徒然なるままに#10
しばらくぶりの投稿です。
ちょっとお休みしていました。
今日は少し、思いの丈をそのままに書いてみようと思う。
「人はなぜ人を嫌いになるのか。」
主観的な内容だけではいけないので、いくつかの資料に目を通してみると、
・「直接的な被害を受けた」
・「間接的な被害を受けた」
・「自己評価と他者評価が異なる」
・「価値観などが異なる」
などがあげられる。
また、その「行動」や「事象」が嫌いなのか、
その人の「人間性(思想)」が嫌いなのか。
といった観点でも分けられる。
ここまで物事を整理したが、あくまで一次的な事象の深堀りができていないためもう少し深く考えてみたいと思う。
そもそも「嫌いになる」ということは関心がそこに集まっていることの現れだと思う。マザー・テレサの言葉の中にも「愛の反対は憎しみではなく、無関心」という言葉があるように本当に興味がなくなった時には人は無関心に近づいていくのだと思う。
そう考えると上記にまとめた「人を嫌いになる」理由はもう一度このように分けられるのではないだろうか。
・損(実害)をしたから
・自己防衛(防衛機制)の行動の一つとして Ex:置き換えなど
・影の投影をしているから(ユング心理学より)
1つ目は損、実害をうけたとき
これは物理的ないし精神的なダメージを受ける場合なので、イメージとしては付きやすいと思う。もちろんその行為だけではなく、これまでの付き合いなどを含めて嫌いになるかならないかは変わってくるであろうが、心証が悪くなったりはするであろう。この関係性が改善されないまたは悪化した場合、その先にあるのはきっと「無関心」なのだと思う。
2つ目が、自己防衛のため。
これは特に学生時代などではよく目にした光景かもしれない。自分の地位(ポジション)を守るため、集団から除け者にされないためなど理由はいくつかあるが、誰か自分以外の人を攻撃(嫌い)になることにより自分自身の心理的安全を保持しようと考えることがある。特に「自分よりも弱い存在」やこれまで「幸福(順風満帆)であった存在」※羨望の対象などが対象になることが多く、多くの場合は集団的または匿名など自らは優位(安全)な立場から攻撃(嫌いになる)を行うことが多いのではないだろうか。
3つ目が「影の投影」
これが一番難しく、重要な観点なのだと思う。ユング心理学のなかでは、人はだれしも「影」を持っており、それを他人に「投影」しているそうなのです。ここでいう「影」とは自己の内面の部分。本当の自分なのだそうだ。わかりやすく言うと「なりたい自分」であり、「本能的に抑え込んでいる自分」である。
人がだれしももっている。「こうなりたい!から○○はしちゃいけない。または○○をしなくちゃいけない」ことを他人に照らしているそうなのです。
これは負の側面(自分は我慢している。やらないことをやっている人)Ex:時間を守らない。ポイ捨てをするなど
正の側面?(自分がやりたいけど実現をしている人)Ex:クラスの人気者を嫌う日陰者など
両側面からいえることなんだと思う。正の側面は一種自己防衛的な要素も含まれているとは思いますが、今回はこの分け方をする。
改めて考えてみると、3つ目に関しては「人を嫌いになること」を好まない人でも陥ってしまうことがあるのだと思う。
自分自身が今その状態で悩んでいるという実体験からでもありますが…
今回調べていて整理できたことは、理由は「自分の側」にあるということ。
そして解決方法は「自分自身を知ること」「そして認めること」なんだそうだ。他人は変えることができない。変えられるのは自分だけなのである。
ただこれが難しいのである。
今回は初めの一歩目「知ること」はできた気がする。
もやもやしていたものが少しではあるが、晴れた。
2歩目は実践に移すこと。変えられるのは自分だけなのであるから。「認める」ということを小さな一歩から始めてみようと思う。
またここでまとめることができるように…頑張ろう。
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