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高機能は好機能とは限らない
訪問リハビリの仕事をしています。
色々な家を回ってリハビリをしています。
昔ながらの家屋でバリアリーの家もあれば、最近流行りの造りの家もあります。
家族構成も様々で、老々介護となっている家庭もあれば、親子孫と三世代の家庭もあります。
家族構成が様々であれば、個人個人の価値観も三者三様となります。
世代も違えば便利に感じ方も様々となってくるでしょう。
そんな中、とある方へ訪問に出かけた際にこんな話がありました。
今行ってる、デイサービスのトイレの事なんだけど、聞いてもらえる?
最近は便利になって、トイレも勝手にフタが開いて、流すのも自動にやってくれるんだよ。
最近の全自動型のトイレの話でした。
しかし話をして頂いた方の自宅は、水洗ではあるものの自分でトイレのフタを開けて、用を足したら自分で流すタイプの一般的な水洗トイレでした。
そして続けてこんなことを話していまし。
いや、全部をトイレが色々してくれて便利になったんだけどさ、デイサービスにいる時間の方が長いからさ、それが当たり前になってしまったんだよね。
そしたらさ、家に帰ってきて用を足してから、流さずに出てくることが増えてしまってね。
家族に何で流さないんだって、怒られることが増えたんだよ。
終いにはさ、ボケたなんて言われ始めちゃって…。
人間使わないと、どんどんダメになってくるんだなって。
これを聞いて、私自身もはっとさせられました。
この話をしてくれたのは、週3回ほどデイサービスを利用している80代の男性。
見た目は若く見え、耳もしっかり聞こえ人との会話も良好。会話を交わしている中で、認知機能面の低下を感じることもない方です。
週に1度の訪問リハビリで会う私にとっては、認知機能面の低下は感じることはないです。ただ家族にしてみたら、今まで忘れることはなく出来ていた行為が一つでも出来なくなることで、認知機能の低下を感じてしまうということ。
また今まで用を足したら流すという何でもない行為も、全自動で全てを行なってくれるトイレに接する時間が長くなることで、自分でしないことが当たり前になってしまうのではないかということ。
接する時間が長くなる事で、新たに習慣化さて当たり前になるということ。
ただリハビリを行う上では、家族に認知機能面が低下しているということで終わりにするのではなく、何が原因でそのような状態になってしまっているかを伝えないといけないのではないかと思います。
そして若い世代の人達には、全自動で色々してくれることは当たり前で、便利な高機能で好機能なのかもしれないが、それによって残存機能が失われたり必要なくなる切欠となりうるということを念頭に置かないといけない実感させられた体験でした。
便利になりゆく現代社会ですが、便利になることで奪われている能力もあるのではないか。
そして奪われた能力から、生活の状況も変化してしまい不利益を被る人もいるという現実。
関わる中ではしっかりとその人の生活状況を把握し、便利なことを勧める場合と現状を維持するために面談を繰り返し、当事者の必要となるものを見極めていくことの必要性を考えさせられました。