あゆむは、放課後等デイサービスで仕事を続けていた。 デートを重ねるにつれ、次第に、あゆむの口数も増えていた。 あゆむの体調は良くなってきていた。 ふとした時、あゆむはLINEで「事実婚状態だからね。」と呟いた。 その時、私は、あゆむが、一生涯のパートナーになると確信した。 2019年11月30日 新宿アルタ1階にある「THE KISS」でペアリングを購入した。 あゆむは15号、私は19号の指輪だった。 2018年と同様に、この日も枯葉舞い散る、寒空の下だった。
2019年4月 あゆむは、放課後等デイサービスの職に就いた。 あゆむは子どもが好きだった。 ただ、教員の時と比べ、明らかに元気が無かった。 デートの時も口数は少なくなっていた。 ある時、群馬県太田市内のワインバルで食事をした際、彼は泣いていた。 「ともちゃんと早く暮らしたい。」と 私は、ある条件を提示した。 「正社員として半年間勤務できるまで回復したら一緒に住む。」と
元カレの借金を背負ったを私は任意整理することにした。 会社帰りにサンシャインシティの一角にある法律事務所に赴いた。 味気ない事務員さんだった。 手続きが終わる。 疲労困憊だった。 東池袋駅から有楽町線で帰ろうとした。 ただ、帰ろうとしたというよりかは、もう楽になりたかった。 まだ、東池袋駅にはホームドアが無かった。 池袋方面の最後尾車両が停車する位置に足を置いた。 黄色い点字ブロック越えて。 列車が進入してくる直前、LINEの通知音が鳴った。 友人からだった。 「大丈夫かい?
2019年3月初旬、あゆむは更に情緒不安定になった。 愛車に傷を付つけられていた。 あゆむの事を良く思わない体育教師からのものだった。 あゆむは精神科へ入院した。 暫く連絡が取れないと思ったのも束の間、あゆむからLINEが入った。 3日間で退院してきた。 ただ、既に教員を続けられる精神状態では無かった。 3月末、あゆむはチョークを置いた。
数日後、あゆむは特別支援学校の試験に臨んだ。 結果は不合格。 結婚を前提として付き合っている彼女から冷たい返事が来ていたようだ。 LINEスタンプ一つだけ。 彼女の存在すら私には分からなかった。 もし、仮に特別支援学校の試験にあゆむが合格していたら、 私は捨てられていた。 あゆむはバイセクシャルだった。 結果的に言えば、私が捨てられていれば、 あゆむは幸せな人生を送るはずだった。 闇に葬り去られる事は無かった。
2019年2月中旬 あゆむの運転で八景島シーパラダイスに行った。 その日もあゆむは女装をして来てくれた。 寒風の中だった為か、殆ど客は居なかった。 一通り巡り、帰路についた。 帰路に着く中、あゆむが運転中ドアを何度も開け閉めしていた。 車の電飾を何度も何度も気にしていた。 明らかに様子が可笑しかった。 神経症の症状が出ていた。 彼もまた心を病んでいた。 北本のモーテルに泊まり、初めて性交渉した。 翌日、バイバイと言って別れた。
2019年1月19日 あゆむの誕生日 私は彼にコバルトブルーのリボンタイをプレゼントした。 池袋西武百貨店の屋上で。 商品はネットで買ったものの、私なりにラッピングをして渡した。 雲の合間から、やや日が差し込む、池袋の夕方だった。 その商品と同じものを冬の時期、偶に身に着けている。 遺品はもらえなかったため、 そのレプリカとして、私は身に着けている。
2018年11月 私は誕生日を迎えた。 その日、あゆむは女装して来てくれた。 新宿二丁目のバーであゆむからプレゼントをもらった。 中身はマフラー、微かにあゆむが普段つけているバーバリーの香りが漂う。 私たちはその後、それぞれ帰路につくために新宿駅方面に向かった。 二丁目から手を繋ぎながら歩いていた。 ふと新宿アルタ前に差し掛かるとあゆむが手を解いた。 恥ずかしいからと。 枯葉舞い散る、曇天の夕暮れだった。
あゆむは1993年1月19日生まれ。 生きていれば31歳になる。享年29歳。自殺だった。 高校・大学と教員になるため、一生懸命勉強した。 大学院まで進み、晴れて教員となり、高校で教鞭を執った。 将来は特別支援学校の教員になりたいと言っていた。 そんな彼はもうこの世には居ない。 ハイスペックで、今の言葉だとスパダリだった。
日光では牧場にも行った。 出来立てホヤホヤの牛乳も飲んだ。 あの味は今になっても忘れる事は出来ない。 泊まった小屋では、あゆむにハグをされ続けながら寝た。 まるで私が抱き枕のように。 後日訊いたら、あゆむは覚えていなかったそうだ。 今から約5年前、2018年9月17日の出来事だった。
その後、私たちは歌舞伎町にある中華料理屋に入った。 私が予約していた火鍋を2人で食べた。 後日、「あの時の火鍋は暑かった。」とあゆむに言われた。 それもそのはず、8月の暑い夏に出会った訳だから。 翌月、あゆむの運転で日光に行った。いろは坂を攻めたいと。 彼の愛車はコペン。マニュアル車である。 ただ、いろは坂を攻めるにはフォルム的に可愛いらしい車だった。
あゆむとはマッチングアプリ 9monsters 、通称「ナイモン」で知り合った。 新宿2丁目のアールダイナーで待ち合わせ。 緊張でいつも以上に手が震えていた。 やがて「あゆむ」がやってきた。 彼は、アー写の撮影帰りだった為か 所謂ビジュアル系バンドのようなコスチュームを身に纏い現れた。 アマチュアギタリストでもあった。 彼は、さっと私にビーズに蹄鉄を拵えたミサンガを渡してくれた。 「元気でいろよ」と言葉を添えて。 今現在、元気なのは私だ。あゆむは土の中で眠っている。 ミ
あゆむの前に付き合っていた彼氏がいた。 吉井隆行。 やはり自死した。 最後に合ったのは池袋西口。 この日、最期のお金を渡してグータッチした。 2月下旬、まだ櫻が咲く前。 寒い朝だった。
墓石に確りと刻まれていた 令和4年2月10日 没 彼は熊谷市の墓地に埋葬されている。 その日、葬儀の参列許可が下りなかった。 理由はコロナ過という事。 その当日、下4桁が0110の番号から電話が掛かってきた。 覚悟はしていた。 電話が切れた途端、泣き崩れた。 私は、あゆむを幸せに出来なかった。
令和4年2月10日没。 あゆむが亡くなった日。 そこから私の人生は止まったままだ。 恋人を見つけようにも見つからない。 もういいんじゃないか。 これで2人目のパートナーが自死した。