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週刊 僕たちのフィロソフィーvol.8【僕らの願い、、】

願い・・・。
人はよく「願う」。
私も例にもれず「願う」人間だ。一方でそれは「願われる」立場のものを存在させる。それが「神」である。

今回はそんな願う側の意見と願われる側の意見をnoteにまとめてみた。

🎈何のために願うのか?

私は毎年その年の目標を書いて部屋の扉に貼っている。
「これが叶ったらいいな」という願いなのだが、願いが叶うことだけが私の本当の願いではない。

山を登ることを楽しむため(登る山を楽しむため)に願うのだ。

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目標とは、山のようなものだと私は思っている。
人は目標を決めると、その山の頂上を目指し歩き始める。

もちろん、その山の頂上目指し、それを見て歩くのだが、楽しい瞬間は目標が達成された時だけではない。むしろその目標という山を登ること自体が楽しくワクワクする瞬間なのだ。

山ごとにそこにある植物や動物は違うだろうし、見える景色も違う。さらにその山の中でも山のふもとと中間、頂上の近くではあるもの見えるものも何もかも違う。私はその「山の頂上に着く」ことも好きだが「山登りをする」ということ自体が好きなのだ。

色んな山登りを楽しむために、私は毎年願いを扉に貼っている。

🎈願われる神

一方話は少し変わって・・・
私のように願うものがいれば、反対に願われるモノもいる。
多くの人が願う場所といえば「神社」だ。

そこでお願いをする相手・・・つまり願われるモノは「神」と人が呼ぶ人たち。
私は神社に行くと、毎回彼らと色んな話をする。
彼らの話は面白い。
ここでは願われる側の「神の意見」とその「神の願い」を聞いた時の話をしようと思う。

昔、京都の神社に行った時、その街には沢山キツネがおり、その神社はそれらの源となっているような場所だった。このキツネ達がその神社の神様のようなものなのだが、そのキツネ達は私にしきりにこういうのだ。

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「おかね!おかね!かねくれぇ〜〜!🦊」

ふむ・・・。
神様はお金を欲するものなのだろうか・・・?
噂に聞く神様は「徳が高い」とか「上品」とか「何でも知ってるすごい人」とか・・・そんなものだと勝手に思ってたが・・・。

「神様なのにお金が欲しいのかい?何で欲しいの?」

と聞いてみた。するとこんな答えが返ってきた。

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「欲しい欲しい!お金は願いであり、それはエネルギーなんだよ。僕たちは人の願い(エネルギー)でできてるんだよ。だからお金と、それとともに投げられる願いのエネルギーが僕たちには必要なのさ。さぁかねをくれぇ〜〜〜〜!」

つまり神というモノは願いを喜ばしく受け取っており、そんな神の願いの1つは「願われる」ということらしい。

なるほど。納得だ。
私は50円を投げて、その神社を後にした。

🎈神は願いを叶えるのか?

「この神社で願うと願いが叶う!」「神に願えば叶う」というような噂は昔から絶えない。

ということで、実際に「ここで願ったら神様である君が叶えてくれるのかい?」と神社の神様に聞いてみたことがある。

するとこんな答えが返ってきた。

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「何で俺があんたらの願いを叶えねばならんのだ。叶えるわけね〜だろ!!」

怖いおじちゃんだ・・・。
でも続けてこんなことも言っていた。

「俺らは別にあんたらの願いは叶えないが、願えばあんたら自分で願いを叶えんのよ。願いってのはそんなもんよ。願った瞬間に自分の願いを理解すんのよ。理解すればそれ自然とそこに向かって歩いていくもんなのよ。まぁ、自分の願いを理解すんのは難しいからよ、ここ(神社)はそれを認識させる偉い場所なわけですわ。」

ほほ〜ん。
なるほどなと思った。
あと偉そうな神様だなと思った。

なんかむかつく神様だったので、お賽銭やお願いごとはしないで帰った。


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