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あの角を曲がった先に在ったあの家/〚思い出①〛

大通り沿いに神社があって
その神社を過ぎたら
その先のあの角を曲がった先に
竹藪があってそのすぐ目と鼻の先に5軒‥いや?6軒だったかも?木造平屋の小さな貸家があってね。そこに住んでいたんだよね。

ええと‥1歳〜6歳までだったかな。
今思えばボロ家だったし、狭かったし
よく住んでたなと思うし、台風の時とかよく平気だったなと思うよ。




向かいにはその土地で一番の地主さんの家があって‥その貸家群は多少大きな敷地に6軒が等間隔くらいに並んでいて、空いた場所は皆の庭みたいな感じでね。誰の物ってわけでもなかったんだよね。

だからその空いたスペースは6軒の住人達の憩いの場で秋は庭先で近所の皆と焼き芋をしたっけ。

夏はご近所さん総出で御神輿かついでさ
9月の祭りはいつも盛大だったね。
浴衣はいつも近所の人が着せてくれてたんじゃなかったかな?

春夏秋冬細かいことまで覚えてるわけじゃない。

だけど、どの季節もたのしかったなぁ。

金木犀の香る季節になるとね
いつもこの家で暮らしてた頃を思い出す。
どこからか金木犀が香ってきてたんだよね。


今では皆がどうしてるか知らないんだけど元気かな〜?



私は1987年〜1993年正月くらいまでこの家に住んでいた。

今思い出しても相当昔の話なのに
今のことより鮮明に覚えてることもあるのでよっぽどここでの暮らしが好きだったんだな〜と思う。

私は実を言うとあんまり育ちが良くない。
親も世間一般論で言えば毒親と言われてしまいそうな人達だ。だから若い時も今も色々な事があったし順風満帆とは言えず、どちらかと言えば波乱万丈な人生を今のところはおくってきた。

とはいえ親も歳を重ね今現在はいい感じに関われている。当時のままの親だったら親孝行は出来ないだろうと危惧していたが、今現在その心配は杞憂に終わりそうで今後親孝行もちゃんとしていけそうだ。

この分ならば順当に行けば先に逝くであろう親をあたたかい心で天へおくれる様になるであろう未来にホッとしている。一時はどうなることかと思った。

人は歳を重ねると丸くなるものらしい。

だから自分の人生の前半戦を振り返る時あまり良いことばかりでもなく、どちらかと言えば苦しかったことが多かった。


が、それにも関わらず私は自分の人生にそれなりに満足しているのである。誇れるものなんて何にもないにもかかわらずこれである。

自分のことが好きでも嫌いでもなく、わりとフラットだし、自分の過去をあまり憎んでいないし、辛かったことも含めてなんだか良い塩梅に好きなのである。

時間というものは凄いと思う。
どんなことも一応は懐かしくなる。
勿論誰でもそうではないことは重々承知だし、自分にだってPTSD由来のトラウマがそれ相応にある。

しかし、それを含んでいたとしても何故か私は自分の苦しかった過去が愛惜しくて愛惜しくてたまらないのである。

そして、その愛惜しさを感じる時
冒頭で話した家のことを一番に思い出すのだ。


自分の原風景がおそらくあの家にあるのだと思う。 
私は年代のわりには古き良き日本のご近所付き合いで育ててもらえた方の人間だと思う。

だから今で言うとちょっとウザいくらいの近所付き合いが苦ではないし、むしろ歓迎なくらいだ。

私はあの家に育ててもらったと思う。
勿論産んでくれた両親、不得手なことの多い子育てだった若い母、父方母方双方の身内にも育ててもらったから今が在ると思う。

だけど、身内以外の地域にも人よりも多く育ててもらえた気がしている。そこは自分の恵まれた部分だと思う。だから今日の自分があるとも思う。そのことにとても感謝している。

例えば、母親に夜中に家を追い出された時
隣のおばあちゃんや裏のご家族が私を保護してくれた。

このおばあちゃんに至っては
私が泣くと母がヒステリーになることを知ってか頻繁にお手製の白菜漬けを片手に駆けつけてくれたそうだ。


その時おばあちゃんは母を責めるでもなく

『あらあら泣いちゃったの〜。どーしたのかしらねえ』とそんなようなことを言いながら毎回来てくれるのだそうだ。

毎回来るのも母に悪いかと配慮するからこそ白菜を片手に『私は沢山漬物しちゃったから少し食べるの手伝ってもらおうと思って〜お裾分けしたくて来たんですよ〜』という雰囲気を装って来るのだそうだ。


おばあちゃんは七五三の時も来てくれた。引っ越しする4ヶ月程前の写真。



そういう人の優しさに守られて私はすくすく育ったのだと思う。その優しさがなかったら全然違う人間になっていたのかもしれない。


以前私は自分のことが大嫌いだった。
よくもまあここまで嫌いになれるなと言うほど嫌いだった。

根っからのイジメられ体質だったし
要領も悪いし、スクールカーストでは何のまぐれか高校2年と3年のときだけ上位になれた以外は大体いつも底辺だった。2年だけでも上位になれたのだから、そう悪くもないなと自分でも思う。

ただ、上位になれても自信なんかいつもなかった。元来上位慣れしてないのできつかったのもある。

それでも今はそんな駄目な自分も含めて懐かしいし嫌じゃない。好きというのとはまた違うけどもう嫌悪はしてない。

この性格で顔で体で自分なのが嫌だったことも沢山あったが、今はこれで良かったと思う。


それは私でないとあの家では過ごせなかっただろうから。
それと何よりも私を育ててくれた人達の優しさで私は作られているからだ。
そんな人達の片鱗をすこしでも分けていただいた私自身のことを私は嫌いになれるはずもなく。


自分という者は自分一人で完成するわけではなく、関わってくれた人達の何かを受け継いで出来ていくものだと私は個人的にだけどそう思っている。

だから簡単に色んな人の想いや優しさで育った自分を嫌いになれないなと途中で気付いてからはそこまで自分のことが嫌いと思わなくなれたのだと思う。

ここらへん本当にうまく説明できないのがもどかしいが、とにかくあの家にまつわる何かが、私にとってすべてなのだと思う。


あの家は日本のどこぞの郊外だった。
街と自然が調和すると言えば聞こえはいいが要は結構田舎で
田畑や寺や神社が沢山あり、住宅地と農地がバランスよく混在するあの町であの時代を過ごせたことは紛れもなく幸福だった。

海はある都道府県だったけど海は遠くて
川ばかりで遊んだり、田んぼのカエルやトンボが人間よりも友達だったあの頃。

父も母もまだ若く未熟だけど、そんな曲がりなりにも一番家族らしく生きていたあの頃。

近所にも色んな年代の子供たちがいて呼び鈴など押さずに『ミーナちゃんあーそーぼー』の掛け声で遊びに行けたあの頃。

近くの通うはずだった小学校の校庭。
神社のブランコ。
いつも母親のチャリの後ろに座って通っていたスーパー。
家からすぐの曲がり角にあるお稲荷さんやお地蔵さんのお供え物置き場で罰当たりなママゴトしたり。
いつも来ていた野良猫たち。

沢山思い出すことがある。
だけどそのほとんどが今はもうない。

小学校とお稲荷さんとお地蔵さんは今もストリートビューで見た限りあるけど。


神社のブランコはおろか遊具はすべてなくなり。公園だった場所はただの空き地になり。
近くの竹藪は老人ホームが建ち、隣の茶畑は新築になった。今は遠くてほぼ行けないあの地。


スーパーはとっくに廃業したし
野良猫はそんなに長生きしない。
隣のおばあちゃんは流石にご存命だったらギネスになるだろうし…

そして何より
あの家はもうない。

ストリートビューで確認するに
2011〜2014年のどこかで取り壊され今は新築が建っている。


驚いたのは小さな頃に住んでいたから
小さな視点でしか当時を捉えておらず
自分の認識よりも敷地も家も何もかも小さかったことだ。


焼き芋を近所の皆でしたあの家の前の敷地はものすごく狭かった。

当時既に大人だった父や母の記憶ならばちゃんと狭いという認識だったのだろうか?今度是非聞いてみようと思う。

なんせ3歳頃の自分の認識だったのでもっと広いと思っていた。

誰の心にも懐かしく思い出す過去の情景というものはあるものだと思う。

時間と言うのは本当に凄いと思う。
もう目の前には無くなってしまっても
こうも心には残り続けられるのだから。


そして過去やこの家の事を思い出す時
私はいつも思うことがある。


『今』を大切にしないとな。
そう思うのだ。



『今』は今しかないのだ。
今を満喫できるのは今なのだ。
後世に記憶として心には残ってくれても後から戻りたいと願っても返ってはこないものなのだと。



今在る自分の心も体も
今だから存在できるけれど
あの家のように
その家に暮らしていたはずの
人々も、あんなにリアルに生活し
物を想い、考え、泣き笑い生活していたのは真実なのに‥

いなくなってしまったら
跡形もなくなってしまうんだ
ということをよく理解したのは
私が引っ越しの多い家庭で暮らしてきたからだと思う。


引っ越しの度に寂しい思いをするのだが
人はその土地を離れるとなかなかその土地と繋がれなくなり、自分の住んでいた家が住まなくなれば取り壊されたりして、また新しい人達の生活が始まる。

人が亡くなればそこに確かに生活していた人のことはわすれられ、どんな家が建っていたのかさえ思い出せなくなり、また新たな人達の生活によって上書きされていく。


そうやって人々の生活は今後もずっと続いていく。


それが凄いな〜尊いことだなと思う。
良いとか悪いとか寂しいからとか
そう言うことではなくて
凄いな〜とただ思う。


こうして人間の営みって昔から今に至るんだろうな〜って壮大に思えたりする。


と、同時にこうも思う。
記憶って大切にしなきゃなと。
だって自分の思い出なんて自分が覚えておかなければ誰も覚えておいてなんておけない。あの家が無くなったら忘れられちゃうのと同じで忘れ去られてしまう。


そしてこうも思う。
人間って本当にちっぽけなんだな〜と。
それは悪い意味ではなくて。
人それぞれ一生懸命皆生きててそれなりに大変なこととか一世一代の嬉しい出来事とか色んなことがあるのが人の人生なのに

そんなに濃い『生きる』って行為を毎日毎秒私らはしてるのに

そんなこともいなくなったり亡くなれば
あの家みたいに忘れ去られてしまうんだな〜と思うと、人間って本当に小さな存在なんだなと思う。


でも、そんな刹那的な『生きている』ということが刹那だからこそ愛しくて綺麗で尊いんだな〜とも。


そんなことをザーッとあの家のことを思い出すときに毎回思う。

そして、この記事に書いたことを想う時
私は自分に生まれて良かったな〜と思うし
自分の親があの人達で良かったな〜と思うし、つらいこともあって良かったな〜と思うし

何よりもあの家で過ごせて良かったな〜と思うのだよね。


思い出話をこうして文に起こす時
私はどうやらストレス解消というか
リラックス効果?みたいなものを感じているらしく精神が落ち着くみたいなのでまたちょくちょく書くつもりだ。


私は未来よりも今と過去が好きなようだ。









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