菓子屋の兄弟
久しぶりに菓子屋の兄弟と合った。
弟の方だ。
この兄弟は大変趣深く、私は20年ほどウォッチしている。
今回はこの辺りについて書き綴っていく。
菓子屋の父親
菓子屋の兄弟の父親(以下、父親)は、古くからある商店街でケーキ屋を営んでいた。
順調に経営を続けており、近隣では名の通ったケーキ屋だった。
しかし、やがて商店街は廃れていき、閉店することとなる。
菓子屋の兄
菓子屋の兄弟の兄(以下、兄)は、高校卒業後、菓子屋へ修行に行ったらしい。
その後、若くして自分の店を構えた。
父の店と経営上の関係はなく、隣町にある。
兄の性格は、豪傑。
私は彼とは某経営者団体で知り合った。
しかし、彼はその経営者団体の活動にそれほど熱を入れることはなく、他の経営者とあまり群れたがらない性分だった。
私が兄弟をウォッチし始めた頃には、すでに一つの「ヒット商品」を持っており、それを軸に多店舗経営を始めていた。
商業施設へ出店したり、セントラルキッチンをつくったりと積極的に攻めていた。
そして、一進一退を繰り返しながら、今もなお楽しそうに豪傑な手腕を振りかざしている。
私がある経営者団体のクリスマス家族会の開催担当だった時。
彼に「バケツプリン」を作って欲しいと依頼したことがある。
彼は、即答で「バケツプリンは無理だが、ケーキでオブジェクトをつくることはできるし、過去に実績もあるよ」と提案してくれた。
私は「バケツプリン」に拘っていたので、その提案を丁重にお断りした。
菓子屋の弟
菓子屋の兄弟の弟(以下、弟)は、高校卒業後、父の店に就職した。
地元団体へくまなく参加し、経営者団体にも積極的に参加した。
役職が大好きで、所属団体の長を務めることに積極的に手を挙げていた。
一方、夜遅くまで各種団体の活動に精を出しており、昼まで寝ているような挙動をしていた。
午前中に店で顔を見ることは無く、電話にも出ないと評判だった。
私がある経営者団体のクリスマス家族会の開催担当だった時。
彼にも「バケツプリン」を作って欲しいと依頼した。
彼は、即答で「無理だ」と答えた。
ちなみに、結局「バケツプリン」は、パン屋の後輩が実現してくれた。
試行錯誤の上、絶妙なアクションで大皿に展開されるエンタメ型のバケツプリンを納品してくれた。
それを見た菓子屋の弟は「ゼラチンを使っていいなら俺でもできる」と言った。
今でもあの時の言葉はよく覚えている。
菓子屋の父の廃業後
菓子屋の父は、廃業することになった。
老朽化した施設、設備を買いなおすことが困難だったためだと聞いている。
父の年齢的に考えても、リタイア時だった。
問題は、弟だ。
父の店がなくなると、失業となる。
そこに現れたエンジェル投資家は、菓子屋の兄だった。
父の負債を引き受け、事業所を清算して廃業。
弟のために、新規で店を開設し、弟の職場をつくった。
しかも、父の店名を引き継いだ新しい店だった。
数年後、兄は弟に「店を買い取って、独立したら?」と聞いたそうだが、あいまいな返答しか返って来なかったと言う。
弟は相変わらずで、各種団体の活動にのめり込んでいた。
常にどこかの団体の長を務めているような印象だ。
菓子屋の弟の新装開店
ここからは、たった1年ほど前の話になる。
弟の店の外観は色褪せており、どう考えても「菓子屋として」このままで良い状態とは思えなかった。
ちなみに、この状態が10年ほど続いていた。
つい数か月前、突如、弟の店が新装開店をした。
同時に兄の会社から、独立したそうだ。
その理由は、弟の息子が店に入ることになったから。
兄は弟へタダ同然で店を売ったそうだ。
――― 菓子屋の三代目
そんなキャッチの広告をSNSで見た。
違和感満々だ。
父の店は廃業。
弟は父の店を引き継がなかった。
その後は兄の店に雇われていた。
しかし、兄の店から独立し、自分は二代目。
だから、息子は三代目。
――― 二代目と三代目の店はどこへ行き着くのか?
これが、私の見た菓子屋の兄弟の物語。
もちろん、今でも物語は続いている。