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週刊 僕たちのフィロソフィー vol.17 【僕たちの"普遍"】

哲学ではよく「普遍」という言葉が出てくる。
今日はそんな哲学と「普遍」について詳しく書いてみたい。

今回の内容は、大学の哲学の授業内で扱うようなものなので、哲学の授業に興味がある人も参考にしてもらえれば幸いだ。(といっても、授業内ではもう少し分かりやすい解説があったり討論があったりと、そこそこ違う環境なので、参考程度に)

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そんな今回の内容は
「普遍性と動的平衡〜揺らぎのない真の普遍は存在するか?〜」
というもの。

普遍にも色々種類があるよね。というお話。
そして普遍であるとされる哲学はどこを目指していくべきなのか・・・といったような内容。


🎈哲学と普遍について〜哲学は普遍であるべきか?〜

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ある哲学者は哲学に対してこのような意見を述べている。

どの思想であれ、世界の人々の間で哲学として論じられるには、普遍性と合理性が必要となる。
真理を目指して知を求めながら生きる人間のあり方を指す以上、そこにはかならず普遍性が見て取られるはずである。

つまり、哲学には普遍性が必要であるという意見だ。
その理由としては、哲学は真理を目指す学問であり、真理には必ず普遍性が見られるはずだから。とのこと。

哲学には普遍性が必要だという意見には多くの哲学者が賛同している。


🎈動的並行と揺らぎのある普遍

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ところで、みなさんは「動的平衡」という考え方をご存知だろうか?
この考え方は物理学や生物学でしばしば論じられることがある。

動的平衡については福岡先生という方が研究しており、丁寧な解説を本やインタビュー記事にて見ることができる。

その一部を引用する。

私たちは宇宙の大原則である「エントロピー増大則」に支配されている以上、築き上げたものは崩れ、秩序あるものは無秩序化する。(中略)
でも、38億年も生きながらえてきた生物はどうやって朽ち果てることに抗ってきたのでしょう。生物は堅牢になることを諦め、自分で自分の細胞を壊すことを選んだんです。「エントロピー増大則」が襲ってくる前に、先回りして自分で細胞をどんどん壊す。壊し続けることで、結果的に常に新しい細胞が生まれる状況を維持しているんです。
「壊し続ける」ことで状況は不安定になりますが、それゆえに、次の「合成」のプロセスが立ち上がるんです。これは不思議なことではなく、人間が歩いている行動がそうです。片足を前に差し出すことで、体全体のバランスを崩しています。その不安定な状態を解消しようとして、もう一方の足が自然と前に出るんです。最初に「分解(エントロピーの増大)」があり、「合成(自己組織化)」が起きるというサイクルを、絶え間なく繰り返し続けていることで、高次元の「安定」をつくり続けている、これが「動的平衡」の考え方です。


つまり、動的平衡とは、分解と合成の事象。

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自ら既存の存在を破壊し、不安定な状況を作ることによって新たな事象を生み出し、それが結果的に安定を生み出す(エントロピー増大の法則から避ける)という考え方だ。

この動的平衡を人に当てはめて考えてみる。
人の細胞は常に分解と合成を繰り返しており、1年後には体の中の多くの細胞は1年前とは全く別の細胞に変わることになる。

私はここで疑問を提示したい。
「果たして人の体は普遍なのか?」と。

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細胞単位で見れば、それは全く別物になっているわけだから、普遍とは言い難い
しかしながら、人間という、よりマクロな観点で見れば、その細胞や臓器、人間としての機能は保持されているわけだから、普遍であるとも言える。
動的平衡の観点から見ると、細胞が分解・合成を繰り返し、別物になった、故に人間的な普遍性が保持されていると言えるわけだ。

私は思う。
普遍性は観る視点を変えることによりその有無が変化する可能性があると。
ある観点における普遍性の有無は本当の意味での普遍性の有無には直結するものではないのだと。

これは見る視点によって普遍性の有無が変化する「揺らぎのある普遍」なのだ。


🎈揺らぎのない普遍は存在するか?

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とはいえ、普遍を探求する者からはこんな言葉が返ってきそうだ。
真の普遍とは、揺らぎのないものだ。どんな観点から見たって変化しないもの、それこそが普遍だ!」

そんな絶対に揺らぎのない普遍なんて存在するのだろうか?

動的平衡は、先ほど述べた通り「エントロピー増大の法則」から生命が逃れるための事象(分解と合成を繰り返す動的並行がなければ、生命は何年も生き続けることは不可能)である。そこから考えると、揺らぎない普遍というものは宇宙の大原則「エントロピー増大の法則」を受けない何かしらの事象であると言えるだろう。

そこで私は思った。
「エントロピー増大の法則を受けないものなど、この世界に存在しているのだろうか?」と。

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我々が物理法則に従う「生命体」である限り、その物理的現象も、そこから生まれる思考も事象も全て宇宙の物理法則に従うことになる。故に、やはりこの世界にエントロピー増大の法則を受けない「揺らぎない真の普遍」は存在しないのではないかと私は感じている。

一方で、「揺らぎない真の普遍」の存在を物理法則に従って否定すればするほどに、「揺らぎない真の普遍」の存在を肯定することになるパラドックスに陥る。
その肯定される「揺らぎない真の普遍」とは「物理法則」それ自身である。


🎈最後に:普遍を求めるならば、どうすべきか

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以上のことから、普遍を求める探求者が取れる選択は2つある。

①動的平衡のような揺らぎのある普遍を受け入れる
②揺らぎない真の普遍と言える可能性のある「物理法則」を追求する

これらどちらを突き詰めるべきとか、本当の普遍であるとか、私は優劣をつけるべきものだとは思わない。どちらも入り口が違えど、同じ普遍を求める道として辿り着く先は同じなのではないだろうか。その双方がたどり着き、重なり合った場所こそがより真に近い「普遍」というものなのではないかと、私はそう感じている。

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めありぃ
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