2.息継ぎの仕方
だと思います。
これも、日常にはない動きなので、なかなか身に付かないです。
ちなみに私は完全独学で長距離泳がある程度できるようになりましたが、初学時は2ビートでキックするとき、蹴り足と掻き手を同じ側でやっていて(右足で蹴る時に右手で掻く)、水泳経験者から気持ち悪い動きと言われてました。
ある程度できる、と言えるまでには、1回2時間以上×週3回以上のプール通いを、仕事後・休日に1年ちょっと続けました。そこから約1年位はひたすら練習。教材はYoutubeと長距離泳書籍数冊です。
また、山歩きではスムーズな脚運びが初心者には出来ません(山屋さん達は「山の歩き方」みたいな言い方をします)。街歩きのように適当に歩いていると、一時間早々で疲れてしまいます。そこで、2本の線上を無理なく重心移動させながら進むために、ナンバ歩きを研究して取り入れたり、と工夫するわけです。
これらはどれも信頼のおける先生(師匠)を見つけて、個別指導してもらう、または自分の目的に合致した教え方をするスクールで集団指導等してもらう、のが一番手っ取り早いです。
が、その信頼置ける師匠、スクールを見つけるのが結構至難の業で、そこに行きあたるまでは、自分の情報アンテナを高く張って、どう学べば良いか、どのような先生が自分の目的に合致した師匠なのか、を調べながら始終考え続けるしかないと思います。
そのためには基本書、師匠(中心となる先生)以外にも、かなりの数の文献を紐解く、動画を見る、対象に興味を持つ、時間をかけることが必須になります。また、それ相応の期間やってみてこれは自分には合わないと思ったら、その基本書、師匠は乗り換え、やり方を変えるべきです。
(3)習得することを絞り込み当面の目標(ゴール)を持つこと
ここまでで分かるように、継続努力が必須な或る事を習得しようとすると、時間は相当かかります。
以前、20か国語だったかを話す大学教授が、語学習得のこつを語っているYoutube動画を見たことあります。その先生は、中国語学習をどのようにすれば良いか語っていましたが、ホストが、
「先生の方法で1言語はどの位の期間で喋れるようになるでしょうか?」
と聞いたところ、
「知識ゼロの初心者から初めて約半年でなんとかなる(努力をする)」
と言い切ってました。
もちろん、「これは幾らですか?」とか「トイレは何処ですか?」とかの初歩的会話以上の、意思疎通レベルが目標です。
待ってよ先生。半年って、街中の怪しげな語学教室とかじゃないんだから、いくら何でも無理でしょう?と思って最後まで聞いてみたら…
「1日8時間×半年頑張れば良い」
と言ったので、笑ってしまいました。
8時間×30日×6か月=1,440時間(休日がない前提で)
です。
ちなみに近年の日本企業の所定内労働時間(1年間)は、時短化レベルにもよりますが、
8時間×約240日程度≒1,920時間(休日、祝祭日約125日を含まず)
位です。1,440時間は実に75%に該当します。
よって、これだけの時間を掛けて先生の言うことを本当に実践出来たら、よほど不合理な学習方法でなければ、短期間で話せるようになるでしょう。少なくても、初歩→初級→中級の入口、までは到達できると思います。
でも、一般人にはまず無理です。
学生や社会人だったら、1つの習い事だけにこれだけの時間を使えません。また学業や仕事をうっちゃっておいても、休憩なしに半年間毎日8時間続けるのは苦行に近いですし、学習効果は極端に落ちると思われます(受験生でも休息日は入れるはずです)。海外の大学生は、かなりスパルタ学習をしますから(それこそ月~金は余り寝ないで勉強したりする)、それを前提に考えているのかもしれませんが、それでも仕事や他の学業があったらこういうガムシャラ方法論はあり得ないです。
また、じゃあ仕事しなくなってから(退職とかした後)やれるかというと、今度は体力や記憶力の減退面での無理があります。
これなどが前述した、
「前提条件なしに、これだけやれば必ず習得できる」
的な無理な方法論の最たるものだと思います。
という訳で、学業・仕事以外に集中的に身に付けるもの(身に付けたいもの)は、正しい自分に向いた方法論で一生懸命努力して、2~3年で1つ、位に考えるのが無難です。
また、語学に関しては、よくネーティブスピーカーなどで、
「赤ちゃんや子供は文法とか教えなくても自然に言葉をしゃべるでしょ」
「子供に戻ってひたすら反復すれば身に付く。文法などは最低限で十分」
といった乱暴なことを言う人が必ずいます。
これも無理です。
赤ちゃんや子供には、家族や先生、特に母親と言った24時間付きっ切りで面倒見てくれる師匠がいます。
「ぱーぱ。まーま。まんま。しーしー。ぶー。」
と言ったことを年中話しかけ繰り返させ、多少大きくなってからも、
「あのねえ、今日ねぇ、ゆーかちゃんと公園で遊んでねえ…」
といった大人から見ればどうでもいい会話に辛抱強く付き合ってくれる最強の師匠です。こうしたことを大人が学習するときに期待するのは間違っています。
加えて、大人になっての学び事は何に寄らず頭で理解して動かないと、身に付きません。経験だよりでは応用が利かないからです。これはスポーツなどの肉体的学び事でもそうです。経験、感覚だけで太刀打ちできる世界には早晩限界がきます。
ただし、年中学習環境に浸る、ということは非常に重要で、
・スポーツだったら、
・年中ジョギングする。
・暇を見つけてプールに行く。
・街中のウォーキングでも山の歩き方で歩く。 等々
・語学だったら、
・常にその言語のアウトプットを考える(独り言を言うとかも有効)。
・身の回りの物はその言語に置き換える。 等々
などの対応は有効です。
(私がTOEICの得点UP特訓時に付いた師匠は、携帯電話、腕時計の操作表示など生活で触れるものを全て英語表示にしてました)
これも1つの習い事に集中的に時間をかける、ということだと思います。
惰性で繰り返すのではなく、どうすればより良く身に付くか、を常に考えながら学習する、ということが極めて重要です。
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最後に。
月並みになりますが、
「何かを身に付けようと学習するならば、どのようなことであれ、
相当な時間を使って、正しいアプローチで、
自分なりの方法論を探りながら、一生懸命努力を続けるべき。
方法論は途中で変えることも想定しておくべき」
と言えましょう。