私が福島で働くことを選んだ本当の理由。
これまであまり人に話したことはありませんでしたが、3年前の春、私が地域おこし協力隊で福島で仕事をしようと決めた理由の1つには「福島の復興」への思いがありました。
唐突な話題ではありますが、自分の人生の方向性を検討する中で振り返っておきたいなと思ったので、ちょっと綴りたいと思います。
私が福島県を初めて訪れ、住むことになったのは2016年の春。震災から5年が経過していましたが、まだまだ復興途上にあった現実を知ることとなり、大きなショックを受けました。移住した郡山市内でも、すぐ近くにはまだ仮設住宅が立ち並び、原発事故の影響で避難を余儀なくされている人が当時まだたくさんいることを初めて実感を持って知りました。空間放射線量を測る機械が学校や公園に置かれ、テレビでは天気予報の後にその日の空間放射線量の値が報道される... 福島の "日常" は私にとっての "非日常" でした。
大学時代は海外にばかり目を向け、横浜でのうのうと自分の興味ばかり探求して生活していた私は、こんなに近くの福島の人たちが直面していた厳しい現実を本当に何も知りませんでした。当時すでに首都圏では、福島に関心を持って情報収集したり特集番組を見ない限り、自然に情報が入ってくることはあまりない状況になっていたのだと思います。
郡山で暮らしたことに加え、当時まだ帰還困難区域だった富岡町出身の方の自宅を見させていただいく機会があり、その時に福島の復興のために何かしなければならないのではないかという思いが芽生えたのを覚えています。
避難解除がされていなかったので、防護服を着てゴーストタウンと化していた町内に入りました。案内してくれた方のお話を聞きながら、原発事故の影響でこんなに大変な思いをしている人たちがたくさんいるのか... そう思ったとき、あまりにも無知だった自分を恥じると同時に、東京で使う電気を作っていた福島第一原子力発電所の事故で苦しんでいるのは電気を使っていた首都圏の人間ではなく、福島の地元の人たちだという現実に不条理と憤りを感じました。自分がそうであったように、東京の人間はほとんどの人が原発事故や震災のことなど忘れ、普通に暮らしていることを私は知っていました。
当時本当に無知だった私はお話を聞くのが精一杯で、これから自宅をどうするとか、原発事故に対してどう思うかといったことはとても直接質問できるような状態ではありませんでした。帰還困難区域がいつ解除されるかも分からず、賠償などの問題もまだタイムリーだったのではないかと思います。どんなリアクションをしたらいいか、どんな質問をしたらいいか... いくら自分が考えても答えが見つからないような重い雰囲気だったことを覚えています。
その日に帰還困難区域で見た、廃れた街の景色がとても同じ日本とは思えず、この現実を多くの人に知ってほしいと強く思いましたが、当時葛藤したのはよそ者の私が写真や文章で発信することで、避難している方々に嫌な思いをさせてしまうのではないかということでした。SNSにあげたら批判されるかな... とか地元の方に「なんて勝手なことしてるんだ!」と怒られたら元も子もないよな... と勝手に悩んでモヤモヤを抱えながら会社員生活を送っていました。
それから私は転職を考えるようになり、また東京に戻ることを念頭に転職活動をしていましたが、2年近く郡山で暮らし、福島の自然の豊かさ、人の温かさ、食べ物の美味しさ、アクセスの良さを知った私は福島を離れることに少し寂しさも感じていました。加えて、浜通りで見た福島の抱える大きな課題に対して何か自分が役に立てることはないのだろうかとも考えていました。
このタイミングで見つけたのが、岳温泉での地域おこし協力隊の求人でした。浜通りでの直接の仕事ではありませんでしたが、まずは福島県のイメージをもっと良くしたい、自分が知った良いところをもっと広めたいという気持ちが芽生えていました。私自身、2016年に郡山に赴任してきた当初から福島県に対する漠然としたネガティブなイメージが全体としては良い方向に大きく変わっていたので、同じ体験を一人でも多くの人にしてほしいと考えたのでした。
その後も定期的に何か機会があれば、私は浜通りを訪れ、時間とともに変わっていく景色や町の様子を見るように意識していました。福島第一原子力発電所内にも2回視察ツアーで見学に訪れました。
その後、ご縁があって今では浪江町での仕事をお手伝いさせてもらっています。それ以外にも復興関連の事業の話を聞いたり、実際に関わる機会があり、復興のさまざまな側面を見ることができたように思います。
福島の復興については色々な意見があると思いますが、変化の大きかった震災後10年間のうちの約半分を福島で過ごし、リアルに変化を感じることができたのは他ではない貴重な経験だったと感じています。
読んでいただき、ありがとうございます。今日はここまで。