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ラーテルの喉笛【1】

辺り一面が希望の薄緑に染め抜かれている。
広大無辺なアラスカの春。
輝ける前途を象徴するかのような馥郁たる香り。
州立公園を構成する丘陵地帯の一角。
 
だが今はまだ、厳冬の名残をとどめる草木も岩肌も、じっと身を硬くして、分厚い氷の絨毯に包囲されながら惨めな境遇に甘んじている。
 
暴虐無人な権力にまだまだしがみつこうとしている、薄情極まりないアラクシャク。
無慈悲なブリザードが大地の彼方から容赦なく攻め寄せてくる。
この世のなんたるかを知らしめる、凍えた大気の底力。
 
灰色がかった雲を割って漏れる薄日が、地球の最後を想わせる、おどろおどろしくもどこか懐かしい轟音を幾度となく差し招く。
 
大自然で生まれるものとは明らかに異なる、徐々にボリュームを上げ鮮明になってくるその音源は、氷雪を纏い、風を切り裂きながら、巨大なスズメバチのごとき体躯を引き連れて、突如眼前に出現した。
 
凶悪さを偽装するための配色なのか。
それとも、非道さを隠蔽するための迷彩なのか。
濃い緑と鮮やかな黄色を混ぜた模様の最後尾には、これ見よがしにへんぽんと翻る星条旗が刻印されている。
 
戦闘ヘリと呼ばれている、ほっそりとした空飛ぶ殺人兵器。
第三者に目撃されぬよう、厳しく選び抜かれた無人の地。
いよいよ始まろうとしている氷上のショー。
どす黒い殺意が辺りに蔓延している。
殺戮が露骨に暗示されている。

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1,081字

芥川賞作家・丸山健二の超訳「白鯨物語」(原作・メルヴィル「白鯨」)の連載を始め、小説、コラム、エッセイなどを収録した、言葉を駆使するエクス…

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