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南米に上陸し、ブラジルのマナウスに到着。このマナウスはアマゾン河の玄関口になっています。今まで、ユーフラテス河、ガンジス河、多摩川といろいろな河を見てきましたが、この河はスケールが大きいです。でかくて、長いので、乗ってきた飛行機からもばっちりと形が見えました。 宿に着いて荷物を出すと、シャンプーの容器が気圧で破裂して漏れていました。前は歯磨き粉が漏れて、石けんとコラボレーション。その前はムヒと風邪薬がいい感じに混ざりあっていたので、かゆみと頭痛に効くかもしれないです。 さ
コロンビアの首都ボゴタ。「ゲリラと麻薬とコーヒー豆」のイメージしか無かったけど、実際はそんなこともなくかなりアートな街でした。 ブラジルのマナウスの港町が思いっきり体育会系だったら、ここは確実に美術系です。ガイドブックにはコロニアルな街並みと書かれており「コロニアルって、なに?」と思ってましたが、実際に来てみると「なるほど、これがコロニアルなのか」と、意味も分からず納得しました。 カフェが本当に多く、人々は休憩の為に働いているように見受けられます。豆もコロンビア産なのか知
エクアドルにはガラパゴス諸島があり、1週間滞在しました。ガラパゴスの名前はスペイン語でガラパゴ(カメ)に由来しています。17世紀に島にやってきたスペイン人が、のっしのっしと歩く大量のカメに驚き、カメの島と名付けました。1835年にチャールズ・ダーウィンがこの島を訪れ、5週間ほど滞在し、島で彼が発見したことは、島固有の動植物、さらに同じ種が環境により進化すること。この時の調査がのちの生物進化論に反映され、ダーウィン著「種の起源」が世に出て、ガラパゴス諸島は世界に知られるようにな
エクアドルから移動、移動の連続でペルーに入国します。ペルーの首都リマは太平洋に面しており、海沿いはかなりの波があります。波があるので、おのずとサーファーもいて、もちろん日本人サーファーもいて「寒い寒い!」と、ブルブル震えて波を待っていました。 リマの旧市街は世界遺産に認定されていますが、世界遺産の街並というのは、南米のあちらこちらにあるので、ありがたみが感じられなくなってきます。個人的には大型スーパーのほうが何倍も役に立つし、現地のことが知れます。 リマからナスカ行きの夜
ボリビアのウユニ塩湖。「ウユニ塩湖って、何?」と言われても、膨大な塩があるとしか言えません。とにかく見渡す限りの塩が、均一に固まった感じです。世界でもあまりお目にかかれない光景だと思います。 ウユニ塩湖には、塩のホテルがあります。建物もテーブルもベットも塩。そんなホテルに一泊してみます。塩のホテルを見学に来た欧米人には「クレイジーだな」と、言わました。僕も宿泊まではしなくてもよかったかなと、現物を見てすぐに思いました。なぜなら、塩以外は全くたいしたことないのです。 僕が泊
モアイ像で有名なイースター島。チリの海岸から3800キロメートル、タヒチから4000キロメートル、一番近くの島までも1900キロメートル離れています。南太平洋にポツンと浮かんでいるイースター島はどうやってここに人が渡ってきて、誰を祖先にするのか、また、なぜ大きなモアイ像を造り続けたのか、謎に包まれた部分が多い。 「ふむふむ」と、イースター島に向かってる飛行機の中で、ガイドブックを読みます。せっかく行くので、知識を少しでも増やしてテンションを高めていました。 イースター島へ
パラグアイのイグアス市。ここには戦後、多くの日本人が移住してきました。なので、日系の人々が多く暮らしています。そして、ここの日系の人は、とてもいい人が多かったです。 イグアス市でバスに降りて宿の場所が分からず、通りすがりの日本の人に聞いたら、わざわざ1キロも歩いて宿まで案内してくれました。日本には1度も来たことがない高校3年生の女の子で、少しだけ片言な日本語を話せました。「学校を卒業したら日本に行くつもりです」と言ってくれ、どう見ても僕より年上に見え、そして、少しだけ朝青龍
アルゼンチンのブエノス・アイレスに到着しました。旅人もよく言ってましたが、ここは建物から人種までヨーロッパのようです。 アルゼンチンとブラジルのサッカー試合がテレビで行われていました。宿の従業員や宿泊者(みんなスペイン語圏)に「サッカーだぜ。アミーゴ!」と言われましたが、スポーツにあまり興味がないので、街をプラプラと散歩してました。そこまで街に興味があるわけではないけど、一緒に熱烈なファンとサッカー観戦するよりは、はるかに気楽でした。 街はわかりやすいぐらい人がいませんで