自分の絡まった根っこに気づいた話
マルソルです。
今日は少し前にさかのぼって
どうして
「自分と向き合う」
をしようと思ったのか
そのきっかけを
書いてみようと思います。
人の役に立たないと価値がない
とある人に、こう聞かれました
「なんでそうしたいの?」と。
それは、私がこんなことを言ったからです。
「人の役に立つことがしたい」と。
私が
「そうしないと自分に価値がないと思うから」
と言うと、
「いるだけじゃダメなのかな?」
と言われ、それを聞いた私は、
ハッとしました。
この投げかけられた言葉は
私の核に触れた気がしたからです。
だって
「いるだけで・・・いい・・・だと?
・・・・そんなん思えん!!!!!」
と、すごく抵抗する
自分を感じたからです。
このことがきっかけで
「いるだけでいいと思えない」
その原因を見つけるために
「自分と向き合おう」と決めたのでした。
自分の癖やパターンの理由
私にはパターンがあって
なんでも段階を
すっとばす所があります。
スモールステップで
進めて行けばいいところを
「早く進めて
早く上達したい」
「早く、早く
早く・・・もっと良くなりたい」
と思って、動いてしまいます。
そしてその根底には
「ちゃんとしなきゃ」
と思っている自分がいて、
さらにこの言葉の前には
「そうしないと自分には価値がないから」
が付いていました。
「ちゃんとしなきゃ」思考は
「すっとばす」どころか「飛び級」で
小学生が大学生の勉強をしてもできないのに
それをしようと思わせる程、歪んだ思考です。
私の大きな原動力でしたが、
「自分には価値がない」
という強い信念の上にある思考なので
結局「ちゃんと」を叶えたところで
自分が満たされたり
自信を持つことはありませんでした。
▼自分の気づかぬ信念に気づいた頃
「ちゃんとしなきゃ」が育った場所
そんな風に「ちゃんと」を強いて
自分にスパルタな私は
一体どこで出来上がったのか。
それを知ったのは、自分が育った場所を
ぽつぽつと思い出して行く中でした。
▼「不機嫌な家」
ここで私は自分の存在を消すことを
無意識に覚えていきました。
それは大げさにいえば
自分は存在してはいけないと思うのと
同等だったと思います。
「自分と向き合う」
というのは
ようするに
「過去に残ったままの自分の負の感情」を
今の私が思い出して
受け入れていくという作業です。
物音を立てて怒られると、自分は
そこに居てはいけないと言われたようで
悲しかった。
だから「ちゃんと」して、
そこに居てもいいと思われたいから
「ちゃんとしなきゃ」が大きく
育ったんでしょうね。
おまとめ
そうして自分の育った環境を振り返って
分かってきたことが、
「機能不全家族」の中で育ったから
「愛着不安」や「トラウマ」があって
今の私は「アダルトチルドレン」と
呼ばれる状態だということでした。
自分の根っこには、色々絡んでるものがあるなと
このへんで思うようになりました。
だからそれを先にほぐさないことには
先に進めない気がしました。
どうして
「いる(存在してる)だけじゃダメなの?」
どうして
「人の役に立たないと価値がないの?」
どうして
「そうしたいの?」
と、自分に問いかけながら
「役に立たなくてもいい」
「人に良いことしなくてもいい」
「なんにもしなくてもいい」
を受け入れて行って、徐々に
「自分は存在してるだけでいい」
と安心して思えるように
焦らずほぐしていこうと思います。
今日はここまで。
それではまたね。