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tetsuさまのコメントへの返事

 以下の文章は、先日公開した「2021年4月23日のうが金とれいわ一揆を視聴した感想」でコメントをよせていただいたtetsuさまへの返事としてしるした文章である。
 本当は、コメントは短い文章で書くのが礼儀であるが、私の場合、長く返事を書きすぎて、コメント欄では収まらず、返事をまるまる一本の記事にすることにした。

 
 コメントありがとうございます。一月万冊とは直接関係のない人間が書いた感想に高い評価をしていただきありがとうございます。家にこもるのが長くて、半分リハビリで書いたような文章を読んでいただきありがとうございます。
 あくまで、私の感想なので、実際のところ、この問題は複数の問題が絡み合っているので、私はあえて「フェアネス原則」の部分だけをしるしました。
 日本では、ある問題が生じると一時的に論争が生じるのですが、別の問題が生じると前の論争が忘れられて、結果的に事態が改善しないと云うパターンを繰り返してしまいます。

 例えば、2000年代に問題になった「地球温暖化」の議論をどれだけの人が覚えているでしょうか。当時の私は小学生ぐらいの年齢だったので、詳しい議論はリアルタイムでは知りませんでしたが、学校の授業でも話題になったのは記憶していますし、この時期に放送されたアニメでも「環境問題」を扱ったお話がありました。






 でも、10年代になると、原発事故や安倍晋三さんが再度首相になって色々悪さをするようになると云う別の問題で、すっかり云われなくなりました。そして現在、SDGsなどで「気候変動」と云う視点で再度議論になっています。
 結局、そうなってしまうのは、メディアがちゃんと機能していないからで、烏賀陽さんが『フェイクニュースの見分け方』で述べているのようなことを実践しているメディアがほとんどないので、断片的な情報しか伝わらず、正確な事実を調べようとすると、自分で本や論文を集めなくてはなりません。そう云う情報を収集して正確な事実を知る作業は、普通の人間には、かなり難しい作業ですよね。

 あるいは、今、「さざ波発言」で話題になっている高橋洋一内閣参与も、過去に彼がどのような発言をした人物なのかについては、あまり多くの方が言及されていません。彼が2000年代に言論人としてデビューするようになった「霞が関の各省庁が国民に埋蔵金を隠している」と云う主張について、精査した人はどれぐらいいるでしょうか。メディアが機能していないと云うことは、裏を返すと云いたい放題しても最終的には免責されると発信者に思わせてしまいます。



 一月万冊の革新的な点は長い視点で、物事をみるために、読書は必要であり、そのために真面目に仕事をしている著者を応援しよう、新聞テレビが伝えない不都合な事実を伝える、と述べたネットメディアであり、だからこそ、短期間であれだけの視聴者を集めることができたと云えます。

ただ、「新聞テレビが不都合な事実を伝えない」と述べたのは、2010年代の保守論壇も同様で、今ではデマと差別の総合デパートと化したDHCテレビジョンの前身だったシアターテレビジョンも似たようなことを述べていました。
 現在では、デマゴーグ言論人として認知されている武田邦彦さんがホストをつとめた「現代のコペルニクス」と云う番組があったのですが、この番組の趣旨は「現代の日本にいる、コペルニクスのように社会が信じている言説とは真逆の事を述べている人間を出演させる」と云うもので、現在では武田さんやDHCとは、思想的立ち位置が真逆とされている生物学者の池田清彦さん教育評論家の尾木直樹さんも出演されていました。中学生当時の私も視聴していたのですが、確かに、学校では述べられていないようなことが語られていて新鮮なものが感じられました。
 ただ、現在のDHCテレビジョンをみるとよくわかりますが、明確に「フェアネス原則」に逸脱したことを行っていました。例えば、河村たかし名古屋市長に「地方自治」について語らせる回があったのですが、メディアとして中立を保つのなら、河村市長と対抗馬の人の意見も聞かなくてはならないのですが、そうしませんでした。制作元のDHCの会長とホストの武田邦彦さんのメディアと番組だから問題はないと云う風にも思いますが、現在の両者の暴走ぶりをみると、考えさせられるものがあります。


 烏賀陽さんはリベラル系のメディアは「フェアネス原則」を破って反自民の政治家ばかりを出演させている、とおっしゃっていましたが、保守系のメディアはもっと露骨に破っています。どう云う風に破っているのかについて関心がございましたら、フィクションなので、具体的な事実と云い難いのですが、当事者だった古谷経衡『愛国商売』を参照することを勧めます。「原理原則」を破ると云うことは、無秩序を招くことになるのがわかると思います。だからこそ、保守系言論人たちは云いたい放題云っても、過去の言論の責任が追究されないと考えて、デマや差別発言、陰謀論を垂れ流しているわけです。現在のコロナ禍でだいぶその実害が表面化していますが。

 なお、保守系のメディアの内幕については、私が記事の中で引用した倉山満『保守とネトウヨの近現代史』を読むと、かなり発見があると思います。もちろん当事者の回顧なので、自分の都合の悪いことはしるしていませんが、保守系のメディアをどのように運営してきたのか、どう云う情報を発信したのか、が述べられています。同書の読みどころは、「LGBTに生産性がない」と発言した杉田水脈議員をどうやってかばったか、と云う箇所です。かなり酷い内容ですが、メディアが「原理原則」を放棄するとどうなるのか、と云う観点で読むと発見があります。 



最近、熱いですね。